試合
ピリピリと張り詰めた空気が道場の中を包んでいる。
相手は構えをとったまま微動だにしない。
こちらはステップを踏みながら間合いを小刻みに図っているにも関わらず
どのフェイントにも反応すら示さない。
自分の戦法は主にカウンター狙い。
相手の動きに合わせてそこに最良と思える一撃を叩き込むことに全てをかけている。
そして自分にはその動きを見切るだけの眼がある。
それがどうだろう・・・。
この相手に至っては自分の胸辺りに視線を定めて全身を捉えたまま
石像のように動かないのである。
こんなことは初めてだ・・・。
和輝と隼人、二人は一定の距離が縮まらないまま対峙していた。
「和輝よ。お主全力で振り抜いたことはあるのか?」
和輝の道場では基本的には寸止めだ。
「・・・まぁ、ええ・・・全力で振り抜いたことはあります。」
脳裏に晃との衝突の記憶が思い出される。
煮え切らない答えなのは和輝の師範が競技としての空手、
健全な精神と健全な肉体を理念に教えを説いているためだろう。
晃との衝突の後の和輝をみてしばらく稽古を禁止したりもしていた。
「わしの目から見てもな、”競技として”のお主の空手は殆ど完成されておるよ。」
「競技として・・・ですか。」
「まぁそんなもん今更わしに言われんでもわかっとるじゃろうが、
最終的なお主の目標しだいじゃろうな。」
清十郎は和輝の様子をチラリと見る。
少し考え込んでいるようだ。
「お主の師範とも最近よくそのことを話すわい。」
「え?師範とですか?」
「ああ。お主のその才能は素晴らしい。
今までは日本一という目標に向かって邁進してきた。
じゃがどうじゃ?最近張り合いがないんと違うか?」
図星をつかれ和輝はわずかに動揺している。
「まぁ自然な流れでは日本一から世界そういう道が思い浮かぶじゃろう?」
「おっしゃる通りです。」
和輝は意を決したように自分の想いを語りだす。
「この眼のことをいち早く見抜いてくださり、
師範と引き合わせてくださった清十郎さんには本当に感謝しています。
その日以来師範と共に日本一の座を目指して日々精進してきました。」
それは初めて隼人の家に遊びに来た時のことだ。
三人で楽しそうに鬼ごっこで遊ぶ姿を遠目から清十郎は見ていたのだが、
和輝の見事な体捌きに違和感を覚えた。
アスナはもちろんのこと、まだ幼いとはいえ身体能力が高いはずの隼人が
和輝を捕まえられないのである。
無駄な動きも多いが、最小限に近い動きで隼人の腕をかわしすり抜ける。
その様子が面白いのだろう三人はケラケラと笑っているが清十郎は目が離せなかった。
遊びが一段落したところを見計らって声をかけ、
その眼の力、才能にいち早く気が付いたというのがことの始まりだ。
その日以来、その良すぎる眼を隠すために眼鏡をかけて視力を調整している。
この眼鏡は源家お抱えの特殊な仕事着などを製作している職人による特注品だ。
隼人ももちろんいい眼を持ってはいるが、
隼人はその優れた動体視力で相手の攻撃の初動を確認し、
対処を始める。
対して和輝の眼は
攻撃を始める前の視線や全身の筋肉の動き、
体重移動などを見切り、
そこか繰り出される攻撃を予知能力と思えるレベルで予測し、
対処を始めるのだ。
わかりやすく言えば、
隼人はじゃんけんをする時に相手の指の動きを見て自分が勝てる対処を行う。
和輝は表情のわずかな変化や腕の筋肉の動きなどから予測し対処をはじめ、指の動きで決定的に絞り込んで
自分の勝ちを決定的にする。
人より一手も二手も先に行動することが可能なのである。
「隼人と思いっきりやってみるか・・・。
一度自分の持てる全て、今のありったけを出し切ってみるのもええじゃろ。
そこから得るものもある。
以前いっとった合宿前にお主の今をみせてみぃ。」
この試合はそんな清十郎の鶴の一声から始まったのだ。
爺ちゃんからは
力は使わないこと
和輝の眼を意識して試合を行うこと
この二つの注文を受けている。
稽古と違い、試合というならば話は違う。
物心ついた時から構えてきた型をとる。
和輝を正面に捉えて全体を見据える。
爺ちゃんから眼を意識しろと言われている以上、
無駄な体重移動なんかは和輝に付け入るスキを与えるだけだ。
流派自体が一撃必殺を得意としているし、
その上でのあの眼となると、カウンターを合わせられるとキツイ。
飛び込む時は一瞬。
源流体術で一番初動から到達までが早い
”閃”
そこから・・・
まいった・・・。
人間というのはこうも停止することができる生き物なのだろうか・・・。
機械のスイッチがOFFになっているような・・・それほど隼人は動かない。
いつもなら残像の逆のようなものが、わずかな動きから見えてくるから、
その動きに合わせて詰将棋のような感覚で相手の動きを殺していくのだけど
これでは殺しようがない。
この動かないという異常な状態も隼人の基礎身体能力の高い部分から行われているのだろう、
OFFになっているのだから構わず打ち込めると思うのだが・・・
相手はあの隼人だ。
起動までの時間は恐らく一瞬。出方がわからない以上
こちらから打ち込むという気にもとてもなれない・・・。
自分より一回り小さく動かない相手からこれほどのプレッシャーがあるなんて・・・。
和輝の頬に一筋の汗が流れ落ちる。
汗が顎の辺りまで流れ・・・和輝の身体から離れようとしたまさにその刹那
隼人の身体からわずかに残像が現れた。
来る!!!
和輝は即座に残像に合わせて攻撃を受け流し、体制を崩そうと試みる!
しかし、思ったよりも残像と隼人の動きにタイムラグがない!?
体制を崩すなんて余裕はない!これは防がないと・・・・
ほぼノーモーションのような状態から繰り出された隼人の左手が
恐ろしいスピードで顎の先端めがけて伸びてくる。
源流体術 ”閃”
この技は言ってしまえばノーモーションから全身のバネを使っての恐ろしく速い左突き。
そしてその狙いは相手の顎の先端。
一見シンプルとも思えるこの技は、ノーモーション、突きの正確さ、そして速さ、
全てが高度な次元で必要とされる。
決まれば刹那で相手の脳を揺らし気絶させることができるため、
なずけられた名前が”閃”
おそらく常人が見ると隼人が動くと同時に相手が倒れている・・・そんな速さである。
達人の居合を彷彿とさせる。
パンッ!!!!
乾いた音が道場に響き渡る。
和輝が隼人の閃を左手でなんとか防いだためだ。
閃はテコの原理を利用して脳を揺さぶることが目的で、
速さのみに重点を置いているため拳の重さはさほどない。
”この拳をこのまま掴んでこちらから!!”
そう思った矢先、和輝はギョッとした。
和輝の実力を始めから認めている隼人は
閃は端から防がれると思っているため、
その勢いのまま懐に飛び込んできたのだ。
ドンッ!!
と凄まじい音を立てて隼人の右足が踏み込まれ
アッパーのような角度から掌底が顎めがけて迫り
ヒットした!
しかし和輝はこれを衝撃に逆らわず、
自信が後方宙返りすることで何とかいなして見せた。
「おお、やっぱいい眼もっとるのぉ~」
そんな声が道場の端から聞こえる。
「今のコンビネーションで並みのSP程度ならかたが付いてる。
それを高校生がかわすとなると・・・まったく隼人の交友関係には恐れ入るよ。」
清十郎と剛久はこの試合を興味深そうに観戦していた。
流石和輝だ。
正直決めに行ってた。
閃をフェイントに使用してもその眼で俺の次の手を捉えた・・・。
このコンビネーションで倒れなかったのは今まで手合わせした中では
爺ちゃんと父さんを除けば晃くらいのものだ。
晃の場合は暴れて手が付けられないときに
両方ともヒットしたにもかかわらず倒れなかったんだけど・・・。
ふぅ・・・・と隼人はもう一度呼吸を整えた。
次は手数で行こうか。
隼人は一気に畳み掛けるべく距離を詰める。
隼人の恐ろしい速さの拳や蹴りのラッシュが上下左右様々な軌道で襲い掛かってくる。
それを眼で追いながらなんとか かわす いなす 防ぐ。
とても反撃どころではない。
開始直後に防いだものとは全く違い、一撃一撃が重い。
防ぐのは最小限にしなければ防いだ箇所からのダメージでいずれは
手足が言うことを聞かなくなるだろう。
隼人との手合わせは何度かした。
しかしそれはお遊び程度だ。
空手と同じ寸止めで一本先取で終了そんなところだ。
今回はそうではない。
どちらかが倒れるまで、そういうルールだ。
もちろんハンデがあることはわかっているが、
隼人の攻撃をここまで耐えている自分が正直嬉しい。
これだけの猛攻を防げている自分が、誇らしい。
自分の今まで歩んできた道に間違いはなかったのだと今は心からそう思える!
和輝の心にそんな感情が芽生えだしたその時、
先ほどまでは気が付かなかったのだが、
隼人の動きの中に
針の穴のように細く小さいスキが見え隠れしていることに気が付いた。
これだけの猛攻を凌ぎながらその刹那を狙うことができるだろうか。
和輝は自信の頭の毛穴がすべて開くような・・・そんなゾワゾワした感覚にとらわれる。
狙えるかではない・・・狙い!打ち抜くのみ!!!
隼人の蹴りを右足でいなす・・・違う!スキは現れない・・・
左右からのコンビネーションパンチを両手でいなし
そこからの蹴りを上体のみでかわす・・・・これもダメだ・・・
和輝は夢中で気が付いていないが隼人との刹那の手合わせの中で
本来のスタイルである詰将棋を確立しかけていることに清十郎と剛久は気が付いていた。
「隼人は贔屓目抜きに基本状態でも特上だ・・・。それを相手にこれだけとなりゃ
かなりのもんだぞ親父・・・。」
「あやつ何かしらを振り切りよったの・・・。こりゃもうすぐ更に化けるぞ」
二人は才能が開花するような場面を前に興奮気味である。
圧倒的に攻められているにもいるにもかかわらず、
積み上げている感覚が色濃くなっていく・・・。
焦るな・・・一撃でもまともにもらえば勝負がついてしまう。
これも違う・・・これも・・・
隼人の突きを右にいなし・・・
そしてついに・・・
ここだ!!
必殺の回し蹴りを隼人の頭部めがけて叩き込む!
スパァァァァァァァァァン!!!!!!
道場中に響き渡った空気を切り裂く音と共に繰り出された
死神の鎌の如き和輝の左足は
寸前のところで隼人の右腕によって防がれてしまった・・・。
しかし、それを防いだ隼人の顔は苦痛に歪んでいる。
ゾクッ!
突如和輝は背中に冷たいものが走るのを感じた。
その原因を探るべく眼を動かすと、
隼人の眼が今まさに蒼く変化しようとしているそんな瞬間であった。
「そこまで!!!!」
清十郎の鶴の一声から始まったこの試合は
清十郎の鶴の一声で終わりを迎えるのだった。
※ 主人公は隼人です。 隼人です!
大事なことなんでね・・・・。
和輝のこと書くと文字数が多くなるなぁ。
筆者が好きなんでしょうね。