魔獣
フェーンの村は、昔から水の恩恵の少ない土地だった。
近くに川はあったが細く浅く、池はない。ただ、井戸を掘れば水が出たので、生活に困ることはなかった。畑もある程度は作ることができ、食糧は、少し離れた場所にある、広大な森での狩猟採集が中心なのだそうだ。
森があることからも、地下水は豊富なのだろう。雨がほとんど降らないため、人力で水撒きできるぶんしか、畑が作れないほかは、特に目立って困ることのない村だったそうだ。
森に、魔獣が現れて、狩りに行けなくなるまでは。
もともと深い森、たまに、森の奥で魔獣化する動物や植物がいるのだそうだが、そのほとんどは、森の奥から出てこない。だが今回魔獣化したのは、行動範囲が広く、そして大型の動物よりは弱い、昆虫だった。
それは森の奥にいることができず、出てきた先に、運悪くフェーンの村があったのだ。
村にはまだ魔獣は来ていないが、森に行けないままでは、食糧が足りない。
馬車を持っていた者は、近くの住人の町へ買い出しと傭兵の依頼に。二人は、五年ほど前に出現した魔獣を、たまたま見聞のためにフェーンに立ち寄っていた、希人の魔法使いが倒したことを思い出し、村長の許可をもらって、ここまで来たのだという。
「・・・だが、今は魔法使いがいないからなあ・・・」
俺の言葉に、二人はうなだれる。
にこにこと、静かに聞き役に徹していた役者が、一瞬にやりと俺を見て嗤った。止める間もなく、すっと人好きのする笑顔に戻って、役者は言った。
「戦力があればいいのかい? なら、ここにいるこいつを連れて行けばいいよ。魔法使いのように派手ではないけれど、きっと力になれるから」
なんてことを! 俺は、まったりが好きなんだ。こっちからわざわざ、魔獣なんぞに・・・
「口下手で無口でぶっきらぼうなところがあるけど、こいつは、自分になんとかできることなら、なんとかしてくれるから。だけど、どうにもできないことはある。その時は、僕たちの助力は諦めること。それを約束してくれるなら、僕たち二人、君たちの村に行ってあげてもいいよ」
役者・・・。
お前も来てくれるのか。それなら、行くのもやぶさかじゃあない。
感激です! と言わんばかりの二人の視線を受け止めた役者は、俺の方を向いて、綺麗にウインクをきめた。
それを見て、二人は俺の方を向き、深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
・・・断れる俺ではなかった。
「じゃあ、僕は冷蔵庫に伝えてくるから。準備、よろしくね」
立ち上がり、役者は門番に出かける話を伝えに行った。
準備、ね。
円座に座ったままの二人に、声をかける。
「来たばかりで悪いが、すぐに出かけたい。テントをしまうから、外に出てくれないか」
俺の滞在時間は、推定十二時間。急ぐに越したことはない。
二人が素直に外に出たので、まずは座布団を消す。次いでテントを片付け、最後にブルーシート。
芋畑の隣は、もともと何もなかったように、広めの道があるだけとなった。
呆気にとられた風の二人に、戻ってきた役者が言った。
「驚くよねえ。でも、こいつの力は、こんなものじゃないんだよねえ」
にこにこと、優しげに微笑んでいる。ほんと、役者は、いい名だよ。
三人の前に、俺は、会社で外回りに行くときの、社用車を出す。少々古いが、しっかりとした普通車だ。
当たり前のように、役者が後部座席のドアを開け、二人に、仲に入るように促す。シートベルトも付けさせる、安全仕様だ。俺は運転席に座り、役者が助手席に乗るのを待つ。
「こ、これは・・・」
男のほうの呟きに、一応、答えておく。
「俺の知っている、馬車より速い乗り物だ。俺たち希人は、ここにいる時間が限られてる。だから、急ぐ」
「そうだよ。君たちと違って、僕たちは特殊な力を持っている。その代償が、時間なんだ」
役者の言葉に、二人が驚く。
「それは、どういうことですか?」
当然の疑問だが、詳しくは答えられない。
「希人だからだよ」
役者が言う。答えになってない答えだが、仕方ない。
エンジンをかける。
その音と振動に、二人の体が強張った。
「出発する。背中をしっかり背もたれにつけておくように。慣れるまでは、喋らないほうがいい」
俺の忠告に、二人は従ってくれる。
二人の背中が座席に収まったのを見て、俺はアクセルを踏み込んだ。
役者はシートベルトも手慣れたもので、シートに体を預けている。
「「!!!!!!」」
後部座席の二人にはかわいそうだが、村へ続くだろう唯一の道を、俺は制御可能な最大速度で突っ走る。
この世界には道路交通法はないし、希人の町に来ようなんて物好きが、そうそういるはずがない。人影らしきものはないことを常に気にしながら、ハンドルを握る。
徒歩で三日の距離でも、時速百ウン㎞で走れば、1、2時間程度のはずだ。
遅くても陽が傾く前には、フェーンの村に着く。
「慣れたら、気持ちいいよねえ、これ。クルマって言うんだっけ?」
助手席の役者は、高速ドライブを楽しんでいる。
「そうだ。・・・あまり使いたくはないが、時間がないからな。後ろの二人、頼んだぞ」
「わかってるよ。じゃなきゃ、僕は来ないよ。君は、口下手だからね」
くすくすと笑い、役者は後部座席の二人を見やる。
慣れるまでは喋るな、と言っておいたせいか、驚きと恐怖で何もできないのか。二人は手を握りしめ、前を向いたまま固まっていた。