004
その日はお楽しみの部活の日だった。
「こんにちはー」
人気のない調理室のドアをくぐり、調理台の上にかばんを放る。一日の疲れを癒すべく机に突っ伏したとたん、盛大な足音を立てながら先輩が駆けこんできた。
「佳奈ちゃ――――んっ!」
う、うるさ、い………。
疲れ切った体に若菜先輩の甲高い声が突き刺さる。先輩お願いですからもうちょっと声のトーンを……。
体に鞭打って、起き上がろうとした。しかし、私は次の瞬間、意思に反してもう一度机に突っ伏すこととなる。………先輩が駆けこんできてきた勢いのまま、私に抱きついたのだ。
……………先輩……
「重いです先輩……」
「何落ち着いてるのよ佳奈ちゃん! 予選! 予選通過したのよ佳奈ちゃんの作品!」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
後から追いかけるように言葉の意味がついてきて、私は疲れているのも忘れて飛び起きた。引っ越しと同時に新調したスマホで“スイーツコンテスト湘南地区 予選結果”といれ検索する。指が震える。
私はそこに現れたページを見、若菜先輩を見、もう一度画面を見、
叫んだ。
「え――――――――――――――!?」
「いやー、それにしてもすごいね佳奈ちゃん。お菓子作りいつからやってるの?」
「あー、そう言えばちっちゃいころから料理することは好きでしたね………田舎者なんで」
部活帰り、若菜先輩と歩いている。
若菜先輩は明るく快活でボブカットがよく似合う一コ上の先輩だ。背が高くて私よりも頭一つ暗いうえだけど不思議と威圧感はない。日和と同じく、私が信頼している人たちの中の一人だ。
靴に履き替え、グラウンドの前を通りかかると、そこにはぽつねんと独りでボールを蹴る人がいた。―――神谷先輩だ。残練かな?
ふと黙った私に気がついた先輩が私の視線を追った。
「ああ………友希か。やっぱ二年でも有名なんだ?」
「あ……え? 先輩、神谷先輩のこと名前呼びなんですか?」
面くらった私がそう言うと、若菜先輩はちら、とこちらを見て、いたずらっぽく笑った。
「そうだよ? 実は私たち、幼馴染なんだよね~、ちょっと声掛けてみる?」
「え、……ちょっと先輩まっ――――」
「お―――――――いっ、友希ぃ――――――!!」
顔を上げた神谷先輩がまぶしそうに目を細めてこちらを見た。若菜先輩が口元にあてた手を片方上げて大きく振ると、神谷先輩は片手を上げてこたえ―――
こちらにボールを転がした。
「よ、っと」
慣れた様子で、若菜先輩がボールを受け止める。蹴り返したボールは神谷先輩のもとへと吸い込まれるように帰って行った。
若菜先輩は片手を腰に当てて、少し得意げに振り返った。
「どう? あれが友希よ」
「……かっこいい………ですね」
「………そう?」
なぜか一瞬だけ、若菜先輩が寂しい目をした。「でも好きになっちゃだめよ、佳奈ちゃん」
いぶかしげになった私の表情を気がついて、若菜先輩は照れたように笑う。
「そんなに深い意味はないのよ。ただ、脈はないわよ……っていう話」
「…………どういうこと、ですか?」
「友希、私が好きなの」
「へっ!?」
いちいち反応がいいわねえ、と若菜先輩は肩をすくめ、嘘よ、う・そ、と歩きだした。その背中に声をかけようとした瞬間、先輩が口を開いた。
「ずっと、探してる人がいるんだって」
「神谷先輩、ですか?」
「そう。あいつさ、小三、四くらいの時に横浜に引っ越してきたんだけど……実はね、もともと田舎育ちなのよ? 信じられないでしょ?
そんで、そこに運命の女の子がいるんだと。もう事あるごとにいうからさー、もう耳タコよ?
もう一度会いたい―、俺はそのために生きてるんだ―ってさぁ。大げさだっつーの。笑っちゃうよね」
私の位置からは若菜先輩の表情は見えなかった。けど、何かが不自然で。
「もしも本当に再会なんて出来ちゃったら、素敵な話ですよね」
「うん……そうよね」
また一瞬先輩の声が沈み、気を取り直したように「実はね!」と跳ね上がった。
やっぱり変だな、と思った矢先、先輩は神谷先輩に呼びかけたときみたいにすう、と息を吸った。
「私ね、あいつにコクったこと、あるのよ」
「ええ!? 神谷先輩に、ですか!?」
若菜先輩が振り返った。少し胸を張って、そうよ? と誇らしげに。
先輩は笑っていた。
「これ、内緒よ?」
人差し指を立てて。
「なんたってこれ、若菜恋歌最初にして最大の失態だもん」
あー、これ人に行ったの初めてだよどうしよう。そう言いつつも若菜先輩は楽しそうだ。
「なんで……私に」
「特に理由は、ないっ! なんとなく!」
あ、はい。そうですか。
後ろ向きに歩きながら若菜先輩は続けた。
「そしたらさぁー、あいつ、なんていったと思う?
『若菜、お前の事は大好きだし、心の底から想ってはいる。だが、俺には運命人がいるんだな。だからすまん、お前の期待にはこたえられないっ!』
期待してないっつーの!」
若菜先輩の声真似が微妙におかしくて、私は吹き出した。つられたように先輩も笑いだす。しばらく私たちは息ができないいほど笑い転げた。
「笑っちゃうわよね、本当に」
笑いの発作が治まったころ、先輩が呟いた。目尻には涙がたまっていた。
「今ではいい友達として、好きよ。あいつのこと。でもあいつにとってはいるんだよね―――――、
そんなんじゃない、もっと大事な、忘れられない、大事な人」
「わかりますよ、なんとなく」
思わずつぶやいた私に、若菜先輩はえ、と歩みをとめた。
私は気まずくなり、目を伏せる。
「私にもいますから。忘れられない、大事な人」
若菜先輩が軽く息をのむ音が聞こえた。




