移動倉庫
目が醒めると、俺は毛布にくるまったまま、壁に身を預けていた。
俺の布団で、課長はまだ寝ている。壁掛け時計を見やると、時刻は8時を過ぎていた。休みでなければ、完全に遅刻だ。
毛布をはぎとり、立ち上がる。
時間的にはしっかり睡眠時間は取れているのだが、今回の夢は、中年には少々アクション過多だった。
先輩が起きるまで、軽く何か腹に入れておこうかね。
10時も過ぎたころ、課長が起きだしてくる。
「おはよう。飲むか?」
冷やしておいた水をコップに入れて差し出すと、彼は一気に飲み干した。
「・・・迷惑かけたな」
飲んで寝たときは、隈が濃くなる気がする。老け顔になった先輩に、洗面所を指差した。
「いや、まったく。昔みたいで、逆に懐かしいね。顔でも洗って、すっきりしてこいよ。男飯だが、食うものもあるぞ」
上司や先輩に使う言葉ではないが、今日はオフだし、ここは俺の部屋だ。他の上役たちにはとてもできないが、先輩にだけは、オフならある程度のタメ口も許されると俺は思っている。
でなければ、部屋に上げたりしない。タクシー呼んで、それまでだ。
「ありがとう」
勝手知ったるなんとやらで髭まであてて、さっぱりしてきた先輩が台所の席に着く。
コーヒーに、浅焼きトースト、目玉焼きにベーコン。野菜はないが、ないものはないので仕方ない。
「お前は?」
並んだ料理が一人分なことに気づいて、質問が来る。
「先に済ませた。俺が起きたのは、8時すぎだったんだ」
自分用のコーヒーだけを持ち、俺も席に着く。
「そうか。じゃあ、ありがたく。いただきます」
「どうぞ」
静かな時間。
手の中のコーヒーをちびちびやりながら、俺はぼけっと、食器棚を見ていた。
---------------------------------
あのあと、時間切れになることもなく、俺と役者は無事にテューアまで帰ることができた。
心配してくれていたのだろう、だいぶん暗くなっていたのに、オーブンも冷蔵庫も、門で俺たちを待っていてくれた。
車から降り、車を片付ける。
「二人とも、おかえりなさい」
松明を持って近づいてくる冷蔵庫の声に、俺たちは微笑んで答える。
「「ただいま」」
彼女もたぶん、笑ったのだろう。完全獣型の表情は、未だにわかりにくい。
「おつかれさま。大丈夫だった?」
「ありがとう、僕は大丈夫だったよ。ついて行っただけだしね。活躍したのは、移動倉庫さ」
続く冷蔵庫の言葉に、役者が答える。
移動倉庫。これが、ここでの俺の呼び名だ。自身の能力をわかりやすく表現し、かつ、希人の先住者たちと被らない通称。道具袋、倉庫、とか、日常でも使う言葉も除外していくと、適当なものがなく。
町で再会した学者と、どうにかひねり出した。いつでもどこでも本人の意思で出し入れ可能な、容量がでかいから倉庫、ってことで。倉庫人間とか、異次元袋とか、ほかにも候補はあったけど。
三人で町に入る。
オーブンのほかに、夜番の見張りが二人いた。
俺のように、テューアの町の外に来てしまう者がたまにいるから、門を閉めることができないのだ。
「久しぶりだな、移動倉庫。お主は来るタイミングがまったく読めぬ」
「おかえり。クルマ、ぶっ飛ばしたんだってね。役者が羨ましいなあ」
門のそばには篝火が二つ焚かれていて、かなり明るい。
冷蔵庫は、篝火の中に松明を放り込んだ。
声をかけてきたのは、前者が易者、後者が忍者だ。
易者は名の通り、占いが得意だという。が、当たるも八卦、当たらぬも八卦、とよく言っている。災いは、当たらない方が良いそうだ。当たり前だが。そのために対策をたてて、当たらないようにするのが仕事と言っている。身長、たぶん2メートル。大柄な壮年の男だ。
対して忍者は、中学生くらいの小柄な少年だ。俺と同じ地球の日本ではないのだろうが、時間軸が違うだけの、日本なのかもしれない。漫画やテレビ、映画で見たような黒装束を身にまとい、手裏剣や短剣、撒き菱なども持っている。物理的戦闘力は、テューアでもトップクラスだ。
夜の見張りは昼より危険ということで、戦闘職がいれば、一人は組まれることになっている。
「もう暗いし、俺も今日は長く居た上に能力使いまくったから、時間切れがこわい。ここなら明るいし、易者も忍者もいるから知識も対処も期待できる。今日の戦利品、ここで出してもいいか?」
今日の戦利品。もちろん、魔物化したバッタだ。
冷蔵庫とオーブン、夜番二人と役者が頷くのを確認してから、俺は2匹のバッタを、篝火のそばに引き出した。
冷蔵庫が短く悲鳴をあげ、オーブンと二人で少し後ずさる。
うん、気持ちはとても、よくわかる。
逆に、易者と忍者は興味深々といった風に、バッタから目を離さない。
「魔物化した昆虫、こんなに大きくなるんだねえ。素材として使えないかな?食べるのは無理だろうけど」
子どもらしくない思考を洩らす、忍者。
「昆虫でこれなら、動物が魔物化した魔獣は、たしかに脅威だな。テューアの回りには発生したことはないが、一度、きちんと観てみるか・・・」
自分の仕事と、結びつけている易者。
役者は、そんな連中を淡々と眺めている。普段とは違う状況の時の人間観察は、役者にとって何よりも大切な勉強なのだそうだ。状況に応じて、より争わずに済むように、己を演じ変える男。対外交渉は、彼がいるといないとで、安心感がかなり違ってくる。
役者か、学者か、魔法使いか。このうちのだれかが、常にテューアにいてほしいものだが、希人である以上、全員いないこともある。
人口は少なくはないのだが、全員が揃った試しもない。
仕組み的に、仕方ないことなのだが。
「・・・住人たちが、またここに来ないとも限らない。見張り役は、気をつけてほしい。住人の二人は、冷蔵庫たちも見てるから、俺とあまり変わらない人間と考えて間違いはないと思うが。こいつらと戦ったとき、住人の傭兵たちを見た。俺程度なら、あっさりやられて終わりだと思う。役者の交渉のおかげと、車を盾にして、俺たちは逃げ帰ったようなものだ。危険だと思ったら、門を閉じろ。干渉しないのが、本来のルールだからな」
それぞれの反応を見ながら、俺は言った。
顔を俺の方へ向け、全員が頷く。俺も頷きを返す。
「じゃあ、俺は消える。詳しくは、役者に聞いてくれ。時間切れだ。バッタは町のものとして、いいようにしてくれればいい・・・」
言い切れたのかどうなのか。
自分の意思によらない強制送還は初めてだった。
----------------------------------
で。起きたら、普通に自分の寝たときのままだったわけだが。
今回は、濃い経験だったよな。俺ももう少し、いろいろなものを再現できるようにならないと。
食器棚を見ながら、そんなことを考えてるうちに、先輩のごちそうさまが聞こえた。
「おそまつさま。コーヒー、お替りはいるか?」
コップを軽く上げてみせる。
「ああ、ありがとう」
差し出されたコップを受け取り、お替りを作る。
さて、今日の休み、先輩を送っていくことから、始めましょうかね。