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同期がオトコに変わるとき  作者: 涼川 凛
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鬼畜な男

「えええ!?」


 思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押える。


 ここはBAR『canon』。


 茶色を基調にしたインテリアの店内にはジャズが静かに流れていて、雰囲気が穏やかでとても居心地のいいところ。


来ている客もみんな酒と会話を静かに楽しんでいて、大きな声を出す人は一人もいない。


はしたない声を出してしまったと周りを見れば、カウンター席に座っている私たちのほかにはテーブル席に3組のお客さんがいた。


みんな上品に談笑していて、自分たちの世界に入っているようで私の声に反応している人はいない。



 ホッと胸を撫で下ろし、できるだけ声のトーンを落として隣に座っている男、真辺拓哉に問いかける。



「うそでしょ、もう別れちゃったの?いつ?」


「先週。なんか思っていたのと違うって、振られた。“付き合ってくれないと死ぬ!”っていうから付き合ってやったのに。ったく、勝手だよな」



 そう言って真辺はウォッカをクイッと飲んだ。


のどぼとけが上下に動く様が妙に艶っぽくて、ちょっと見惚れてしまう。


グラスを持つ骨ばった指は長く、甲には血管が浮き出てて男の手だと主張している。


多分、腕もそんな感じなのだろう。


背が高く目鼻立ちがすっきり整っていて、外見は私の好みだ。


しかも営業課に所属している彼の成績はいつもトップで将来有望、俗にいうイイ男なのだ。性格を除けば、なのだけど……。



「先週って、彼女ができたって聞いてからまだ2週間しか経ってないじゃない。真辺は冷たすぎるんだよ。仕事ばっかりしてないで、彼女にはもっと優しくしないと駄目だよ」


「生憎だけど俺は仕事優先なの。仕事があってこそ生活が成り立つんだろ。こうして藤崎と酒が飲めるのも、給料があってのことだ。だから女は二番め。LINEの既読無視くらいで怒るとか、有り得んだろ」


 既読無視……付き合いたてなのに、そんなことをしたのか。彼女としてはさぞかしショックだろうに。


「でも、LINEくらいすぐに返事できるでしょ? ちょっと指を動かすだけじゃない」


「でもな、藤崎。残業中にあった『今日髪切ったの~』って報告に、俺はどう反応すりゃいいんだよ。こっちは仕事中だぜ? 『ふーん』とか『それがどうした』と返せばそれはそれで怒るだろう」


「それは、そうだけど。でも既読無視よりはマシかもよ」


「マシか……藤崎なら、どう返してほしい?」



 珍しくも私に訊いてくるから、ちょっと戸惑ってしまう。


自分から意見を言うことはあっても、真辺に女としての意見を訊かれるのはこれが初めてと言ってもいい。


私?と訊くと、真辺は真顔で頷いた。



「……えっと、そうだね。例えば『明日会うの楽しみにしてる』とか『どのくらい切ったの?』とか、返してもらったらベストかな。会話が続くし、特に“楽しみにしてる”って言われたら、すごくうれしいかも」


「あー、楽しみとか、俺、そんなこと思いもしねぇ。会話続くとか言われても、俺仕事中なんだけど。ったく、女って面倒だな」



 そう言ってまたウォッカをクイッと飲んだ。


ネクタイを緩めた襟からのぞく喉と、グラスをもてあそぶ指がとても色っぽい。


彼はこうして一緒に飲んでいても、私がちょっと席を外したすきに女性に声をかけられていることが結構ある。


このだだ漏れの色気に女は惑わされるのだ。



「ねえ、マスター? マスターもそう思うっしょ?」


 

 突然投げ掛けられた問いに、白髪交じりの頭髪に口髭のマスターは私をちらっと見た後、にこやかに答えた。



「いいえ、ちっとも面倒とは思いませんね。女性を喜ばせるのが、イイ男の条件ですよ?」


「違う意味での“喜ばせる”なら自信がある。それだけで十分じゃねえの?」


「言いますねー。でも振られたんでしょう?」


「彼女とはまだヤってねぇよ」


「そうですか。意外と手が遅いんですね」


 

 マスターと同じく、本当に意外でびっくりする。


長く付き合っててもそこまで立ち入った話はしないから、てっきり自分の彼女だと決めたその日に抱いていると思っていた。


もしかしてキスもしてないのだろうか。



「何言ってんだ。これが普通だろ」


 

 憮然として言う真辺に対して、マスターはすみませんと言って苦笑いながら力強くシェイカーを振って、グラスにピンク色の液体を注いだ。



「どうぞ、ピンク・レディです」


「え、私頼んでないですよ?」


「俺が、頼んだ」


「真辺が? いつの間に……ありがとう」



 ピンク・レディという名のカクテルは、グラスの中の白とピンクのグラデーションがとても綺麗で可愛い。


白は卵白が泡立ったものらしく、見た目がふんわりして雲みたいだ。


それに、グラスの下には赤いガーベラが一輪添えられている。



「可愛い」



 長く飲み友達として付き合っているけれど、いつもこんなふうな気遣いをされるからうれしい。


見た目だけでなく、時々見せるこんなところにも女は参ってしまうのかもしれない。



 振られたばかりのこの男、真辺拓哉はすごくモテるのだ。


同期入社で知り合ってから5年経っているけれど、私が知っているだけでも付き合った子は両手じゃ足りないくらいいる。


来る者は拒まずなところがあり、絶えず彼女がいて、そのどれもが三ヶ月と持っていない。


今回なんて最短記録更新だ。


毎回振られて終わるのは、何より仕事優先の冷たい性格だからだ。


振られる理由が同じだから自覚してると思うんだけど、改善しようとしないのはどうしてなのだろうか。



「ねえ、今まで一回も訊いたことがないけど……真辺はさあ、今まで付き合ってきた彼女のこと好きじゃなかったの?」


「好きだったかと訊かれれば、そうだな……“抱ける程度には好きだった”と答える」


「え?」


 

 だ、抱ける程度!?って、それだけ……?


それって本当に、来る者は拒まずってことだ。


愛情はないっていうか……真辺は本気で人を好きになったことがないのだろうか。



「そんな気持ちで付き合っていたの?なんとも思ってないなら、断ればいいのに」


「コクられれば悪い気はしないから、まずは付き合ってみる。そうすりゃ相手の性格も相性もよく分かるだろ?そのうち心底好きになるかもしれんしな」



 声も出せずに口を開けたまま真辺の顔を見る。


カウンターに肘を預けて頬杖をついて私を見つめてくる瞳は、BARの暗めの照明も相まって反則的に色っぽい。


言ってることは最低なのに、目だけで誘われてる気がして心臓がトクンと鳴った。


いやいや真辺にそんな気はない。


こんな色気に騙されては駄目だ。


こいつは鬼畜な最低男なのだから、友達ならばともかく彼氏なんてもってのほかだ。



「俺の話はおしまい。で、藤崎は最近どうなんだよ。そろそろオトコできたか?」



 真辺はタバコに火をつけて煙をくゆらせた。


指の間から立ち上る紫煙の行方を追いつつ、飲むたびに訊かれることだなーとぼんやり思う。



「うーん、全然駄目。合コンに行ってもピンとこないの。だから、お見合いしてみようかなぁって思ってる」


「見合い? 藤崎が? いつ」


「いつするのかは、まだ未定。でも母親から、してみたら?って言われてるんだ。ああいうのって、出自がはっきりしてるから安心して会えるじゃない。仲介人もいるから断りやすいし、合コンよりも率がいいと思うんだ」


「ふーん……藤崎は結婚したいのか?」


「そりゃあそうだよ。私だって女だし、もう28歳になるし。なによりもこの歳で彼氏がいないなんて言ったら、もう母親がうるさくてさ。自分が28歳の頃にはもう結婚していた!って言うから、仕方ないって感じ。今は時代が違うのにね。その点男はいいよね。30前なんてまだまだ早いって感じだもの」


「そうだな……」


「だけど、真辺もそろそろ本気の恋をした方がいいよ。このまま気ままに彼女作ってふらふらしていたら、あっという間に40歳になっちゃって誰も相手にしてくれなくなるよ。ネットでよく見る婚活のCM『結婚なんてまだまだ先だと思っていた。(40代男性)』みたいになるかも。今度彼女ができたら、うんと大切にしてあげてよ」


「ふーん、本気の恋、ね……分かった、考えとくよ」



 その気がなさそうに相づちをうつ真辺にため息を返す。


今は若いしモテモテだからピンとこないのかもしれない。



 真辺がタバコの火を消したのを機に、レジを済ませてBARから出る。


春の夜風が火照った頬を心地よく撫でていく。


今夜は妙に明るいと思って空を見上げたら、満月に近かった。


月に照らされた雲がゆっくり流れていくのがよく見える。



「じゃあまた明日な」


「うん、バイバイ」



 BARの前で停まったタクシーには私一人で乗り込み、彼は電車とかの別の方法で帰る。


真辺と飲んだ後はいつもこうだ。


彼は決して、その後というかその先をしようとしない。


キスはおろか手をつないだこともない。


彼にとって私は恋愛の対象外で、ただの飲み友達なのだと痛感する瞬間だ。



 私も、鬼畜真辺とどうにかなろうなんて気持ちはない。


そりゃあ知り合ったばかりの頃は少しだけ期待があったけれど、5年もの間手を出してこないのは、彼にとって私は男友達と変わりがないのだろうと悟ったのだ。



 彼のそばにはいつも、自分に自信がある系の綺麗な子がいて、事実別れたばかりの彼女は私たちの2年後輩で社内でも1、2を争うほどに美人な子だ。


その前の彼女は取引先の会社の子で、見せてもらった写メは人気のグラビアアイドルによく似ていた。


彼はそんな子ばかりを相手にしているのだ。



 窓の外で「おやすみ」と手を上げる真辺に笑顔を返す。


 また明日、か……。私はいつまで、こうして真辺と飲めるのだろうか。


彼の話は面白いし、いつも雰囲気のいいお店に連れていってくれる。


誘ってくれればうれしいから、ついYESと返事をしてしまう。


けれどそれも、私に彼ができたら止めなくてはいけない。



 それに真辺が本気の恋をしたら、誘ってくれなくなるだろう。


私に彼ができるのが先か、真辺が本気の恋をするのが先か。


これはぜひとも、私が先でありたい。


突然の『今夜飲みに行かねえ?』に『ごめーん。今日は彼と約束があるの』と返すのが当面の夢だ。


我ながらにしょぼい夢だと思うけれど、私の夜はいつでも空いていると思い込んでいる鬼畜真辺を見返してやりたい。


めらめらと謎のやる気が満ちてきて、明日にでも電話して見合い相手を探してもらおうと決めた。


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