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あの頃も、今日も  作者: 満月仔鳥
2/22

2、トイレの水を手動で流していた頃

はじめてソレが来たのは、私が31歳のときだった。

30歳で上京してきた私は独身で、非正規社員で、中野駅から徒歩8分の木造アパートに一人暮らしをしていた。

恋人は28の時からいなかった。

貯金はなく、それどころか頻繁にガスを止められるような暮らしをしていた。


大手フィットネスジムの新規店舗を出店するための部署で、派遣社員として働いて一年目のことだ。

特に忙しくもなく、同じ部署の社員は外出していたり、打ち合わせをしていたりして、静かな午後だった。

私は新しく出店した場合の集客数をシミュレーションできるソフトを使っていた。

私はパソコン操作が得意で、なんでもソツなくこなすタイプなので、その会社独自のソフトも難なく使いこなしていた。

都内の新興住宅地でシミュレーションしていたとき、ふと、アパートのトイレのことが頭をよぎった。

半年前から通常の方法では水が流れなくなっていたのだ。


半年前のある日、私はユニットバスのトイレで用を足して流そうとレバーを回した。

スコっとレバーは空回りし、水が流れない。

なんだなんだとタンクを開けてみると、ゴムのカップとレバーをつなぐチェーンが切れていた。

トイレのタンクの蓋を開けて見られるタイプの人は、見てみてほしい。

見られない人は「トイレタンク内の構造」で画像検索してみてほしい。

チェーンが切れていたら、排水弁を塞ぐゴムカップを引っ張り上げる事が出来ず、水が流れないから。

その時は、水の中に手を入れチェーンを引っ張り、水を流した。


どうしようか。

大家さんに言えばいいのだけど、しょっちゅう家賃を遅れて振り込んでいる身としては、なかなかに言いづらかった。

私はしょうがなく、トイレの度に水の中に手を入れ、切れたチェーンを引っ張り上げていた。

しかしそのうち、どういうわけか、ゴムのカップが排水弁をきっちり塞ぐことができなくなった。

常にチョロチョロ水が流れている状態になってしまい、水道代がとんでもないことになる。

ただでさえしょっちゅうガスを止められているのに。

私はタンクの中の浮き玉を常に上がっているように固定し、水が溜まらないようにした。

トイレのタンクの蓋を開けて見られるタイプの人は、再度見てみてほしい。

さっき見てない人も、見てみてほしい。

浮き玉が上に上った状態で固定されたら、タンクに水は溜まらなくなるから。

それで私は、トイレの度に、ユニットバスのシャワーから直接タンクに水を入れ、手で直接ゴムのカップをひっぱり、流していた。


そのトイレのことが、ふと頭をよぎり、みるみるうちに思考が広がってゆく。

そんなトイレの流し方をしている部屋に人を呼ぶことはできない。

客人が用を足した後、タンクを開けてユニットバスのシャワーで水を溜め、チェーンを引っ張る作業を強いることなどできない。

恋人ができても部屋に呼べない。

ていうか部屋汚いし。

ガスコンロとかベタベタだし。ガスよく止められるし。

こんなバリバリ風に仕事やってるから、誰もそんな部屋に住んでるなんて思わないだろうな…。

ああっ!!

私31だ……

東京に来て1年以上になるのに、恋人がぜんぜんできない!

東京に来る前からいないけど。

お金も全然ないし。

どうなるの?

どうするの??


急に動悸が激しくなり、呼吸が苦しくなった。

顔が真っ赤になっていることが自分でもわかる。

耳の後ろに汗が流れてきた。

自分の思考のみで、平和な午後に、体がこんな状態になることに驚いた。

はじめてのソレは、手動で流すトイレがきっかけだった。



三十代前半の頃は、それでも笑っていた。

そんな状況がおかしくて、自分でも笑えたのだ。

それから5年後に引っ越しをするまで、私はトイレを手動で流し続けた。


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