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「アデライン、君を愛しているよ。結婚しよう」
一番最初に告げられた愛の言葉はわたしが15歳の時。彼は18歳。
ルアーディズ王国の第一王女であるわたしと侯爵令息である彼とはすでに婚約者同士だから結婚の申し込みなどなくてもよかったんだけど。彼は王立学園を卒業して、近衛騎士になった時に申し込んでくれた。真新しい近衛騎士の制服に、いつになく整えられた髪、そして、少し緊張した口元。騎士の作法に則り、片膝をつき、わたしに手を差し出している。
大好きな彼に素敵な言葉を貰って。
嬉しくて、嬉しくて。
自分が物語のお姫様になったように感じた。何が起こったって、二人で乗り越えられる。世界一幸せで、お姫様と騎士の物語はめでたしめでたしで終わるのを疑わなかった。幸せで世界は鮮やかな色を持ち、とても輝いていた。
そっと彼の手に自分のを重ねた。彼はわたしの手を握ると、立ち上がる。嬉しそうに目を細め、優しく見下ろしていた。安心できる腕に抱き寄せられながらゆっくりと唇に彼の口付けを受け、思わず目を閉ざした。
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「愛している……これからも君だけを」
最後に聞いた愛の言葉はわたしが17歳の時。
彼はとても苦しそうだ。俯いて表情が見えないけど、今にも泣きそうになっているのが分かる。わたしの隣に立ち続けるために、誰よりも強くなりたいと心身を鍛え、いつも側で守ってくれた。そんな彼が泣きそうになっている。
「うん、わたしも愛している」
これで二人で会えるのは最後だ。最後だから、力いっぱい抱きしめて欲しかった。だけど、彼は拳が白くなるほど手を強く握りしめ、あと一歩の距離を縮めてこない。
「アデライン、幸せに」
顔を上げた彼の瞳には涙はなかった。涙はなかったけど、その表情はひどく苦しさを感じさせた。
だから、わたしも泣かない。胸がかきむしられるほど痛いけど、泣きたくない。何とか口元に笑みを作るけど、きっとひどく歪んでしまっている。
「ええ。……ジェイドも幸せになってね」
これは嘘だ。わたしとは違う人を愛して幸せなんかになってほしくない。わたしはひどいお姫様だから、他の女性と幸せになるくらいなら、壊れてしまえばいいと思ってしまう。だけど、そんな心は微塵も見せない。だって、彼には奇麗なわたしを覚えていてほしいから。自分の気持ちなのに、笑ってしまうほど矛盾している。
しばらくお互い苦しく見つめ合っていたけど、ジェイドは思いを振り切るように部屋を出て行った。靴の音が遠くに響いて、それもそのうちに聞こえなくなった。目の前が暗く、どんどん色を失っていく。
「アデライン様」
そっと肩を包まれて箍が外れてしまった。ずっと側にいてくれたのは侍女のサラだ。幼いころからずっと面倒を見てくれた。そんな彼女の暖かさに、抑えていたものが溢れてくる。ぽたぽたと次から次へと涙が溢れた。
ジェイドとの結婚はあと2か月だった。婚儀に着るドレスも装飾品もすべて用意が終わっていた。毎日忙しく準備しながらも、幸せだった。結婚後に住む屋敷を整え、将来の家族を想像して嬉しくなったり慌てたり。
「どうして……」
どうして、わたしなの。
どうして、今なの。
どうして……!
彼と最後に会った日、彼との婚約は白紙となり、わたしは一か月後にエスファ国へ側室として嫁いだ。
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窓から広がる景色はとても静かで庭の照明が柔らかな光を放っていた。庭に咲き乱れている薔薇の花が淡い光によって浮かび上がり、くっきりとした月明りもあってとても幻想的だ。
その景色をぼんやりとしばらく見つめていた。
「アデライン様、お体が冷えますわ。そろそろ部屋にお戻りになってください」
「連絡は?」
「……今夜もまた無理だそうです」
サラは少し困ったように返事をする。まあ、聞かなくてもこの時間になってもやってこないのだ。来ないと判断したって問題はない。そう、問題はないが。
「ねえ、側室って必要だったのかしら?」
世界の中心ともいえるセルダ帝国の王女であった母を持つルアーディズ王国の第一王女というのは、この世界でもとても貴重な血筋だと思う。血を濁らすことなく、国のため民のためにと作り上げられた血統。嫌というほど、この血の価値を教えられてきたし、次代に残すことが義務であることも理解している。
そんな貴種ともいえるわたしが長年の婚約を取り消してまで、妥協して王妃ではなく側室として輿入れをしたというのに、エスファ国王であるダグラスと顔を合わせたのは初日のみ。しかも、挨拶だけだ。初日からすでに一週間も経っているがご機嫌伺の手紙と贈り物が届くばかりで、夜遅くまで待っていても本人がやってこない。
「このまま放置されるなら、何もないうちに国へ帰りたいわ」
もちろん今更国に帰ったところで、婚約者だったジェイドと再び婚約が結べるわけではない。また誰か別の人のところへと嫁ぐのだろう。だが、これほど蔑ろにされるような国にいたくはなかった。
そもそも、この輿入れはエスファ国に国を護るための結界を維持できるほどの後継者がいないことが原因で実現したものだ。国王であるダグラスと王妃であるキャサリンは結婚10年目を迎えるにもかかわらず、未だに子宝に恵まれていなかった。直系の王族が途絶えるかもしれないという危機にようやく気が付いたのか、エスファ国は慌てて周辺国に高い魔力を持つ王族の姫の輿入れを打診した。
脅威のない世界であるなら、そんな申し入れをしても一蹴されただろうが、この世界は基本は魔獣の世界だ。
人間が暮らすには不適な世界。
魔獣の持つ魔力に対して、大半の人間の持つ魔力は弱い。この世界で暮らせるのは、強い魔力を持つ人間が平穏に暮らせるように強固な結界を維持し、魔獣を排除しているからだ。この強固な結界はどの国も王族を中心に、貴族たちが補助をしている。
しかも、この魔力もなかなか取り扱いが難しく、女性の方が魔力が多くないと子がお腹の中で育たない。お腹にいる間、子は母親から魔力を貰って育っているからだ。もちろん、外から不足した魔力を補うことはできる。ただ、男性の方が魔力が多い場合、お腹の子供も同じくらいの魔力となってしまうため、外からの供給だけで子供は育たない。だからこそ、各国が真剣にバランスを見て、王族の魔力が落ちないように、濁らないようにと、国内だけでなく時には他国の王族や上級貴族たちとも政略結婚を繰り返してきたわけだ。
祖国であるルアーディズ王国は王太子の長兄、魔術師団長の次兄、そしてわたしが直系になる。だけど、少し家系を遡れば、王族の血を引く上位貴族がいて、層が厚い。万が一、現国王の直系がいなくなっても、十分に代わりを務められる国王の弟達の一族がいる。そちらを直系としても今と同じように平和が維持できるだろう。
だが、エスファ国は違う。層が薄いなんてものじゃない。結界を維持できるのは王であるダグラスだけだ。ダグラスに何かがあれば、この国は簡単に滅びる。それは代々の王が一人っ子であるため、この国の結界を維持するだけの魔力を持つ者がいないのだ。
この国は他国のように血統を維持するための政略結婚は否定的だ。つまり、代々恋愛重視なのだ。子供ができるできないはあまり重要視してこなかった。ただ結界を維持する国王の負担だけを考え、結婚くらいはせめて、ということで国王が好んだ女性と結婚する。支えるだけなら、側室でもいいだろうにと思うのだが。この価値観の違いはまったく理解できない。
「アデライン様、今日はもうおやすみください。夜も遅いです」
「明日も別にやることはないでしょう?」
「そうですね。ですが、夜更かしは美容の敵ですよ?」
少し砕けた口調でサラが言う。思わず笑ってしまった。
「わたしの頬に出来物ができたら、サラが悲しむわね」
「出来物だけではありませんよ。クマもダメです」
くすくす笑いながら、部屋に入るとガウンを脱いでベッドにもぐりこむ。意外と体が冷えていたのか、その暖かさに驚いた。
「では、おやすみなさいませ」
「ええ。また明日」
サラが部屋の明かりを少し落としてから静かに出て行った。一人残されたわたしは、体から力を抜き、目を閉じる。目を閉じれば、体が重くなる。思っている以上に疲れているようだ。
明日にはダグラスが来てくれればいいけど。さっさと済ませてしまいたい。わたしがここにいる理由はダグラスの子を産むことだ。なのに、一度も後宮に顔を見せないなんて。
他国の王女に対してあまりにも軽い扱いに、じんわりとした苦い思いが湧いてくる。
わたしの幸せを壊した政略結婚。
きゅっと唇を強く結んだ。もう出ないと思っていた涙が零れそうになる。胸もじぐじぐと痛い。
ジェイドへの思いは奇麗にしまっておいたはずなのに、息ができないくらい、胸が痛んだ。