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バジリスク  作者: 余一
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二日酔い

「どうせエイプリルフールなんだから、嘘をつこうよ。

と友人の神谷和樹かみやかずきが言った。

お気に入りのバーのカウンターに二人並んで腰かけている時だった。

朝海洋一あさみよういちは、ビールグラスを傾けながら

「嘘だと始めに言っておいて、騙されると思うか」

と冷たく突き放した。


警察学校の学生寮に入っていた頃からの知り合いだ。遠慮はしない。

店内は薄暗く、雰囲気もいいのだが、繁華街から離れているのと、遅い時間のせいか、客も疎らだった。

時刻は23時半過ぎ。地元駅なので、終電を気にする必要はないが明日を考えればそろそろ引き上げたほうが良さそうだ。


神谷は、30代半ばであるのに、少年のような柔らかな人懐っこい微笑みを浮かべた。

元より年齢を感じさせない整った顔立ちの男だ。笑うとより一層、幼く見える。


「もったいないじゃないか。せっかく嘘をついてもいいのに。なあ、本当っぽい嘘をついたほうが勝ちな」

「本当っぽい嘘ってなんだよ」

「一瞬でも、信じたら負け」


以前、共に事件現場へ向かう車内で、そういった企画のラジオ番組を聞いたことがある。

自分たちならどんな嘘をつくか、互いに話し合ったものだ。


朝海は、その誘いに乗ることにほんの少し躊躇した。

何せ、このような口八丁のデタラメは、神谷の得意技だ。奴の領分にわざわざ踏み入れるのは癪だ。

しかし、たかがエイプリルフールの悪ふざけ。何を警戒する必要があるのか。

酔いの回った頭で考えながら、そっと神谷の横顔を盗み見た。

特に、何も考えてなさそうな赤い顔が、へらへらと薄いカクテルをすすっている。

高い鼻がグラスに引っかかりそうだ。


「いいな。何か嘘をつけよ」


朝海は、乗ることにした。

なんてことはない。遊びに付き合うだけだ。


神谷は、赤い色をした細身のカクテルグラスに目を落とした後、左右に視線を巡らせている。

思考を巡らす際の彼の癖だ。


「俺はさ、実は恐竜なんだよね。」


思いついたように神谷が言った。

前方でシェイカーを振っていたバーテンダーが、訝しげにこちらを見る。

ほんの少し、いつもより声が高い。朝海は、こいつだいぶ酔っているな。と内心笑っていた。


構わず、酔っ払いの神谷はホラ話を続ける。

「トロオドンを知っているか?体に対して大きな脳を持っていた恐竜だよ。彼らは、二本足で立ち、前足でバランスをとって走っていた。よく見るティラノサウルスの走り方だね。」

そう言って、神谷は両腕を縮めて、体の前で小さく動かした。

どうやらティラノサウルスを模しているようだ。


「彼らがティラノサウルスと違うのは、連携を取っていたことだ。

トロオドンは小型の雑食性の恐竜だったが、狩りがとても上手だった。初期の人類のように互いにコミュニケーションをとり、先回りして獲物を追い詰めるような頭脳プレイをよくしていた。」


「それは、オオカミとかライオンも一緒じゃないか」


神谷の語り口は、酔っ払いのつたない物から、徐々に饒舌に変わっていった。


「いや、彼らとは違うよ。トロオドンは、予測ができたんだ。物事を先回りして考えるのは、前頭葉のある人類しかできないと言われている。前頭葉を発達させるには、二足歩行して、頭を垂直に近い状態で立てている必要があるんだ。頭蓋骨の面積の関係でね。」


「誰が、トロオドンが予測してたと知ってるんだ。オオカミが予測しいていないと言い切れるのに。」


半ば、矛盾点をあげつらうつもりで投げかけた質問に、神谷はまるで神妙に顔を曇らせた。


「知ってるのは、彼らの遺伝子を受け継いだものだけだ。


彼らは、他の恐竜の絶滅の際には滅びなかった。頭数は極限まで減ってしまっていたけどね。

ようやく生き延びた彼らは、自分たち爬虫類の時代が終わることを、予測していた。

そこで、新たな時代の覇者に擬態することを思いついた。自らの姿を、人間に似せていった。人間になりきることで、生き残ることに成功した。

もちろん、まったく似せることはできなかったよ。

中世の頃なんかはまだ爬虫類の面影を強く残すものなどがいて、それが見つかると、仲間同士で協力して見た人間を残らず殺していった。

目があったら死ぬ。という怪物として今でも語り継がれているよ」


そこまでまくしたてるように喋ると、神谷はグラスの中の赤い液体を飲み干した。

彼の飲むカクテルは、こんなに赤かっただろうかと思いながら、朝海は不思議な気分になっていた。

何やら、ひどく緊張するのだ。

神谷の先ほどのとぼけた気配は消えて、その横顔がまるで、真冬の海面のように鋭利なのだ。


急に他人になってしまったようで、話しかけるのも躊躇してしまう。

しかし、訊ねなくてはならない。そんな気がしていた。


「なんて名前の化け物なんだ。そいつは」


神谷が、待ってましたとばかりに微笑む。

心なしか、その口元から覗く歯が、細く尖っているように見える。


「その化け物は、目に特徴があった。だから、目を見たらいけないんだよ。」


ゆっくりと、神谷がこちらに顔を向けてくる。見たくない。そう思っているのに、その目を、注視してしまう。


神谷は、含み笑いを漏らしながら化け物の名を答えた。


「バジリスクさ」


ゆっくりと目を閉じた。一瞬ほっとして、その瞼が上がるときに、強い違和感を覚えた。

肌色の薄い瞼の下に、透明な被膜のようなものが上がってくる。

その下の瞳孔が、まるで爬虫類のように縦に伸び、その瞳の色が金色に変わっていた。


朝海は、驚いて目を見開き、同時に目覚めた。


神谷の家のリビングにいた。ソファーの足元に仰向けに寝そべり、ローテーブルの下に上半身を突っ込んだ状態で飛び起仰きた。

体を起こした拍子に、テーブルの脚に額をぶつける。痛い。頭が痛い。うめき声をあげたその息が、臭い。飲みすぎた。


先日の自分の不摂生を呪いながら、体を反転させ四つん這いになって立ち上がった。今行かないと、大変なことになる。とてつもない尿意だ。


朝海がトイレのドアを開けると。洋式便器の隣で情けなく土下座している神谷がいた。

押しのけてから、用を足していると、ちょっと。とくぐもった非難がましい声が聞こえた。

「人の隣で、やめてよ。」


土下座した状態から上半身を起こし、トイレの壁にもたれている。

ほぼ目をつむったまま、壁伝いに片足で立ち上がると、一緒に用を足し始めた。

「呑んだねえ。」と、何とはなしに話かけてくる。

「さっき、怖い夢を見たよ。」


大惨事を避けられた安堵感に浸りながら、今朝見た夢の話を神谷に打ち明けた。

どうでも良い話だったが、やけに臨場感があって怖かったのだ。

やはり神谷はどうでも良さそうに返事を返してくる。


「夢っていうのは、深層心理に基づいているらしいね。お前が俺をわけの分からない人間だと思っていることはよくわかったよ。」


「わけが分からないってことはないんだよ。ただ、信用できてないってだけで。」


軽口を叩きながら、ズボンのチャックを上げて壁に掛けてある時計を確認した。

午前9時を回っていて一瞬驚いたが、今日は有給を貰っていたのだ。


安心して手を洗い、顔を洗い、冷蔵庫のビールに手を出して神谷にひっぱたかれた。


「昨日の今日で、それはやばいって。」


呆れながら片足でぴょこぴょこと進むと、右足に、ほっぽり出してあった義足をはめた。

その状態になってほんの2年しかたっていないのに、慣れた様子で上手にそのまま歩き出すと、インスタントコーヒーを淹れるためお湯を電気ケトルで沸かし始めた。


昨日は、命日だった。

神谷の妻、神谷咲と、娘の麻衣アサギの殺害された日だ。


未曽有の大事件。

2年前の2017年4月1日、14時32分。

私立病院が爆破テロに会い、神谷は妻と、娘と、右足の膝から下を失ったのだ。


その怪我が原因で警察官としての職を追われた神谷は、妻が開いていた小さな花屋で店主として生計を立てていた。


「砂糖と牛乳、いる人だっけ?」

「両方いる」

神谷が湯を沸かしている間、朝海はテーブルの上を片付ける事にした。

散乱する空き缶をゴミ袋に押し込み、スナック菓子の袋を集めるとそれなりに片付いた。

皿は洗うのが面倒なので端に重ねておいた。

「ありがと。布巾いる?」

神谷が返事もしないうちに台布巾を投げてよこした。

横から叩くようにして受け取めると、適当にテーブルを拭く。

もたもたしている間に、神谷がマグカップを二つ持って現れた。


「店は、何時から開くんだよ」

「10時から。もうそろそろ仕度しないと。」

花屋は家のすぐ隣にあるので問題ないだろうが、自分がいたら片付かないだろう。

朝海は、コーヒーを飲んだらさっさと自宅に戻って寝直そうと考えた。


可愛らしい小さな蝶のイラストがプリントされたマグカップに口をつけると、思いの他大量に砂糖を入れられていて、思わず顔をしかめる。

「甘い。」

「砂糖いるって言ってたからさ。」

「すげー甘い。」

文句を言いつつコーヒーをすする朝海を満足げに眺めながら、神谷がテレビの電源をいれた。


「対策班の仕事は順調?テロの。」

「順調じゃない。何も起きないからな」


2年前のテロ事件以降、テロ対策部が設けられた。これは、一年後に控えた東京オリンピックに備えたものでもあった。

病院への爆破テロによって、13人の死者と、51人の重軽傷者か出た。それは、のちに駆け付けた消防隊員への被害も含まれる。

その後も起きた模倣犯によるテロもどきの放火や暴動などによって、オリンピックの開催への不安感が高まり、国が国民の不安を払拭するために立ち上げた部隊だったが、そのテロブームとも呼べるような時期が去った後は、ただの見回り部隊と化していた。

「何も起きないなら、いいことだね。今後も何も起きなきゃいいんだけど。」


まるで他人事のように、薄いブラックコーヒーを飲みながら神谷が言った。

何も起きなきゃ、犯人の手がかりが追えないじゃないかと言いたかったが、被害者遺族の彼にとって、同じような事件が起こるだけで痛ましい事なのは間違いない。

「でも、それじゃ犯人の手がかりも、追えてないんだ?」

まるで朝海の心を読んだように、神谷が言った。

「そろそろ、また起きるかも知れないよ。こういうのは皆忘れたころに来るから。」

「不謹慎なこと言うな。」

顔をしかめながら咎めたが、神谷は平然としている。

「だって、そのテロ対策部員が、事件発生2年目の事件発生日に、友達の家で飲んだくれてるくらいだし。」

そういって無精ひげの伸びた二日酔いの朝海を揶揄した。

ばつが悪くなってマグカップの縁をいじっていると、そうだ。と神谷が急に声を上げ、重ねられていた皿を持ってソファーから立ち上がった。


「今日の3時から、空いてる?被害者の会があるんだよ。」

被害者の会、という単語を、なんとも明るく話すものだ。朝海は呆れて神谷を見上げた。

長身の神谷は座ったまま見上げると首のストレッチをするような形になる。頭痛がぶり返してきた。

「今日は休みだから空いてる。でも、遺族じゃないのに参加してもいいのか?」

「咲はお前と俺より付き合いが長かったんだし、無関係じゃないだろ。皆の話を聞けば犯人を割り出すヒントになるかも知れないし。一人増えたってばれないよ。」

そう言いってから、困ったように目を細めた。

「それに、実は初めて参加するんだ。去年は落ち込んじゃっててそれどころじゃなかったし。一人だと不安なんだよ。」


そう言われては仕方がない。朝海は一緒に参加してやることに決めた。

実際、被害者の証言は一通り聞いていたが、当時は皆混乱し、心の整理も着いていなかっただろう。

少しは落ち着いているであろう今の意見を聞けば、何か新しい発見があるかも知れない。

聞けば、今日は花屋を午前中いっぱいで閉めるそうだ。

14時に落ち合う約束を取り付けると、朝海は一度家に戻ることにした。



テロ対策や警察の組織図など、無知に等しい状態で書いています。

もし矛盾点やおかしな所、不適切な表現があればぜひコメントして下さい。

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