屋上
「今、屋上へは行くなと言われたばかりじゃないか。」
朝海が驚いて声を荒げると、神谷はさも当然のように微笑んで言った。
「だって屋上が一番怪しいんだもの。」
「なんでだよ。」
「浄水器。」
「ああ。さっきの」
体育教師が言っていた、水質調査のことを思いだす。
だからと言いて、今さっきの約束を破るか。
しー。と人差し指を唇に当てながら、神谷が睨んできた。
「大声出さないで。ばれちゃうからさ。」
偉そうにそういうと、階段を登り始めた。
手すりを使っているとはいえ、怪我をしていなかった頃のような軽やかな動きに関心する
階段を5階分上がり、ようやっと開けた踊り場の先にガラスドアが見えた。その先が屋上となっているようだ。
しかし、アルミサッシには鍵がかかり、手で簡単に開けられない作りになっていた。
どうやら屋上に出るにはそのための鍵が必要らしい。
「どうやって鍵借りるんだよ。」
教頭の話が伝わっているかわからないが、あの様子なら、簡単に屋上の鍵を貸してくれないのではないのか。
困惑する朝海をよそに、神谷はまるで平然としていた。
「今から事務の人に言ってさ、浄水器点検業者の者ですって言って、鍵を借りてきてくれない?」
「は?俺業者の人じゃないけど。え?騙すのか?なんで俺が?」
「だってお前、スーツじゃない。」
「普通業者は作業着だろ。」
「セーターのおじさんよりマシでしょ。安田はさっき警察ですって言っちゃったし。
大丈夫、なんか、今日は点検だけですとか、適当な事言っといてよ。」
何か反論しようとして、口を開いて、面倒になってやめることにした。
「わかった。なんか、確信があるんだろ。」
「まあ。あるだろうね。」
「ないやつだな。」
「ないね。でも、怪しいならそこだし、何もしないのは嫌なんだよ。」
神谷は困ったように笑った。
頼れるのは、お前だけなんだよ。と言われたら、そうするしかない。
入口近くの事務室へ行き、水質調査の社員ですと初老の警備員に声をかけると、難なく鍵を渡して貰えた。本当の業者さんに悪いので、後から他の社員が来たら、鍵は開いてると伝えてくださいと話しておいた。
こんなに簡単で大丈夫かと思ったが、神谷は「人はさ、鍵のついた建物の中に入ってきてた人に対して、割と警戒が弱くなるんだよ。入ってしまえば、セキュリティを突破した相応の人だって思われるからね。」と、困ったように眉をひそめる。
もう少し、気を付けて欲しいな。と渡された鍵束を見つめた。
カモフラージュのために安原を校門に配置させ、朝海と神谷は、鍵束を握ったまま、屋上までの階段を登った。
3階の大きな窓に、3分咲きの桜木が見える。
「ああ。春だね。」と、義足で階段を登っていせいか、少し弾んだ息で神谷は微笑んだ。
鍵を開けて屋上へ上がり、浄水層の周りや、排水溝。猿梯子をくまなく捜査したが、爆発物と思われるものは無かった。
「ビニール袋に包んで、水槽の中に入れられてたらわからないな。」
こりゃダメだ。と神谷は両手を突き上げて伸びをした。
お手上げ。というポーズにも見える。
「屋上じゃなかったのかな。」
広い屋上を見回して言った。だだ広い屋上は、もう調べるところが無い。
「どうすんだ。このまま、予告時刻を待つか?」
朝海は自身の腕時計を睨みつけた。正午まで、後15分程しかない。
神谷はぼやぼやとした様子で顎を書いていた。
「そうだね。正午と言えば。」
そう言って急に屋上から階下を覗き込んだ。
丁度、中型のトラックが門を開けて入ってくる。
給食の運搬車だ。
「走って、あれの中を調べてくれ。安原には、俺が連絡する。」
神谷が叫んだ。
同時に、朝海は駆け出していた。
階段を一段飛ばしで走り降りていく。薄いジャケットの裾がひらひらと靡く。
ぐるぐると続く階段に酔いそうになりながら、一階の手すりに縋り付いて体の向きを変え、
体制を整えると、先程確認した給食室へ向かう。
校舎側にいた朝海が、トラックを迎える形になった。
トラック後方には、神谷から指示を受けたのであろう安原の姿が見えた。
「警察です。止まれ。止まって。」
トラックの前に躍り出ると、両手を大きく広げて立ちふさがった。
運転席の白い服でマスクをつけたの男性が、驚愕してハンドルを切るのが見える。
運転席のドアが開き、マスクの下から「何事ですか?」と尋ねながら男性が下りてきた。
構わず車体の下を覗き込むと、エンジンルームの下部に、見慣れない装置がガムテープで張り付けられていた。
「降りてください。あなたも。」
そう言って、助手席のドアを叩いた。
白衣の五十代半ばほどの女性が、顔をしかめながら降りてきた。
朝海は何も言わず、女性の手を掴み、乱暴に車から引き下ろす。
その直後、目の前がわっと明るくなった。
とっさに女性を体の下に押し入れ、かばった。
熱風が朝海を襲い、吹かれるままに飛ばされた。
コンクリートの地面がせまり、女性を抱え込みながら衝撃に備えた。
右肩に衝撃。その後に体が横方向に転がる感覚。
二回転の後に、二人の体は静止した。
そのままの状態で頭を上げると、燃え上がるトラックが見える。
その背後から安原が走り寄り、朝海達と同じように吹き飛ばされて横たわっていた白服の男性を引き起こそうとしていた。
慌てて立ち上がると、少し頭がふらつく。
神谷はどうしているかと思い、屋上に目をやると、灰色の作業着を着た中年太りの男がこちらを見ていた。
目が合うと、驚いたように身を翻して金網の奥に引っ込む。
「安原。二人を安全なところに運べ。本部に連絡しろ。」
そう指示を出し、再度校舎に向かって走った。
窓際に大勢の顔が見える。
爆音を聞きつけ、先の教頭が校庭に走り出てきた。そのすぐ後に体育教師も続いている。
「何ですか。今の音は。」
「校庭に出ないでください。爆破事件です。」
教頭肩を掴んで、その場に押しとどめる。
「生徒を落ち着かせてください。爆発物がまだあるかも知れません。」
「グラウンドへ避難させますか。」
体育教師がしきりに校舎を振り返りながらたずねてきた。
朝海には、この場合どうしたらよいのか、とっさに判断が付かなかった。
従来の日本の防災訓練なら、グラウンドに避難が妥当だ。しかし、これがテロ事件であるならば、障害物のないグラウンドに生徒を移動させれば、銃の標的にさせるために並ばせているようなものだ。
だが、校舎にこれ以上爆発物が無いとも言い切れない。
迷い、答えあぐねていると、不意にポケットの携帯電話が鳴った。
慌てて通話ボタンを押すと、神谷の切羽詰まった声が聞こえた。
「今、犯人っぽい男を、抑えてる。ああこら。すぐ、屋上に来て。」
「わかった。」
短く答えて、電話を切った。
「なんですか。私たちは、どうすればいいんですか。」
縋り付く教頭を押しのけ、朝海は再度走り出した。
神谷は、朝海が走り降りるのを見送った後、すぐに浄水槽の上へ向かった。
義足の脚では猿梯子を登るのに苦労したが、なんとか数分で登ることができた。
神谷が屋上にこだわったのは、犯人の心理を考えてのことだった。
予告文の文体から、何らかの形でここの生徒に恥をかかされ、恨んでいるのだろう。
掲示板で強がって見せても、誰も相手にしてもらえず、それどころかそんな度胸ありはしないだろうと嗤われ、プライドを傷つけられたのだろう。
ならば、いざ実行するなら、その混乱をその目でみたいと考えるはずだ。そしてそれを、高台から睥睨し、見下してやりたいと思っているはずだ。
ここ周辺に、学校を見下ろせる大きな建物は無かった。建物を爆破させて解体する業者でさえ、いくつものダイナマイトが必要なのに、素人のつくる爆弾にたった一つで学校のような頑強な建物を破壊する威力があるとは到底思えない。
犯人がもし、近くで、混乱を見物したいと思っているなら。事前に爆弾を仕掛け、この屋上に待機し、ここまで被害の及ばないような爆弾をどこかに設置しているだろうと考えたのだ。
神谷がようやく浄水槽へ上がった頃。一人の作業服の男が屋上へやってきた。
おもむろにグラウンド側の金網に向かい、懐から小さな無線機のようなものを取り出した。
ひと昔まえのラジオのように、手動で引き延ばすタイプのアンテナがある。
それを掴んで、引き出している。
神谷は梯子にしがみつくと、滑り降りるように降りた。
姿を隠すためにここへ上がったが、失敗であった。
犯人は最も高いここに来ると思ったが、太ましい体の彼には、その選択肢が無かったのかも知れない。
「なんだよあいつら。警察?」
作業着の男が呟き、毒づきながら焦ったように無線機のボタンを押すのが視界の端に見えた。
神谷は、梯子から足が離れるや、男に向かって走り、その背中に肩から追突した。
コンクリートに叩きつけられた男が、短い悲鳴を上げる。構わずうつぶせの背中に跨り、無線機を持った右腕を背後に回して関節を締め上げた。
体重をかけて押さえつけると、携帯電話を取り出し、朝海を呼んだ。
その間も男は何とか逃れようと暴れたが、上腕の筋力を持って、必死で押しとどめた。
体格で勝っていると言え、神谷には片足が無いという決定的な弱点があったのだ。
もし健常な足を持った犯人に逃げられれば、神谷には追い付くすべがない。
作業着の男は必死でもがき、神谷の手から逃れようとする。
不意に、屋上から廊下へ続くアルミサッシのドアが開いた。
朝海が息を切らせて現れる。
神谷は安堵し、ほんの少し、力を緩めた。
その隙をついて、作業着の男が上半身を起こし、神谷をはね飛ばす。
そのまま猛然とドアに向かって走り出していた。
朝海が、少し遅れて、体制を低く整えた。
驚くでもなく、平然とした態度の朝海に、男は少々ひるんだようで、弱々しく二の足を踏んだ。思い出したように、内ポケットを漁る。どうやってそこに収まっていたのか、片刃の大ぶりなアウトドアナイフを取り出していた。
まずい。と思って、神谷は「やめろ」と叫んでいた。
朝海は、やけっぱちのように向かってくる男に、軽くステップを踏むように走り出した。
左足で勢いよく地面を蹴り、とびかかりながら両手で男の頭を抱え込み、右膝を顔面の中心に叩き込んだ。
鼻の骨のひしゃげる音が聞こえる。
のけぞった男の髪を鷲掴み、横転するのと同時に、コンクリートに後頭部を叩きつけた。
男の手から離れた大げさなナイフが、コンクリートに当たり、音を立てる。
朝海は、さらに殴りつけようと拳を振り上げた。その右腕を神谷がすんでのところで掴む。
「やりすぎ。」
呆れたような顔で朝海を見下ろす。その顔は少し青ざめていた。
「なんだよ。」
朝海は、叱られて不貞腐れた子供のようにつぶやくと、膝を叩きながら立ち上がった。
先程の衝撃で、男は後頭部を抑えて横たわったままもがいている。
それを眺めながら。
「殺したかったのによ」
と、小さく呟いた。