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サラがじっと見つめているのはわかっていた。しかも、少し批判するような目だ。気が付かないふりをしてチクチクと刺繍を続ける。
今回の刺繍はリボン。長めの金髪を一つにまとめているレオ-ルへの贈り物だ。彼の髪に合う瞳と同じ濃いめの青のリボンに金糸で蔦の模様を刺す。可愛い小鳥も刺したかったが、女の子用になってしまいそうでやめておいた。
「アデライン様」
「もうちょっと後でもいいでしょう?」
サラの言いたいこともわかるが、とりあえず認めたくない。いや、まだサラの長年の勘でしかないのだから、ここはサラの言う様に侍医の診察を受けて、愁いを晴らせばいいのだが。愁い通りだった場合、愁いを晴らすどころか、地の底まで落ち込む自信がある。
だからこそ、今はまだ確認したくない。
サラとの無言の攻防を繰り広げることに疲れて、アレックスに話かけた。
「ねえ、レオ-ルの魔術はどう?」
「はい。何度か試してもらっています」
「どんな感じなの?」
アレックスは苦々しい顔をした。レオ-ルに責任を持つとダグラスに宣言した後、とりあえず護衛達に簡単な魔術を教えるように伝えていた。
「かなりの魔力が集まってくるのはわかるのですが、最後で魔力が出てきません。もしかしたら、適当に市井で売っている魔法陣でさえ発動できないかもしれません」
発動しない。
この世界の魔術は、自分の中にある魔力を集めて、魔法陣を脳裏に作り上げ、魔力を流す。これだけだ。たとえ自力で魔法陣を練り上げることができなくとも、多少の魔力があれば街で売られている魔法陣に少し魔力を流すだけで使うことができる。生活魔法陣と言われるものがこれにあたる。水を出したり、火を出したり。明かりは魔石に魔法陣を描きこんで一度発動させれば魔石の魔力で照らし続ける。
よほどのことがない限り、誰でも手軽に使える。それがこの世界の常識だ。
手にした刺繍の道具をテーブル上に乗せると、立ち上がった。
「直接、確認するわ」
「それがいいかもしれません。今、丁度キースが教えていると思います」
アレックスは頷くと、先に歩き始めた。案内されたのはレオ-ルに与えられた後宮の一室で、扉を開ければキースの説明する声がする。
「こんにちは」
こちらに気が付くようにと声を掛けると、テーブルからレオ-ルが顔を上げた。ちょっと自信なさげな、泣きそうな顔をしている。キースに目を向ければ、こちらも困ったような顔をしていた。テーブルの上を見れば、街で売っている市販の生活魔法陣が沢山広げられていた。どんな人でも使える難しくない魔法陣。
どうやら色々と魔方陣を試してみたけど、どれもこれも発動しなかったようだ。それをあえて無視して、にっこりとほほ笑んだ。
「ちょっと確かめたいことがあって。いいかしら?」
「えっと」
「痛くないし、苦しくもないから、気を楽にしてね」
返事を待たずに彼の両手をぎゅっと握りしめ、じっとダグラスによく似た青い瞳を見つめる。ゆっくりと自分の魔力を彼の中に流し込んだ。ゆっくりゆっくりと溶け込むようにして彼の体に巡らせる。彼の中に自分の魔力を流し込むことで、魔力量が膨大にあることと、出口が針の穴のように極端に小さく、ほとんど出ることはできないことがわかる。長い間、魔力を出さなかったことで、詰まってしまったのだ。
予測していたとおりであるが、どう本人に告げようか?
「アデライン様?」
わたしが黙ってしまったせいか、不安そうな小さな声で名を呼ばれた。
「正直に話すわね。魔術を使えるようになれるけど、どうする?」
「魔術が使える?」
「そう。持っている魔力に対して出口がない状態なだけなの。時間はかかるけど、わたしが幼いころにやっていた方法なら正常になるわ」
レオ-ルはぽかんとした顔をしていた。まじまじとわたしの顔を見上げているが、驚きのあまりに言葉も出ないという感じだ。表情をふっと緩めると、彼と視線が合う様に少しだけ屈む。
曇りのない奇麗な瞳。
だけど、いつも迷子のような色を浮かべている。
「王族に必要な魔力の使い方をすべて教えてあげる。でも、やるか、やらないかはあなたが選んでいいの。だって、今までいないものとして扱われていたでしょう?どちらを選んでも大して変わらないわ」
「本当に?僕にも魔術が使える?」
「そうよ。恐らく、陛下よりも魔力は多いと思うわ」
言葉がようやく理解できて来たのか、握っていた手が震えてくる。そして、ぱらぱらと大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「僕は……使えるようになりたい」
「そう」
「だけど……」
屈んでいた体を起こして、そっと抱きしめた。10歳だというのにわたしの胸ほどまでしかない小さな体。ゆっくりと宥めるように震える背中を撫でてあげる。
なんて辛い泣き方なんだろう。声を殺し、体を硬くして。これでは誰にも声が届かない。
「使えるようになりたいなら、使えるようになったらいいじゃない。でも、わざわざ周りに知らせる必要はないわよ?」
「いいのかな?」
「もちろん」
レオ-ルはわたしにぎゅっと抱き着くと、声を殺して泣き続けた。
******
レオ-ルは流石ダグラスの子だと思えるほど、聡明だった。基本的なところはすべて独学で覚えたようで、少し得意不得意のところがあるが、直すべきところを指摘すれば面白いほど素直に飲み込んでいく。
だから余計に力が入ってしまった。必要だろうという知識は片っ端から教えて行った。
歴史、算術、語学、経済学、地理、マナーにダンス。
他にも魔法陣や魔術の使い方。
残念ながら剣術は護衛達に任せたが、他の勉強については知っている限りのことを一日中つきっきりで教えている。
うふふ、周りが恐れ慄くくらい、聡明で立派な王子にして見せるわ!
その意気込みが分かったのか、護衛で側についているキースとアレックスが笑いを堪えていた。茶化すようなことを言いたそうにしていながらも、言わないでいることは高く評価してあげよう。
「レオ-ル様はすごいですね」
二人の護衛の言いたいのを我慢している空気を読めなかったのか、珍しく口数の少ない護衛のダレンが広げていたノートを片付けているレオ-ルに告げた。レオ-ルは不思議そうに首を傾げた。片づけたテーブルにはサラが手際よくお茶を用意する。わたしもダレンが何を言いたいのか、気になって黙って聞いていた。
「すごい?」
「あのアデライン様の教えについていけること自体がすごいです。アデライン様の教育と言えば、誇りと心をへし折られ、終わった後には屍になりかねないほどの苦行だと有名でしたので」
「ちょっと、ダレン!レオ-ルに余計なことは言わない!」
焦ってダレンを注意するけど、レオ-ルはふんわりと笑った。
「アデライン様の教え方は上手で、楽しいです。僕もこんなに理解できるなんて思っていなかったから」
「……!」
思わず立ち上がると、座っているレオ-ルを強く抱きしめてしまった。
「何て素直でいい子なの!」
「お離しください。レオ-ル様が窒息します」
サラがぎゅうぎゅうに抱きしめられて苦しそうにバタバタと手を動かしているレオ-ルを見て、のんびりと指摘した。
「あら、ごめんなさい。つい感動して」
力を緩めると、レオ-ルは顔を真っ赤にしていた。ダグラスの顔で恥ずかしさに顔を赤くしているのを見て、ついにんまりと笑ってしまう。
「やだ、可愛い。陛下と同じ顔なのに、すごく可愛い」
「か、可愛い……」
レオ-ルが呆然と呟く。くくくっと笑っているのはキースだ。笑いながら、レオ-ルの心を代弁する。
「レオ-ル様は王子ですよ。10歳の少年に可愛いはないでしょうに」
「え、いいじゃない?どうせ大きくなったら陛下のようになってしまうのよ!」
為政者になってあんな風に無表情になっていくのを想像して、しかめっ面になる。できるならば、素直な心を持ったまま育ってほしいとは思う。素直なレオ-ルを想像し、それもないなと首を振った。王族で素直すぎる性格は幸せになれない。手駒にされるか、騙されてしまうか。どちらにしろ食い物にされるだけだ。
「まあ、いいわ。じゃあ、始めましょうか」
想像したあまりよくない未来像を振り払うと、レオ-ルの手を取った。
「お願いします」
「力を抜いてね。わたしが引っ張るから」
そっと目を閉じて、レオ-ルの中に自分の魔力を送る。一通りレオ-ルの中を巡り、自分の方へと引っ張り出す。自分の魔力だけでなく、レオ-ルの魔力も合わせてだ。こうして引っ張ってあげることで出口が広がってくる。初めてした時に比べて大分スムーズに魔力が引き出せるようになってきた。まだまだ出口は小さいが、もう少し続けたら一気に広がるはず。
「アデライン様の魔力は暖かいです」
「そう?それはよかった。大抵の人はわたしの魔力は暴力的だというから」
何度も繰り返し、自分の魔力を巡らせ、レオ-ルの魔力を引き出す。それをどらくらい繰り返しただろうか。ふっと違和感を感じて空を見上げた。
「どうしました?」
側に控えていたサラが、すっと寄ってきた。
「なんか、空が変じゃない?」
「空?」
そう告げると、護衛達とサラ、レオ-ルも空を見上げた。今日は白い雲が流れているが奇麗な青空だ。
「何もないですが?」
「そう?」
おかしいな。なんか変な感じがある。何か漏れているような。
ほんの少しの気持ち悪さがあるだけで、特に目に見えたものはない。
「気のせいかしらね?まあ、集中力も切れてしまったし、今日はここまでにしましょう」
レオ-ルの手を離すと、用意されていたお茶に手を伸ばした。