日常2
離れにある道場から居間までは結構な距離がある。
空腹を訴えてくる自らのお腹の音を聞きながら隼人は少し小走りで居間への足を更に速める。
源家は先祖代々この地に住んでいる。ご先祖様たちが努力したようで、敷地は結構な広さがあった。
そこに佇む立派な平屋の日本家屋が隼人の家である。
これだけ広いと手入れが行き届かない場所がありそうだが、どこもきちんと手入れが施されており、
この長い縁側の廊下にしても朝日を反射してキラキラと輝いている。
母親は家事全般に手を抜かない人だが、流石に一人ではこの広さを掃除しきれない。
この状態を維持できるのは祖父に出稽古をつけてほしいとやってくる
他流派の当主やその門下生の人たちが
講習代を取らない祖父への感謝の印として掃除をしてくれるおかげである。
源流体術は基本的に門下生はとらない。
所謂一子相伝の流派で、現当主は隼人の父である剛久。
源家は代々要人警護を家業としており、
剛久はその世界では知らない人はいないと言われるほどの実力の持ち主である。
そのため、剛久の警護を受けたい要人は数多くいるが、
自分の気に入った相手以外は警護しないと言う剛久の信念がある為、
だれでもお金を積めばその警護を受けれるということではない。
その考えは祖父もそうであり、次期当主になるであろう隼人もそうでる。
過去にはマスコミや世間の考えでは悪だと言われる人が剛久に警護を依頼し、
話してみると気が合ったから警護することにしたということも・・・。
【しばらくすると、事件などの経緯が紐解かれ蓋を開けてみれば剛久が警護した側が
被害者だったのだが、これはまた別のお話し・・・。】
家にいるときはそれこそ1年単位で暇そうにしているが
1度仕事が決まれば1年単位で家を空けるため、
留守の間の隼人の鍛錬の面倒を見ているのは祖父である清十郎だ。
源一族には代々普通の人には無い高い身体能力があり、
源流体術はその身体能力がある前提ですべての型が組まれているために、
普通の人が会得したいと思っても不可能であり、そういった意味でも一子相伝ということになっている。
そんな源流に出稽古を頼みたいというのは
その優れた強さを一目見たい、出来ることなら何か自分を高めるヒントを見つけたいと言う
理由はもちろんなのだが、
一番は清十郎の武への考え方、また武を持つ者としての考え方など、
精神の部分の教授が大変ためになると毎週末熱心に足を運んでくれる人が大半である。
隼人や剛久も幼いころからこの考えを教わっている。
磨き上げられた廊下を抜け居間に近づくと焼き魚のいい香りと一緒に楽しそうな賑わいが聞こえてきた。
「おはよう!」
隼人が顔を出すとみんなが一斉に挨拶を返してくれた。
皆はすでに食べ始めており
「隼人の家のご飯はいつ食べても絶品だ。やはり隼人の朝食の安全は保障できそうにない。」
いつも落ち着いている和輝のテンションが高い。
「あげないからね・・・。」
そんなやり取りをしていると
「ほら隼人、早く食べなさい。せっかくのご飯冷めちゃうわよ。
今日はね、アスナと2人で作ったの。
で、せっかく和輝君っていうスペシャルゲストがきてるから、
私とアスナどっちの料理が男性陣のハートをつかむか勝負することにしたの!」
母さんはすごくうれしそうだ。
「食事が終わったら各々どのメニューが一番おいしかったか結果を感想込みで伝えなさい!」
母さんは家事全般が趣味だが、昔からこういった遊びをすぐにやる。
なんでも家事は趣味だけど、時折ちゃんと評価してもらえないと何事も張り合いがない!
アスナと言うライバルが日に日に実力をつけてきており、比べることでより一層張り合いがでるし、
何よりアスナの花嫁修業だ!!と言うことらしい。
そう言われて改めて今日の朝食を見渡してみると
・あさりの炊き込みご飯
・ブリの塩焼き
・三つ葉と玉子のすまし汁
・漬物三種盛
・ひじきの煮物
・ミニトマト、ハム、レタスのサラダ
といった具合だ。
隼人もさっそくいただく。
空腹も限界に達しており、美味しいのはいつものことなので
正直無心でがっつきたかったのだが、母さんにああ言われた手前、
なんとか理性をたもって一口一口考えながら口に運ぶ。
あさりの炊き込みご飯はあさりのダシがよく出ているし、
ニンジンやこんにゃく、ごぼうなども入っていて触感もあきが来ないうえに、
さらに生姜の風味が食欲をそそって結局朝から3杯お代わりしてしまった・・・。
ブリの塩焼きに関しては無駄な味付けは一切なくシンプルだったけど、
外はカリッと中はフワッととありきたりだけどその表現がぴったりな
絶妙な焼き加減で、ゆっくり食べたかったのだが、気が付いたら箸が止まらなくて無くなってしまった。
横に添えられていたみょうががくどくはないのだが、油がのったブリの後味をサッパリとさせてくれて
次に食べる料理の邪魔をしないという名脇役ぶり。
三つ葉と玉子のすまし汁は三つ葉のさわやかな風味と香り、シャキシャキとした触感を
損なうことなく調理されているし、
透き通った綺麗なお汁は時間をかけて丁寧にダシをとっているのだろう、
三つ葉の香りに負けないくらい香り高く、旨味が口の中いっぱいに広がる。
そして玉子は何か手を加えているのだろうか?トロっフワっそんな表現がぴったりな状態で
すまし汁の中にふわふわと漂っている。
漬物三種盛は爺ちゃんの趣味でこりにこられて作られているため美味しいけど、
今回のこの勝負からは外そう。
ひじきの煮物も昨日の夕飯で出てきてるし、
このシンプルなサラダが一番好きだなんて言ったら今後の俺の家での立場が危ない。
どれも感想を考えながらでもあっという間になくなってしまうほどおいしかったのだけど、
この場合最初の3つから結論を出すのが妥当だろう。
最初に口火を切ったのは爺ちゃんだ。
「この漬物は最高じゃった!!一体どんな人がどのような材料、手法でつくったのか聞いてみた・・・。」
爺ちゃんははじめこそ胸を張って自信満々に話し出していたのだが途中からだんだんと
声が小さくなる。
視線をたどってみると母さんが満面の笑みで笑っていた。
それはそれは一転の曇りもない笑みだ。
しかしその笑みを直に向けられている爺ちゃんの口調はだんだんとモゴモゴしたものに
変化していく・・・。
爺ちゃんの精神論を熱心に聞きに来ている屈強な人たちがこの光景を見てどう思うだろうか。
もしかしたら母さんに鞍替えする人が現れるんじゃないだろうか・・・? そんな気さえする。
「じょ、冗談は置いておいてじゃな・・・・ほ、ほらワシっておちゃめなところがあるじゃろ?」
そんなことを言っている爺ちゃんの額にはうっすらと汗が見える・・・。
ゴホンと咳ばらいをした後に気を取り直した爺ちゃんが再び話し出した。
「ワシはブリがよかったのぉ。焼き加減がよくて箸が止まらんかったわい。
料理は味付けももちろん大事じゃがこういう焼き加減は経験つまんと無理じゃからな。
しいて言えば、酒にもう少しつけて ウンヌンカンヌン・・・・。」
今回の感想には満足したのか母さんは相変わらず笑顔のままだけどさっきまでと違って
”なにか”は感じない。
「俺はどれも美味しくて、甲乙つけろなんてできそうにないですね・・・。」
和輝は眼鏡の両端を片手で押さえながら悩んでいる。
どうやら本当に困っているようだ。
「そんな深く考えなくていいわよ。純粋にこれが好きでまた食べたいってのを聞かせてくれればいいの。」
ね?といった感じで母さんがアスナを見た。
それまで行儀よくゆっくりとご飯を食べていたアスナが手を止めて
「うん。聞かせてほしいな。毎日の励みになるから。」
穏やかな中にも力強さを感じる口調でアスナはこたえた。
俺もいつかは爺ちゃんや父さんを超える!と思ってるからかな?
いつかは母を超える!といった意気込みを今日は特にアスナから感じることができた。
「そういうことでしたら・・・。僕は炊き込みご飯ですかね。」
悩みこんだ末に和輝は意を決したように語りだした。
「まぁうちで用意されている朝食が・・・といった理由もあるんですが、
僕はあまり朝からがっつり食べるタイプでは無いので。
でも、このご飯は本当においしくて隼人と同じだけ食べてしまった。
きっと色々と手間がかかっているんでしょうけど、僕の舌如きでは美味しい、もっと食べたい!
くらいしかわからなくて・・・気の利いたことが言えなくて申し訳ないです・・・。」
「あら!?それすごくうれしい答えよ。男性としては100点あげてもいいんじゃないかしらね?
素直においしい、もっと食べたいなんて作った側としてはうれしい限りよ。」
アスナも力強くうなづいている。
「それに引き換えうちの男共はねぇ・・・。褒めてはくれるんだけど
自分たちは料理の”り”の字もやらないくせに、美味しかったでもこうすれば・・・。
とか一言多いのよ~。」
母さんは和輝の感想にご満悦だ。
しかし今の母さんの意見、聞き捨てならない・・・。
爺ちゃんと父さんはわからないが、
俺に至ってはそう言えと母さんに教育されてきたのだ・・・。
キッチンは母さんとアスナの聖域だから入ってくるなと教え込まれているため、
料理なんて調理実習や宿泊学習のときしかやったことはない。
更に、どうやら俺は様々な感覚が爺ちゃんや父さんより鋭いらしく、味覚も例外じゃなかった。
そのことで、新メニューを作るたびに小さいころから美味しいのその先を言え、
さらに自分なりにどうすればよりおいしいと思うかを教えるように言われてきたのだ・・・。
なんと言うか知らない間に母親の趣味のために
男として将来めんどくさいやつに育てられているのではないかと言う疑念を抱かずにはいられない。
そのことを追求したいと思うのだが、和輝の照れくさそうな表情とご満悦の母さんを見る限り、
今はその時ではないと心の奥底にしまいこむ。
最後になってしまったのと、アスナも食べ終わり全員の視線が俺に集まってしまった・・・。
さっきの母さんの意見もあってなんか言い辛い雰囲気だが・・・
「今日もどれも美味しかったよ!
でもこの中であえて1つ選べと言うなら・・・俺はすまし汁かなぁ~。」
それを聞いたアスナが少しピクッと反応したように見えた。
「三つ葉や、玉子の調理の仕方に気を取られがちだけど、
これダシがすごく美味しいよね。なんて言うか旨味がすごくて雑味がないというか、
材料とか下処理とかすごく手が込んでるんじゃないかな?
いつも料理に使ってるダシも美味しくないわけじゃないけど、
これに比べるとかなり落ちるよね。
多分毎日これ作るなんて無理そうな気がするけど毎日食べたいならこれかなぁ~。」
そんな感想を言い終わるころにはアスナの顔がなぜか真っ赤になっている。
「やっぱ隼人は良い舌持ってるわね~。」
母さんはさっきとは違った意味で、なぜか満足そうにうんうんとうなっていた。
「これね、隼人がすまし汁好きだからってアスナが材料を商店街の出汁屋さんに行って大将と
ああでもない、こうでもないって言いながら取り寄せまでして揃えた材料で丁寧にとったダシなのよ。
こんな高コストで手間のかかるご飯毎日作ったら私たち過労死するわね。」
料理が趣味な母さんがここまで言うんだから相当な手間があるのだろう・・・。
そんな料理を作ってくれたアスナに俺は
「すごくおいしかった!手間はかかるみたいだけどまたいつか食べたいな。」
本当に心からそう思ったのでまっすぐ目を見つめて感謝を伝える。
「うん!」
そんな俺に頬を紅く染めながら太陽の光のようにまぶしい笑顔で頷いた。
「で、結果は~私が2票でアスナが1票だから私の勝ちです!
まあ~アスナはその1票が欲しかったから試合に負けて勝負に勝ったのかなぁ~。」
母さんがそんな感じで茶化すとアスナはさっさと食器を片づけてキッチンに引っ込んでいった。
「僕も隼人の家の養子になろうかな・・・。」
その様子を見ていた和輝がポツリとつぶやいた。
「あら!?和輝君が私の息子になるの!?いいわね!
和輝君みたいな知的系イケメン?っていうの?家いないから
息子になってくれたら私は鼻高々ね!隼人なんて女の子って言われても通るくらいだし。」
和輝を褒めるのはいいけどなんでそこで自分の容姿が引き合いに出されるのか・・・
昔からそうだったが、今でも母さんと俺、アスナで歩いていると女性が3人で歩いていると思われて
ナンパされたりするのだ・・・。
コンプレックスを抱えている隼人はさっきまでとは打って変わって
どよ~ん
という効果音が付いていそうなほど落ち込んでいるのが周囲に伝わった。
そんな空気をかえたかったのかはわからないが
「養子ではなく・・・僕がさくらさんと結婚するという手もありますね!」
なかなかにとんでもないことを言い出した。
「まぁ!」
知的系イケメンの思わぬ攻撃に母さんはちょっと・・・というかかなり嬉しそうだ。
「女性の年齢のことをとやかく言うのは失礼とは思いますが、
以前さくらさんは33歳だとお聞きしました。
僕は年上の女性がタイプですし、さくらさんほどの女性がお嫁さんになってくれるなら
男としてどれだけ幸せでしょうか!」
芝居ががったセリフを大げさな身振り手振りを交えながら母さんを口説いている。
和輝は基本落ち着いた性格なのだが、
たまにこういった突拍子もないおふざけで周りを和ませてくれるからすごいなと思う。
母さんは若くして父さんと結婚したため、
今でも一緒に歩いているとよく姉と言われる。
結婚当時は超若奥様だとご近所でも噂になったそうだ。
そんな母さんが今17歳から口説かれていやんいやんと嬉しがっている・・・。
「そうね~。でも私には剛久さんっていう大事な人がいるから結婚は難しいわね。」
ひとしきり芝居も終わったころに母さんがのろけだす。
父さんとの過去から現在までのなが~い恋愛話が始まろうとした瞬間、すかさず
「流石に剛久さんにはかないませんね!残念ですがあきらめます。」
まさしくスパッ!!っと母さんの話を止めて見せた。
流石だ・・・。和輝のこういう部分も見習いたい。
俺ならそのままつかまって学校に遅刻してしまうと思う。
「そういや和輝よ、お主もうそろそろ大会じゃろうが?仕上がりはどんな具合なんじゃ?」
一連の流れを熱いお茶をすすりながら見ていた爺ちゃんが問いかける。
「そうですね・・・。自分ではなかなかの仕上がりにはなっているとは思うのですが・・・。」
先ほどまでとは打って変わって今度はいつもの落ち着いた和輝だ。
「お主がなかなかと言うんじゃったらまぁ今年も優勝じゃろうな。
あれから目ぼしいの出てきておらんのじゃろ?」
「去年の大会後からいろんな試合を見てはいますが
確かに目を引く選手はいませんでしたね・・・。」
和輝は去年、主に大人が出場する空手の大会で優勝した。
小さい頃からその才能を見込まれて爺ちゃんもよく知る師範に稽古をつけてもらって以来、
めきめきとその頭角を現し今では日本一だ。
そんな和輝はどうやらまだまだ強くなりたいみたいだが、
ひいき目を抜きにしても空手で和輝を上回る選手はそういないだろう・・・。
そんな気持ちをくみとった爺ちゃんが
「お主 今度、家で合宿してみるか?」
その言葉を聞いた和輝の顔から笑みが漏れた。
「本当ですか!?僕はうれしいですけど・・・。」
「どうした?ゆうてみい。」
「はい。源流体術は門外不出ですよね?隼人と一緒に稽古させてもらっても・・・?」
「そうじゃな。確かに技を教えるとかそういったことはできんよ。
お主には失礼かもしれんがこいつにも空手の技は教えておるから
隼人には空手の技以外は使わせない。更にはいろんな制限をかける」
「・・・。」
「しかし、それでもそこいらにいるようなのに比べれば十分有意義な稽古はできると思うがのぉ。
どうする?」
和輝は少し悩んだのちに
「おねがいします!」
と力強く返事をする。
「いい返事じゃ。お前の師範と剛久にはワシからゆうとく。」
満足そうに爺ちゃんはまた熱いお茶をズズズと飲んだ。
「ですが・・・。」
「どうした?」
「僕には有意義ですが、隼人はそれでいいのでしょうか?」
どうやら自分に付き合うことで俺の鍛錬の妨げにならないか心配してくれているようだ。
「それには及ばんよ。隼人には様々な状況に対処できるようになってもらわなければ困る。
そのなかで、空手についてより精通し、理解を深めるよい機会になると思ってな。
なにもお主だけに利点があるわけではないから何も遠慮せんでええ。」
それを聞いて和輝はホッとしている。
「あとはご両親じゃな。」
「それは心配しなくていいです。
あの人は俺が空手で結果を出すことを望んでいますので、特に反対することはないでしょう。」
爺ちゃんや皆も気になるようなそぶりは少し見せたがそれ以上は何も言わない。
「では、日程はまた決めるとして各々日々の鍛錬を欠かさぬように。」
「はい!」
2人の力強くはっきりとした返事が居間を気持ちよく震わせる。
隼人を取り巻く環境の暖かさを伝えたくて書いたのですが、
気づいたらグルメ小説みたいなことになってました・・・。