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慌ただしいかと思えば、そうでもなかった。ダグラスに庭園からそのまま連れていかれたのは、魔術師団長の執務室だった。広いはずの執務室が、資料が山と積まれていて狭く感じた。威厳のある執務室というよりもどこか研究室の様だ。
物珍し気にきょろきょろと部屋の様子を見ていると、ダグラスに腕を引かれた。
「魔術師団長のアーミテイジだ」
「初めまして。ブラッドリー・アーミテイジです」
魔術師団長と紹介された人物は40代後半の男性だった。とても穏やかな顔立ちをしていた人の好さそうな雰囲気に、つい団長をやっていけるのだろうかと心配になる。
「アデラインよ。よろしくね」
「先ほど、割れた音がしたが」
ダグラスは単刀直入に尋ねた。ブラッドリーは困ったような顔をする。ちらりとわたしを見たが、ダグラスが特に何も言わないのでこのまま話始める。
「ローレング辺境伯の魔石が壊れました」
「ローレング辺境伯だと?」
不機嫌そうに眉を寄せるとダグラスは唇を固く結んだ。これほど厳しい雰囲気をしたダグラスを見たのは初めてだ。一人ついていけないわたしに、ブラッドリーが丁寧に説明した。
「ローレング辺境伯から提供される魔石は質が良くないので先日も壊れたばかりなのです」
「良くないですむ問題ではないだろう。数週間しか持たないなど、あってはならない」
「ローレング辺境伯だけではございません。他も伯爵家以下から献上された魔石はとても早く壊れています」
深刻に二人が言い合うのをしばらく眺めていた。言葉の端々からなんとなく現状が理解できたが、そもそも何故魔石が問題になるのかが分からなかった。
しばらくすれば説明してくれるかと待っていたが、どんどん議論に嵌まってしまう二人に痺れを切らせて口を開いた。
「あの、質問よろしいかしら?」
ぴたりと二人が話し合いをやめる。同時に見つめられて、思わず怯んだ。口を挟んではいけなかったかと一瞬思ったが、先ほどブラッドリーが丁寧に説明してくれたことからきっと問題ないと心を強くする。そして、一番の疑問を口にした。
「何故、結界に魔石が必要なのですか?」
本来、国を覆う結界に魔石など不要だ。辺境に行けば王族の結界だけでは心もとないということでより安心を得るために使うことはある。その他では結界の補修や新しい結界の構築をする場合にも使われる。一時的なものとして普通は使用するのだ。
だけど、二人の様子と会話の内容から常時使っているように聞こえた。
「陛下」
どこまでこたえていいのか、判断に困ったのかブラッドリーがダグラスに言葉なく確認する。ダグラスは大きく息を吐いた。どうやら説明はダグラスがしてくれるようだ。
「この国で結界を張る王族は私しかいないから、結界が脆弱だ。私の体調によっては王都ですら魔石による補助が必要になる。……いや、違うな。魔石の補助に私の魔力が使われているのが正しい」
「え、魔石で?」
本当に驚いた。王都ですら魔石で補うなんて。結界を維持する王族はダグラスだけなのは知っていたが、てっきり王族の血を少しでも持っている上位貴族たちが複数人で不足分は維持しているのだと思っていた。
一人で国の結界を支えるのは、本来ならばあり得ない。ルアーディズ王国では現国王である父と王妃の母、他にも父の兄弟たちが二人一組になって毎日交代で保持している。もちろん、兄達、従兄弟達も同様だ。誰もが負担にならない程度に分散するのが普通なのだ。
「そうだ」
「では、先ほどの音は魔石が壊れたことによる結界の破損ですか?」
「ああ」
息を飲んだ。空が可笑しな感じに見えたのは結界の力が緩んできたからだ、とダグラスの言葉で気が付いた。結界が弱まることなどないと思っていたから、考えつかなかった。
ダグラスは小さく笑った。自嘲を含んだ乾いた笑い。
「魔石は基本、貴族と王族が作る。最近、貴族たちの作る魔石の質が悪くてな。取り替えても取り換えてもすぐに壊れる。すぐに壊れるから次々に魔石を献上するように求めるが、作る方も追い付かない。悪循環になりつつある」
「そんな……」
「残念なことに現実です。そして、このことを貴族たちが理解していない」
終わりの足音がすぐ側で聞こえるようだ。貴族たちの作る魔石の質が悪いということは、魔力の低下を示している。魔石が壊れてしまえば、ダグラス一人で結界を維持し続けるのは難しい。結界が壊れてしまえば、次に来るのは結界の外にいる魔獣たちの侵入だ。一か所二か所くらいなら、騎士団を派遣すればどうにかなる。
だけど、一斉に壊れて侵入されてしまったら。
恐ろしさに震えが走った。
「父上が存命中はまだ王族の作った魔石があったから何とか間に合っていたが……」
ダグラスがぽつりと呟いた。
「魔石が幾つあればいいのですか?」
「それは」
「8個です」
ダグラスが躊躇う様に言葉を切ったが、ブラッドリーがそれを引き継ぐように答えた。ダグラスはわたしに魔石を作ってほしいとは言いたくないようだった。あえてそれを無視して、ブラッドリーに軽く頷いた。
「わかりました。しばらく時間をください。用意します」
だって、仕方がないじゃない。ダグラスのことが大嫌いだという気持ちとは別に、国を維持するために一人で結界を維持しているダグラスに手を貸してあげたかった。結界を維持するための魔石が壊れても、淡々と直していくがどれほどの負担になるのか、まるで分らなかった。わかっていることは、こんな事長く続けられないということだけだ。
この人はどのくらいの期間を一人で結界を張り続けていたのだろう。即位した後からなのか、その前からなのか。
たった一人で国を背負うのはどれほどの重圧か、想像できなかった。
******
机に並べたのは、この国に来てから作った魔石。
卵よりも少し大きめの魔石と、少し小さめの魔石に分けて並べている。魔石は表面はつるりとしていてとても奇麗だ。純度も高いので透明感もある。
色は基本はちょっと赤の混ざった薄い紫。込める魔力が強いほど赤みのある紫紺になる。
この色は、ルアーディズ国の色だ。王族の血を持っている者は多少の違いがあっても、紫紺が多い。ちなみに、帝国王女であった母の作る魔石の色は混じりけのない深紅だ。わたしの作る魔石に少し赤が混ざるのは母の血を引いているためだ。ルアーディズ国では父や兄達の作る濃い紫紺の魔石が美しいとされていたけど、わたしは赤の混ざる少し明るめの紫紺も好きだ。
誰でもないわたしの色。
そっと耳に飾られた魔石を触る。ダグラスの色を持つ魔石は鏡でしか見ていないが、とても澄んでいて美しい。これがなければサラやアレックスが言う様に周りへの牽制として魔石で指輪を作って渡そうかと思っていたが、適当なものを渡すことができなくなってしまった。耳飾りを分け合ったのだから、同じく耳飾りをわたしの魔石で作って分け合うのがいい。
だけど、本来は最愛同士での行為で。
どうしてもそうする気持ちが持てないが、ダグラスもいつまでも片方だけつけているわけにはいかないだろう。ダグラスの一方的な寵愛だと示すことになってしまうから。
ぐるぐると同じことを考えているうちに、サラが魔石の数を伝えてきた。
「大き目の魔石が15個ほど、小さめの魔石が23個ですね」
「8個欲しいと言っていたから、十分よね」
昨日聞いた話は本当に衝撃的だった。ルアーディズ王国では考えられない現実に、言いようのない不安を感じたのだ。魔石が壊れて魔獣が知らないうちに入り込むかもしれないなんて、恐ろしすぎる。いくら王族が強いと言っても、国民を守りながら四方八方から襲ってくる魔獣を駆逐することはできない。できたとしても、騎士団が全滅するくらいの犠牲が伴う。
しかも、結界を維持しながら?
それこそあり得ない。
「小さめの魔石を混ぜて、12、3個ほどにしておいた方がいいかと思います」
サラが珍しく意見を言う。その珍しさに目を瞬いた。
「次回の分を手持ちにしておいた方が無難です」
「そうかしら?すぐにこれくらいできるし、予備を持っていた方が安心じゃない?」
「ダメです」
サラに強く言われ、思わず頷いた。大きい魔石と小さい魔石をそれぞれ7個づつにして、残しておくものを分ける。
「失礼します」
扉を叩く音と共に入ってきたのは、クリスティンだった。いつもは落ち着いていているのに、少し慌てている。何か約束でも忘れているのかと思いながら、声を掛けた。
「今日はレオ-ルとの予定があったかしら?」
「予定はありませんが、ご報告が……」
「報告?」
クリスティンは手短に説明を始めた。それはレオ-ルのことだった。
「つまり、レオ-ルが陛下に呼ばれて執務室に向かったと。護衛がいないのが不安なので、ダレンを付けたということでいいかしら?」
「はい。アデライン様の許可をいただいてから、と申したのですが。無理に連れ出されてしまって」
クリスティンは不安げだ。彼女はレオ-ルがこの後宮を出たらどんな扱いをされるのか知っている。少し考えると、すぐにサラに魔石を準備させた。
「大丈夫よ。今からわたしが陛下に会いに行くわ。アレックスとキース。あなた達も付いてきてちょうだい」
護衛の二人に指示を出すと、サラの差し出した袋を手にする。
「陛下は魔石を持ってくるように言っていたから、丁度いいでしょう?」
手を合わせて握りしめ、心配そうな顔で立っているクリスティンに笑って見せた。
「すぐに戻ってくるから、レオ-ルの好きなお茶と菓子を用意しておいてね」