五話 元勇者による鬼ごっこ訓練/猶予
この世界、ガルアースにおいて、魔法というのは一般に『魔力』と呼ばれる精神的エネルギーを用いて行使される。この魔力というのはそれぞれ宿る総量が決まっており、その限界値を超えて貯蔵することはできない。
そんな魔力を体内で練り上げ、体外へ放出し、現実を塗り替える事象を引き起こす。それが魔法という奇跡であり、神秘だ。
尤も、詳しいことは分かっていない。そういう力があって、それが有用だったから、人々はそれを主軸として繁栄してきた。科学技術のように理屈が分かりきったもので栄えた地球とは全く別意識なのだ。
今回、水城佳奈というクラスメイトに現れた魔法。それは、魔力で脚鎧を作り出すものだ。装備型の魔法は珍しいが、決して他にいないというわけではない。ただ、俺の空間魔法のように後から付け足すことはほぼ不可能に近いため、俺も基礎の基礎程度にしか知識がない。
だが、装備型といっても魔法は魔法。鍛えるためにはまず、その特性を理解、把握し、何度も行使し、使いこなしていくしかない。そのためのランニングだ。
「うっわぁ、広いね。ここなら思う存分走れるかも」
「この辺りで一番広いのは、この平原らしいからな。御誂え向きだろ?」
俺と水城の二人は、ガッダリオンに隣接するように広がる平原、セレッタ大平原へとやってきていた。相当な広さを誇っているようで、ここならば思う存分走り、暴れることができる。くれぐれもやりすぎないように、と城の人間に注意されたが……大丈夫だろう。たぶん。
水城は既に脚鎧型の魔法——『アクアス』と名付けたそれを展開していた。特に意味のない言葉だが、水っぽい名前ということで水城が発案したものを、そのまま彼女が採用した。
「早速走るか」
腕を大きく伸ばしながら言うと、水城は何やら心配そうにいった。
「水無月君も走るの? 私、たぶん凄く速くなってると思うけど」
「元勇者だぞ、心配するな」
水城が速くなっているのは重々承知。だが、忘れてはいけない。俺は一応、元勇者なのだ、新米の勇者に負けてたまるか。
そしてもう一つ、忘れてはいけない。俺は弱くなっている。無茶はダメ、絶対。
「そっか。でも、走るっていっても、ただ走るだけでいいの?」
「まずはその鎧の性能を確かめないとな。そうだな……鬼ごっこでいいか」
「オッケー。じゃあ、まずは私が鬼ね」
そう言って、水城はアクアスを展開したまま器用に屈伸を始めた。初めて使ったのに、随分と慣れたものだ。動きづらいと思うんだけど。
お互い魔法で速く走れるようになっているとはいえ、準備運動は大切だ。十分ほどかけて入念な体操をした俺たちは、これから始まる地獄の鬼ごっこに向け、最終調整を始めた。
魔法というのは調整が肝心で、この調整を怠ると大変なことになるし、上手い調整ができる人間なら、魔法の効果はグンと高くなる。
例えばの話、俺は今身体能力を高めるための魔法を使っている。これは全身に魔力を流して、その魔力でドーピングをするようなものだが、鬼ごっこに於いて、腕力などの腕に関する身体強化は不要だろう。
故に、それを脚力に回す。十ある魔力を全身隈なく流すより、どこかを捨ててどこかに厚くする方が強くなるのは当然だ。こういう調整が、強くなるための秘訣。この訓練ではそれも学んでほしいが、水城って何となく馬鹿そうだからどうなるかは分からない。
準備を終え、水城と対面する。
「せーのでいくよ。水無月君」
「ああ」
水城が鬼。開始のタイミング水城持ちだ。
「せーの……」
そう水城が言い終えた時には既に……俺の姿は視界にないのだろう。
「……はぇ?」
素っ頓狂な声をあげ、キョロキョロと周囲を見渡す水城。俺はそれを、少し離れたところから眺めていた。
「おーい、何してるんだ?」
あまりにも気がついてくれないので、声をかけると、漸く俺に気が付いたようで、驚きに満ちた表情だ。
「元勇者との鬼ごっこだぞ。そんなにのんびりして、追いつけると思うか?」
「言ったなー!?」
水城が叫び、少し体を傾けたかと思うと、ドゴォンという激しい爆発音と共に接近してくる。
気が付けば、もう目の前。伸びた腕を、俺はひらりとかわしてその後方へと回り込む。
「ちょっ、速すぎない!?」
「元勇者だからな」
回転して振りかぶった腕もかわすと、挑発するように顎をクイと動かした。
「ほら、もう少し走ろうぜ、水城」
「望むところ!」
そうして、数時間、セレッタ大平原を駆け回っていた。この勇者二人の鬼ごっこは、後に、セレッタ事件という名称でガッダリオンで語り継がれることになるのだが、それはまだかなり先の話。
* * *
「ただいま……と、取り込み中か?」
鬼ごっこ訓練を終え、修練場に戻ってくると、何やら明、十島の他にルイナ王と見知らぬ女がいた。何か話し込んでいた様子で、水城も俺の後ろからぴょこんと顔をのぞかせる。
「ああ、白羽。ちょうどいいところに帰ってきた」
「うん?」
明の手招きに応え、彼らのもとへ向かう。
「勇者殿、タイミングが良い。紹介したい者がおるのじゃが」
ルイナ王は隣にいる女性に合図をし、女性は一歩、歩み出る。
「初めまして。予知者のアリアと申します」
頭をすっぽりと覆うフード。薄紫色のローブ。影の奥に見える顔は、まだ若い女性のものだ。二十代だろう。名前を聞いたことはなかったが、その役職だけで、何故、彼女がここにいるかの想像はつく。
「じゃあ、あんたが魔王の復活を予知したのか」
「はい、その通りでございます」
ルイナ王は言っていた。俺たちがここに召喚されたのは、魔王の復活が予知されたからだと。
ならば、それを予知した者がいるはずだ。それが彼女、アリアという予知者なのだろう。
「魔王の復活時期が予知されたようじゃ。部屋を移動してもよいかの?」
「ああ、構わない」
修練場を後にし、明たちが残ると力説したあの応接室へやってきた俺たちは、アリアという予知者の持つ球状の水晶を覗き込んでいた。
占い師が持つような者だ。まあ、俺たちには何も見えないがな。
アリアは水晶に手をかざすと、ゆっくりとその手を動かし始めた。水晶を撫でるように。
「神のお導きにより、新たな予知が発生しました。紅蓮の魔王の復活の時です」
その言葉で、皆が一斉にざわつく。
……やはりな。
魔王の復活を予知した者がここに来たというのなら、思い当たる要件はそのくらいだ。
「いつ頃だ?」
「今よりおよそ二月後。封印は完全に力を失い、かの魔王は復活を遂げるでしょう」
「二ヶ月……」
長いようで、短い。短いようで、長い。俺がガルアースに初めて来た時は、まともに戦えるようになるまでおよそ一ヶ月。それを考えれば、三人もいるんだ。二ヶ月あれば十分に戦えるレベルには育つ。
問題があるとすれば、その相手が魔王だということだ。国の騎士なんかを相手にするのとは話が違う。魔王を相手にするのに、『戦うかな十分なレベル』では足りないんだ。
それを三人も分かっていたのか、三人の視線は俺の方へ向いていた。
「間に合うのか?」
「分からん、俺の力も大して戻ってないだろうしな。でも、逆に言えば二ヶ月は猶予があるってことだ」
「でも、私たち、たった二ヶ月で戦えるようになるのかな……」
『さあな』と返事をする。俺だって全力で力を取り戻すつもりだが、どの程度になるかはその時になってみないと分からない。
予知者アリアは、いまだ水晶を覗き込んだまま、動かない。その中央には渦巻いたような光が漂っており、恐らくは、まだ何か予知があるのだろう。
「予知者アリア。まだ、何かあるな?」
俺がそう聞くと、アリアはゆっくりと口を開く。
「かの魔王の封印は力を失い始めています。魔王の力の片鱗は、既にこの世に放たれています」
「ゆっくりしてる時間もない、か……」
魔王の封印の力が『完全に』失われるのは、二ヶ月後。しかし、その封印の力は、現在も徐々に失われつつある、ということか。
「かの魔王の力の片鱗は、世界を覆い尽くす泥となって、襲い掛かってくるでしょう。退けなければ、いくつもの村や町が滅びることになります」
「分かった。それは俺で何とかしよう。予知者アリア。もし、復活の時期がズレたら、その時はすぐに教えてくれ」
「かしこまりました、勇者様」
アリアが水晶から手を遠ざけると、光は失われた。予知は終わりだ。
さて。復活の大まかな予想もついた。
「皆、やるぞ。腹くくれ」