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学者

 あいにくの雨だった。

 厚めの靴底の靴にしてみたが、職場に着くころには、靴下まですっかり濡れていた。

 俺の部屋から職場まで、どっちも交通網から外れているせいで、普段は自転車、悪天候のときは徒歩で通勤せざるをえない。

 タクシーなんぞ、論外だ。

 濡れたままでは仕事にならないので、ロッカー内の非常用セットを使う。風邪ひくわけにはいかないし、そもそも気持ち悪い。

 スーツの裾には目を瞑り、朝礼までの間、掲示板を確認する。今日誰が居て居ないか、特記事項はないか・・・。そうこうするうち、早番が出揃い、朝礼だ。

 挨拶、周知事項、いつもの仕事が始まる。


 遅番の最後の一人とともに、会社を出る。

 せめて、雨が止んでいるのが救いだった。非常用セットまで濡れたとなったら、明日の荷物が増えて困る。

「先輩、すみません」

 しおしおに縮こまった若白髪の青年が、何度目かわからない謝罪を口にする。

「っから、気にするな。明日仕上げて、サインもらったら終わりだ。だから、今日はしっかり寝て、明日、早番で出てこい。待ってるから。午前中に行けば、大丈夫だ」

 社会人一年目、まだまだこれからだ。白髪が多すぎるのが残念なのだが、中身そのままの、まじめで誠実そうな見た目をしている。若白髪の主張が激しすぎるせいで、年嵩に見られてしまうのが、問題なのだ。

 仕事の経験が実年齢と見た目の差を埋められさえすれば、こいつは伸びる。覚えもいい。

 それまで、がんばってフォローするさ。

「・・はい、ありがとうございます。明日、よろしくお願いします」

 しおしお加減は変わらないが、幾分、気力を戻した目が俺を見る。

「おう。背筋伸ばして、出てこいよ。じゃあな、おやすみ!」

 会社前で別れる。

 さて、帰ってフォロー、がんばるかね。


  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ・・・いっけね、寝ちまってた。

 やけに左腕が重い、と思ったら、乗ってたのは俺の頭だった。

 ヨダレをぬぐいながら、慌ててデータを確認する。良かった、ちゃんと保存はできている。これで、データがとんでたら、シャレにならない。

 胸を撫で下ろしたところで、俺は言葉を失った。


===ふむ。おまえ、覚えておるな?===


 俺のデスクのパソコン、ディスプレイの遥か向こうに、仮想・言葉の主山脈。

 イヤオイ、ちょっと待て。

 俺は、後輩と別れて、こっそり会社に帰って、あいつの仕事を仕上げてたはずだぞ?

 そりゃあ、事実、寝てたっぽいけどさ、こんなとこで見れるモンなのかよ?

 俺、もう、ここには来れないと思ってたのに。


 変わらない、ただひたすらに果てしない大平原。

 日本の地方都市、狭い世界しか知らない俺には、想像すらできなかった景色。

 あれから、あの夢を覚えていられた朝から、俺のものの見方は変わった。特に、大自然を映したテレビの映像。それまでは、へー、くらいの感想だったが、現物を目の当たりにした後では、想像できてしまうのだ。

 その映像にある地平線が、本当に、遥か彼方にあることを。

 百聞は一見に如かず、とは、よく言ったものだ。


===ふふふ。忘れぬ夢人は珍しい。しかも、やはり、おまえは個だ。・・・ふむ。===


 言葉が届く。

 だがこの前とは違って、これは、独り言のようだ。

 俺がここを覚えていたことで、説明する必要がないからだろう。

 せっかくなので、俺は席を立ち、大草原に出る。なぜか、壁がないのだ。床や机や、応接セットはあるくせに。夢だからと言われればそれまでだが、俺の夢って垣根がないのか。


===希なる夢人よ===


 まず深呼吸をし、ぱらぱらと生えてる草の感触を楽しみ、土に触れてみる。今度もし来れたらやってやろうと考えていたことを、片っ端から実行していた俺に向かって、言葉がきた。

「本当に、ここはいいな。また来れて、俺は嬉しい。あんたは珍しいと言っていたが、俺は覚えていた。最高だ」

 立ち上がり、顔を上げ。仮想・言葉の主山脈に向かって、告げる。礼を言うのはおかしいと思い、控えたが、今の気持ちは伝えたかった。相手が人ではないから、目を見てはっきりと、とはいかないのがツラいとこだが、決めといてよかった、仮想・言葉の主山脈。


===ふふ。そう言ってくれると、わしも嬉しい。・・・希なる夢人よ。名を、決めよ。ここだけで使う、己の名を。おまえの来た世界の、おまえの名でもよいし、おまえが名乗りたい名でもよい。名乗りをあげたときより、おまえは、わしの夢においても、個となるだろう===


 ・・・ん?・・・それって、かなり、重要なことじゃないか?

 俺の眉根が寄ったのに気づいたか、もしくは雰囲気が慎重になったことを察したか、言葉は続く。


===わしは、口下手でな。今、学者を呼んだ。くわしくは学者に聞いてくれ===


 学者?

 疑問に思う間もなく、俺の目の前30センチに、一人の人型の生き物が出現した。

「どおぅわあ!」

 バックダッシュした俺は悪くないはずだ。

「カイ!いつも言うてるやろ!近すぎやっちゅうねん!」

 けどその人物(?)も、虚空に向かって文句を言っていた。

 身長は、俺より15センチばかり低い。一瞬だったが、出現したとき、俺の目線がおでこの少し上だった。けど肩幅(?)や、肉付きは、俺よりずっとがっちりしている。本能が、逆らっちゃだめだと言っている。この人(?)は、俺がどうこうできるモンじゃないと。


===役者のときよりは、離したはずじゃが・・・===


 少々バツの悪そうな、言葉が流れてくる。

「・・・まあ、ええわ。進歩は認めたる。でもな、まだ近い!あの倍、いや3倍はほしいわ。・・・もし、次があったらな」

 くるり、と首を回し、学者、が俺を見る。

 ぱっちりとした大きくて丸い黒い目だ。そう、眼球すべてが真っ黒い。

 正面から俺を見る顔に合わせて、がっちりした体もまた、俺の方を向く。

 そして、学者は姿勢を正した・・・のだと思う。胴体の真横に、両腕をぴしっとまっすぐ伸ばして付ける。その腕の動きと連動するように、肩の後ろに畳まれていた焦げ茶色の大きな翼が、大きく広げられて再び背中に畳まれた。それでも、その大きな翼は肩幅より左右に広いのだけど。

 それから、右腕を曲げて自分の胸に当て、学者は、俺に視線を合わせたあと、腰から上体を折り、一礼をしてくる。

 俺も慌てて姿勢を正し、お辞儀をした。

 顔を上げ、視線が合ったところで、学者は言った。

「うちのことは、今は学者と呼ぶように。あんたのことは、今はなにも言わんでええ。聞きたいことがようさんあるやろ? なんでも聞いたるで。答えられるかどうかは、中身しだいやけどな」

 ・・・うん。聞きたいことはたくさんある。

 けどまずは。

「すみませんが、学者様は、どういう存在なんでしょうか?」

 これしかないだろう。

 俺の感想は、フクロウ人間、めっちゃ強そう。それしか考えられないんだ。

 まっすぐ俺を見る学者の黒い目が、二度ほど瞬かれた。



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