006
“横浜市立東原高校 家庭科部 三年 山本佳奈”
少しだけ手が震えた。
椅子の背に体を預け、は――――――と長く息を吐く。
―――これ、本選の要項。金曜までに書いといて。
そう言ってこの紙を渡されたのは三日前の月曜日。私の手の中には今、スイーツコンテストの全国への切符がある。
早く書こう書こうと思っていたが、怖くてなかなか書けなかった。これを見越して若菜先輩は五日間も時間をくれたのだろう。
ふと、耳にボールを蹴る音が聞こえた。
(また、残練してるのかな……)
神谷先輩かも、と私は立ち上がった。放課後の教室には誰もいない。先ほど日和が通りかかったぐらいで廊下を通る人もいない。
心地いい静けさの中で、私は窓から外を見た。目を凝らすと思った通り、神谷先輩が一人でボールを蹴っていた。私にも分かるくらいにきれいなフォーム。オレンジ色に染まった景色の中の神谷先輩は映画のワンシーンに出てきそうな輝きをまとっていた。
神谷先輩が大きくボールを蹴った瞬間だった。
「………スイーツコンテスト本選エントリー要項?」
ハッと、私は窓から身を離し、振り返った。そして―――凍りついた。
一瞬、眉をひそめる日和の顔が頭をよぎった。そこに居たのは、日和が“気をつけて”と言っていたワル連中だった。
「予選通過したらしいじゃん? おめでとう」
リーダー格の女子が手に持っていた紙をひらひらと振って見せた。
――――あ、それ……
コンテストの要項―――――!!
「ちょ………か、返して!」
「え、なんで?」
つかみかかる勢いで彼女に駆け寄る。
でも、それはもう、遅すぎた。
彼女の口元がおかしそうにゆがんだ。と同時に―――彼女はかんまんな動作で要項を破った。
彼女が私に見せつけるように手を開く。要項と一緒に破かれた私の夢が、無残に床へと散っていく――――。
カッと頭に血が上った。怒りに任せて、私は彼女の胸倉を突き上げた。
次の瞬間、膝がかくん、と折れた。
ひざの裏を蹴られた、と認識する前に、体が宙に浮く。喉が、しまる。
「うっ……は」
脇腹、鳩尾、脛、四方から蹴りが入る。
何が起こっているのか、分からなかった。ただ、痛くて、怖くて、つらかった。辛うじて薄眼をあけた瞬間、誰かが私を持ち上げていた手を離した。
投げ出された勢いで、机に頭を打ちつけた。
「……った…………」
少しの間、意識が飛んだ。
目を開けたのは、激しい痛みが原因だった。冷たい床が体の下にあった。
何するの。私が何か悪いこと、した? 何か責められるようなこと、した?
ねぇ、誰か教えて。
「馬鹿じゃねーの」
誰かが言った。誰がいったのかももうわからない。
「目立つことするなってクラスメイトから言われなかった? うざいんだよ、そーゆーの全部」
冷たい声。あの、触れたら怪我をしそうな、冷たい視線。
「最近は神谷先輩にストーカーまがいのこと、してるらしいじゃん?」
違う、私はただ………。
私は思わず目を上げ、口を開いた。……唇から洩れ出たのはかすれた無声音だった。
「お前が神谷先輩に近づくとか百年はえーから」
「―――……っ……」
声が出ない。怖い、怖いっ――!
私はひたすら目を閉じて、彼らが去るのを待った。私に、これだけのことをしておいて、彼らは何事も無かったかのように笑いながら教室を出ていった。
痛む体を動かし、私は立ち上がった。手が、足が、体が震えていた。
どうやって帰ったのか、覚えていない。
覚えているのは母の驚いた顔と声だけ。
「まあ。転んだの?」
そうか、そう見えるのか。
私は薄く笑って、能天気な母に言った。
「うん……そうなの。ドジしたわ」




