プロローグ
夢を見ている。
これは夢だ、と、わかっている、夢。
夢の中では、自分は自分で、眺める世界は過去の思い出か、いつもの町の風景だ。
時には空を飛ぶこともあるけれど、ちょっと高めにジャンプしたぐらいの高さしかないから、知らない景色を見ることはできないのだろう。
だから、これは夢だ、とわかるのだ。
しかし、今、見ている夢は・・・、いや、自分がいる場所の景色は、いつものものとはかけ離れていた。
夢だとわかる根拠はある。俺がいるのは俺の敷きっぱなしの布団の上で、起き上がりはしたが、腰から下はまだ布団の中だ。枕元には積まれた本や漫画の山。足元には、仕事用の書類カバン。明日用の服は、右手の先に畳んで置いてある。
そして、その向こうは、本来なら飾り気のない壁なのだが。
今は、やけに見晴らしのいい、ケニアの自然公園を思わせる、大平原になっていた。
もちろん俺は日本を出たことなどない。パスポートすら持ってない。
「・・・夢、だよな?」
声を出してみる。これが夢なら、寝てる本体の俺は、寝言を言ってることだろう。
たまに、寝言で目が醒めることもあるけど、今はまだ起きる時ではないようだ。
===ここは。わしの夢の中だ。おまえは、わしの夢の中で、おまえの夢を見ておる===
どこからともなく、言葉が届いた。
声、ではない。やわらかい、気づくことすらあまりない、そよ風のように。
だからか、驚きはない。
だが、意味は理解できなかった。反射的に問い返す。
「・・・は?」
ありがたいことに、言葉は再び届いてくれた。
===今。わしの夢と、おまえの夢は、一部、交ざりあっておる===
「・・・えっと?」
この言葉の主の夢の中に、夢を見ている俺がいる・・・?
夢って、自分の脳みその中で、完結してるモンじゃないのか?
改めて、周囲を見直す。
地平線さえちらほら見える、ほんっとうにだだっ広い、大平原だ。左側の遥か彼方に、山脈っぽい灰色の影が見えるけど。そんな大平原のど真ん中(?)に、壁のない四畳半の畳と万年床と俺。
嗅いだことのない、草だか土だかの匂いを含んだ風が、軽く、頬を叩くように、吹き過ぎていった。
===ふむ。おまえは、考えておるな。最初から否定せぬ、知恵あるものか===
「考えてはいるけど、なんもわかんねえよ」
単に、事態に頭がついていってないだけだよ・・・。パニック起こせるほど若くもないし、体力もない。 これが夢なら、早く醒めればいいのに。
===ふむ。・・・わしの夢の方が大きく、力もあるから、おまえの夢は、おまえ自身の身の回りのものぐらいしか、具現化できておらぬのだ。普通は、己の夢の外など、夢の中にいるものが、認識できはしないのだが・・・。おまえは、夢の中にあっても、個である。ゆえに、わしの夢をも、見通しておるのだろう===
えーと? でかい夢の中に、小さい夢が入り込んだ、ってことか?
でかい風船の中に、小さい風船が入ってるようなモンかな?ゲーセンのイベントとかで、子どもが喜んでもらってるようなやつ。
「俺、あんたの夢に入ってるってこと?」
言葉の主がどこにいるかわからないから、とりあえず、サバンナの向こうに見える、山脈っぽい方を見つめて聞いてみる。山脈っぽいもの=仮想・言葉の主だ。
===うむ。そのようなものだな。まあ、毛色の違う夢とでも思い、散歩でもするがよかろう。おまえのようなものは、時折やってくるが、二度と見かけぬことが殆ど。再びまみえたとしても、以前のことを忘れていたり、だ。所詮は、夢ということよ===
この言葉の主が見ている夢を、俺も一緒に見てる、ってことかな。
うん、たぶん。そんな感じなんだろう。
俺は布団を剥ぎあげ、立ち上がる。寝間着のまま、畳の隅っこまで行き、おっかなびっくり、大草原に向けて、手を伸ばす。
夢なのに、部屋の外、突き出した腕に、太陽の熱を感じた。
しかとは届かなかったが、言葉の主が笑っているような気がする。
足を出してみようか、と思ったが、寝ていた俺は当然、裸足だ。どうしたものかと少し考えていたら、また、言葉がきた。
===おまえは、個だ。おまえ自身は、おまえの夢でできている。履き物が欲しければ、おまえが夢で見ればよい===
夢で見ろって、オイ。今いるのが夢ン中だろうが。今ないんだから、夢ン中にないってことだと思うんだが。部屋の床周辺はあるけど、玄関も靴箱もない。
言葉の主に内心ツッコミを入れていると。
いつも仕事に履いていく革靴が、いつのまにか装着されていた。
寝間着に、革靴・・・。
===ほう。できたではないか。おまえ、飲み込みが早いぞ===
言葉の主よ、あんた絶対、笑ってるだろう。
よーするに、想像しろってことか。自分がよく知ってるものなら、作り出せるってことかな。
突き出したままだった腕をひっこめ、一歩、足を踏み出す。
じゃりっとした、小石混じりの荒い土の感触。まとわりつく、日本なら真夏の空気。ここの季節が、夏かどうかはわからないけど。
反対側の足も、外に踏み出す。当たり前だが、これで全身が大草原に出た。
見渡す限りの広大な草原に立ち、そのあまりの果てのなさに、圧倒される。
視線を遮るものが、何もない。ただ、広い大地。果てしない、空。
遥か彼方の、仮想・言葉の主山脈も、ひたすらな大地の一部だ。
人工的なものは、何一つない。
こんな景色は、初めてだ。
「・・・なあ」
思わず、言葉の主に問いかける。
「・・・俺は、ここに来るのは、初めてか?」
どことなく楽しげな雰囲気をまとい、言葉が届いた。
===そう、だな。わしは、今までに来た夢人どもは、だいたい覚えておる。が、おまえは、これが初めてだ===
たった、一歩しか出ていない。だが、それで、十分だった。
「あんたの夢、すごいなあ・・・」
広さも、高さも、遥かなる風すらも。
言葉は、ない。ただ、静かに笑っているような、かすかな気配だけが届く。
「また、来たいなあ・・・」
壮大な大地。鮮やかな陽の光と、熱。ただただそこにある空と、吹き渡る風。
===気に入ったか?===
どことなく、嬉しそうな声だ。
「・・・ああ。とても」
素直に、答える。
風が、楽しげに吹きぬけていった。