阿編、第一話
「やあ、おはやう、阿くん」
起きたばかりの俺の目の前には、旧仮名遣いで喋る胡散臭いおっさんの顔があった。
「んん……なんだよセイメイか」
少しイラつきながら俺は目の前のおっさんを睨む。
「まさか僕が戻ってくるまでずっと眠っていたとはねぇ……いいのかい?行かなくて」
何処にだ。
……
あ。
今日は入学式だ。
「思い出したみたいだね、でももう既にお天道様が南中しようとしているよ。時既にお寿司ってやつさ」
このやけに鬱陶しい喋り方をするおっさんは、情報屋の『近衛 晴明』。
訳あって俺は今、このおっさん――セイメイ――のところに居候している。
まあ今夜から学生寮に入るから、居候も今日までなんだけどな。
「まあ入学式なんてどうでもいいんだよ、どうでも。だから寝るわ、おやすみ」
俺は若干投げやりになって布団に篭る。つーか眠い。
「そうかい行かないのかい、僕の計算ではクラスに阿くん好みの貧乳ちゃんがいる可能性は、100%に近いのだけれどね」
起きた。色々と。
悔しいことに、こいつは俺の扱いを心得てやがる。
例えセイメイの計算がでまかせだとしても、そこに貧乳ちゃんがいる可能性が1%でもある限り俺は行かねばなるまい。
「行ってくる。荷物は後で取りに来るわ」
「セクハラには十分気をつけるんだよ阿くん。さすがの僕でも、手が後ろに回った君のことは助けられないからね」
わかってる、捕まるようなヘマはしない。揉むなら逃げろ、逃げないなら揉むな、だ。
神速の手さばきで制服に着替えた俺は取るものもとりあえず、貧乳ちゃんを求めて波佐間学園へと急いだ。
学園の高等部に辿り着いた時には既にお天道様は南中しきっており、俺は『時既にお寿司』を痛感しながら自分のクラス――1年A組――へと急ぐ。
寿司か……腹減ったな。
「名前忘れたけどあの長い苗字の男子、入学式の朝から女子のパンツ覗いたとか最低よね~」
「見た目はそんなに悪くなかったのに、残念感ヤバイよね」
廊下ですれ違う女子たちがそんな話をしているのが聞こえた。
長い苗字という辺りに反応してしまったが、俺のことじゃないのは確かだ。
俺は本日まだパンツを覗いてないし、これから覗く予定も無い。
貧乳ちゃんのおっぱいを揉む予定ならあるけどな。
1年A組の出入り口からはもう既に何人もの女子生徒が流出してしまっているのが廊下から見て取れるが、その中に俺好みの貧乳ちゃんはいない。
ちなみに、ただ小さければいいという訳ではなく、俺の中には言葉では語り尽くせない拘りがある。
クラスに入った俺は、目を走らせて女子生徒たちの胸を吟味する。
――違う。
――違う。
――これも違う。
――違う!
――違う……
――――見つけた!!
窓際の席に座っている小柄で大人しそうな水色ショートボブ少女の胸を見たとき、俺はここに来た目的の大半を達成した。
服の上からの所見だが、形も大きさも俺の拘りを満たすものだった。つーかストライクど真ん中だった。
あとは、どうやって揉むかだ。
勿論揉むシチュエーションも非常に大事であり、俺の中には言葉では語り尽くせない拘りがある。
まずお知り合いにならなければ……
「よう阿! 入学式早々遅刻かよ、相変わらずだな!」
不意に誰かが後ろから俺の首に腕を絡めてきた。
この声、この行動、この背中に当たる大きすぎる脂肪の感触……
ああ、こいつはほぼ間違いなく『春秋 冬夏』だ。
「おい冬夏、俺の背中に無駄な脂肪を押し付けてくるのはやめろ」
そう言いながら腕を振り払って後ろを見ると、赤髪ショートヘアで長身の女子生徒がニヒヒと笑いながらこっちを見ていた。
さっきも言ったが、こいつは『春秋 冬夏』。中等部時代からの俺の友人だ。それ以上でも、それ以下でもない。
「無駄じゃねぇよ、これはこれで需要があるんだ!」
「俺とお前じゃ、その需要と供給が釣り合ってねぇんだよ」
エッヘンとばかりに胸を突き出してくる冬夏に対して、俺は冷静に突っ込む。
しかしまあ、俺はこいつを嫌いではない。巨乳は嫌いだが、それと本人を嫌うかどうかは別問題だ。
「とりあえず昼飯食おうぜ、ひ~る~め~し~」
冬夏の意見には賛成だ、上手くこいつをダシにしてあの貧乳ちゃんも誘えないものだろうか。
俺は窓の方を振り返りながら――
「待て冬夏、あの窓際にいる貧乳ちゃ……」
いねぇし。
先ほどの水色ショートボブ貧乳ちゃんは、いつの間にか姿を消していた。
あの後、購買部で食料を調達した俺と冬夏は高等部の屋上に来た。
学園のど真ん中に建つ5階建て校舎の屋上はとても眺めが良く、生徒たちの人気スポットになっているようだ。
ここに来るまでは、まさかこんなにも人が多いとは思ってもいなかったが。
俺たちは適当な場所を見つけて座り、校舎から南門に続く桜通りを眺めながらおにぎりを食べ始める。
……冬夏は相変わらず豪快な食べっぷりだ。口いっぱいに頬張って喉をつまらせかけてやがる。
大股を開いた座り方も手伝って、胸の余計な脂肪さえ見なければほぼ男にしか見えない。事実、過去何度も女生徒に告白されたらしい。男勝りってのも難儀なもんだ。
……なんだかこっちを見てる奴が多いな。
大股開いてる冬夏のスカートの中が目当てって訳でもなさそうだ。
全然ひそひそしてないひそひそ声がこっちまで聞こえてくる。
「――――――――」
「おい……あの黒髪の1年、元『零間の剣』じゃね?」
「ホントだ……まあ、今じゃあいつは『堕ちた零』って呼ばれてるけどな」
「隣にいるの赤髪の子も見たことあるわ…」
「知らないのかよ、ありゃあ決闘序列で現13位のネームド『炎槌雷槍』のトウカだ」
「―――――」
……もう慣れたが、有名人ってのはやっぱり辛いな。
何が辛いって、くっそ恥ずかしい通り名を勝手に付けられることだ。
まあ『零間の剣』ってのはけっこう気に入ってたんだけどな。
苗字の『間』が入ってるし、なかなかセンスの良い通り名を付けてくれたものだと我ながら思う。
……勝手に『堕ちた零』に変えられちまったけど。
「『炎槌雷槍』ってそのまんまじゃねぇか……誰かもっとカッコいい通り名つけてくんないかなぁ」
冬夏がそうボヤく。
……ごめん、お前の通り名の原案は実は俺だ。もう口が裂けても言えねぇけど。
「あ、そうだ。阿の『零間の剣』ってのアタシにくれよ。どうせ使ってないんだから良いだろ」
まるで名案を思いついたかのように、冬夏は目を輝かせている。
「通り名に譲渡システムはねぇよ。しかもお前の武器に剣の要素無いだろ」
「じゃあ今日からアタシは棒じゃなくて剣で戦うぜ」
「慣れない武器で戦うなや。ネームド落ちするぞ」
そう突っ込んだ俺に対して、冬夏は――
「ちなみに阿は、どうして近頃ぜんぜん戦わなくなったんだ?」
と。
不思議そうな、少し心配したような、それでいて明るさを崩さない顔で。
こいつは、聞きにくいことを平然と聞いてくる。
「……戦いたくねぇからだよ」
俺は、冬夏から視線を外してぶっきらぼうに答えた。
「そっか、分かった。ところでそのおにぎり美味そうだな、一口くれ!」
そう、ここで更に質問を重ねないのが『春秋 冬夏』という人間だ。
冬夏のこういうところが好きで、俺はこいつとつるんでいる。
今年もこいつと同じクラスで良かった。
「嫌だよやらねぇよ、自分で買ってこい」
とはいえ、俺のおにぎりはやらん。それとこれとは別問題だ。
「阿のケチ!意地悪!ハゲ!貧乳好き!」
「貧乳好きを悪口と同列に並べるんじゃねぇ!」
俺は冬夏とおにぎり争奪戦を繰り広げる。
屋上の奴等は未だにこっちを見てヒソヒソ言ってるけど、知ったことか。
俺のおにぎりのほうが大事だ。
……ん?
屋上入り口のほうでざわめきが起こった。
先ほどまで俺たちに向けられていた興味が一斉に入り口へと向く。黄色い歓声まで巻き起こっている。なんだか野太い声も混ざってるような気がするが……。
周りに釣られて俺も入り口へと目を向ける。
すると俺の視線の先で、白銀の髪をポニーテイルに結んだ女が、俺を睨んで仁王立ちしていた。
「探したぞ。三十三間堂 阿。フェイニール殿から貴様を戦技部に連れてくるようにと言われている。共に来い」
やけに偉そうに俺に声をかけてきたこの人は、高等部3年生の『宮王丸 揚羽』。
この国の皇族で、要するにファンタジーで言うところのお姫様だ。
……宮王丸先輩は俺の理想のお姫様像と極端にかけ離れてるけどな、貧乳じゃないし。
「……お久しぶりです、宮王丸先輩」
「貴様と他愛のない挨拶を交わす気は無い。黙ってさっさと付いて来い」
宮王丸先輩はそう言って踵を返し、颯爽と歩き出す。
……怖ぇ。
さっさと付いて行ったほうがよさそうだ。
「わりぃな冬夏。ちょっと行ってくるわ」
「生徒会長さんにもモテモテかよ。阿は巨乳ハーレムでも作る気か?」
茶化してくる冬夏を無視して、俺は急いで宮王丸先輩の後を追い戦技部に向かった。
宮王丸先輩と共に戦技部の統括室に着いた俺を待っていたのは、俺の母方の叔母『フェイニール・クロスフィア・インテグラル』だった。
といっても、俺は机の上にある名札を見るまで、フェイニール叔母さんの名前をすっかりさっぱり忘れていたんだけどな。
俺の母親は俺たち3人を産んですぐに亡くなったらしく、その為か俺たちは母方の親戚とあまり付き合いが無い。
この人に会ったのも何年ぶりだろうか。
「お久しぶりです、フェイニール叔母さ――」
「叔母さんじゃないお姉さんだ」
叔母さんが鋭い目でこちらを睨みそう言った。
ああ、そういえば――
『フェイニール叔母さんって言うと怒る』って昔、修が言ってたのを思い出した。
先ほど『母方の親戚とはあまり付き合いが無い』と言ったが、俺の三つ子の弟『修』は例外だ。
修は『扉の向こうにある異世界――インテラヴァレル――』での治癒魔術の修練のために毎夏、あちらにある叔母さんの家に居候していたそうだ。
「……フェイニールお姉さん」
「よろしい」
フェイニール叔母さんが、首元あたりで切りそろえた紫色の髪を揺らして頷く。
「……で、戦技部の統括をしてるお姉さんが、俺に何の御用なんですか?」
「私は回りくどい説明が嫌いだ。だから単刀直入に結論から言おう。阿、戦技部 刀技科の教官補佐をお前に任せたい」
「……え?」
あまりの唐突な要求に俺は面食らってしまった。
「結論が聞こえなかったわけじゃないと判断して理由を続けるぞ。
お前の親父である千手が任務でこの学園を発ち刀技教官が不在になってしまった為、刀技科の教官補佐だった揚羽が教官になった。故に教官補佐の座が空いた。そしてその適任者が私の甥っ子である阿、お前だった。まあそういうわけだ」
ああ、表向きには親父はそういうことになってるんだっけか。
……ってそんなことを考えてる場合じゃない。
筋が通っているようで、その実まったく理由になってないじゃないか。
「いや……いきなりそんなこと言われても俺は――」
「ああ、そういえば教官補佐にはそれなりの給料が出るぞ。金はあっても困らない。違うか?阿」
この不敵な笑みを浮かべた叔母は、どこまで知っているのだろう。
確かに、俺には金が必要である。
ここ数ヶ月で、あの胡散臭い情報屋のおっさん――セイメイ――に多額の借金を作ってしまったからだ。
まあ、あのおっさんはそれだけのことを俺にしてくれたんだけどな。
「……まあ金は大事ですけど。なんで適任者が俺なんですか?」
「千手の息子という理由だけでは不十分かな?『零間の剣』くん」
不十分だと思ったから通り名を付け足したんだろう、まったく……食えない叔母さんだ。
「やめてください、俺はもうただの『堕ちた零』ですよ」
「まさか自虐とはねぇ……私が修から聞いていた阿の人物像とはずいぶんと違うな。それで、教官補佐をやるのかい?それともやるのかい?」
人物像なんてのは当てにならねぇ。
数年で、数ヶ月で、数日で、数時間で、数分で、数秒で、簡単に崩れ去るもんだ。
まあとにかく……拒否はさせてくれないみたいだし、金が入るのは俺にとってもありがたい。
だから、最後に一つだけ確認しておこう。
「その教官補佐ってのは、戦わなくていいんですか?」
「ああ、別に本気で戦う必要は無い。お前は刀での戦闘技法を教える補佐をすればいい。それなら、大丈夫なんだろう?」
この叔母が俺にカマをかけているだけなのか、それとも全てを知っているのか。
宮王丸先輩が同席している以上、今それを確かめるのはあまりにリスキーだろう。
「……ええ、大丈夫です。刀技教官補佐、若輩ながら務めさせていただきます」
わざと丁寧にそう言うくらいが、俺にできる精一杯の意趣返しだった。