修編、第3話
「なあ、春原ちゃん。修と知り合ってどんくらいなの? 俺は入学式で知り合ったばかりだけどさ」
大神が、僕のお金で購入したカレーを食べながら春原に聞いた。
「大体4時間半ってところね。あと、その『春原ちゃん』って呼ぶの止めてもらえるかしら、大神くん」
春原が、僕のお金で購入したランチA定食を食べながらそれに答えた。
「じゃあ凛――」
「却下。あなたはあまり面白くないわね、気軽に話しかけないで頂戴」
春原に嫌われてしまった大神は、僕に話を振ってくる。
「つーか修!なんでお前、出会って4時間の女の子から名前で呼び捨てにされてるんだよ?!どういう関係なんだ~?んん~?」
「大神が僕を名前で呼んでるのと同じ理由じゃないかな…」
「あら、大神くんも修を下僕にしたというの? 私のほうが30分ほど早かったのだから、横取りは許されないわよ」
春原の言葉を理解するのに、数秒かかった。いや本当の意味で彼女の言葉を理解できる日は、僕には来ないのかもしれない。
彼女が『修=僕、のことを下僕にした』と言っているところまでは分かった。いや何も分かってないけど。
いつどこで僕は彼女の下僕になったのか?
彼女のパンツを見たときだろうか。
確かにあの時、僕の目は彼女の白いパンツに釘付けになった。なるほど彼女のパンツの下僕になったというわけだ。
……って、そんなの納得できるわけがない。
そもそも春原は、僕が彼女のパンツを見たことをまだ知らない…はずだ。
パンツではないとすると……どこだ?
……
無理だ。思い出せない。
……というか思い出すも何も、僕が彼女の下僕になった事実は無いのだ。
「え……下僕って、どういうこと?」
混乱した頭で春原にそう聞き返すのが僕の精一杯だった。
「忘れたの? 修。私に助けられた後、あなた言ったじゃない『今後ともよろしく』って」
目をいたずらっぽく輝かせた春原が僕に言った。これは何か企んでる顔だ、僕には分かる。おそらく僕でなくても分かるが。
ともあれ、確かに僕は『今後ともよろしく』と言った気がする。言ってないような気もするけど。
しかしそれが、僕が春原の下僕である理由と何の関係があるのだろうか。
「つまり……どういうことだってばよ?」
「説明しよう!」
理解が追いつかず、どこぞの落第忍者みたいな口調になってしまった僕に対して、大神が何かを説明してくれるらしい。
ちなみに僕は、現実世界でこの台詞を有効に活用した人を初めて見た。
「『今後ともよろしく』とは、某ゲームにおいて悪魔が仲魔になるときに必ず口にする台詞である!以上!」
あまりにも雑な大神の説明に半ば呆れてしまうが、つまり某ゲームに準えて僕は春原の下僕にされてしまったということなのか。
僕はあくまで悪魔ではないし、下僕じゃなくて仲魔なのだけれど。
「大神くん、私の台詞を奪わないでもらえるかしら。
……修、今の雑な説明でも理解できたわよね。あの時にあなたは私の下僕になったの。
まあ下僕と言っても、私にお昼を奢ったり、私に飲み物を買ってきたり、私の命令に従ったりするくらいでいいわよ」
春原はやけに楽しそうだ。
しかし僕にはまったく理解できないし、最後の1つがあれば前の2つはいらないんじゃないだろうか。
「下僕ってのは色々と納得はいかないけど……出来うる限りのことはさせてもらうよ、春原さん」
でもまあしかし、あのとき春原が助けに来てくれなければ、僕はまた重傷を負っていたかもしれない。
そう考えれば、美少女の下僕というのもあながち悪いものではない――と僕は思うことにした。
昼食を食べ終えた僕たち3人はおよそ3時間たっぷり使い、僕の案内で学園内を散策した。
この波佐間学園は2Km四方もあろうかという広大な敷地を有しており、
中心部には大きな高等部校舎と小さな中等部校舎が、
西側には実技を行う魔術部と戦技部が、
東側には寮と食堂が、
南側の正門近くには催事等で使われるホールが、存在する。
そして北側には『異世界の王国――インテラヴァレル――』に繋がる『扉』が、この学園ができる前から、存在している。
僕はそれら全てを大神と春原の2人に解説しながら回り、今まさに高等部の校舎前に戻ってきたところだ。
「しっかし……こんな広いとは思ってなかったぜ。修がいなかったら俺ら迷子だったよな」
「あなたと一緒にしないで欲しいわね。この下僕がいようがいまいが、私は迷ったりなんかしないわよ」
この3時間で、この2人もすっかり打ち解け……てないか、別に。
「僕はもうすぐ寮に行く予定だけど、一緒に行く?」
朝から色々とあってとても疲れた僕は、早く寮に帰りたかった。
いや、帰ると言うのは語弊がある。僕が寮の部屋に行くのは、今日が初めてなのだから。
「わりぃ、俺はちょっと用事があるから2人で先に行っててくれ。 んじゃ、また明日な! あ、そうだ、案内ありがとな~」
大神はそう言いながら、西側の戦技部のほうへ走り去って行った。大方、学科の下見でもする気なのだろう。
明日の午後からは学科の体験授業が始まるので、僕もある程度絞り込んでおかなければならない。
「私も今日は疲れたわね。影に襲われてたドMロリコンを助けたり、影に襲われてたパンツ覗き魔を助けたり、影に襲われてた私の下僕を助けたりしたから、とても疲れたわ」
「影に襲われてた時は僕まだパンツ覗いてないからね!下僕でも無かったし!」
春原の、天然なのかわざとなのか、ボケなのかドSなの判別しづらい発言に、僕はついつい突っ込んでしまった。
「つまり、あなたが覗いたのは私のパンツというわけね」
何故か核心。名探偵春原凛香の誕生である。
……などと冗談を言っている場合ではない。
春原から余裕の表情が消え、彼女の顔に赤みが差していくのが見て取れる。
殺られる。逃げろ、僕。
「いつ……見たの……?」
彼女は震えながら僕に問うてきた。
ダメダニゲラレナイ。
「は、春原さんが、飛び去るとき……かな。あの……でも不可抗力で、えっと」
つい言い訳してしまったが、ここは謝るべきところだろう。彼女の剣に僕の眉間を貫かれる前に。
「ごめんなさ――」
「忘れて……」
「へ?」
「忘れてって言ってるのよ! 私の! パンツ! 見たこと!! 忘れなさい!!!」
春原は、顔を赤らめて目に涙を浮かべながら訴えてくる。
これは本当にあの『春原凛香』なのだろうか。どこかで別人と入れ替わってしまったのではないのだろうか。
そう思わせるほどの豹変ぶりだった。
ここで僕は、ドSは打たれ弱いと聞いたことがあるのを思い出した。なるほど納得。
……納得してる場合ではない、とりあえずこの場をなんとかして収めなければならない。
「はい! 忘れる! 忘れます! あの白いパンツのことは忘れます!! 1、2の、ポカン! はい忘れた!!!」
「白いパンツ……? ……あなた本当にそれしか見てないのね?」
……ん?今一よく分からない反応だけれど、これは僕を試しているに違いない。
ここで『白いパンツしか見ていない』などと肯定しようものなら『忘れてないじゃない!』と火に油を注いでしまう結果になる。
「いやーパンツのことはもう忘れちゃったからなー。なんのことかなー」
我ながら名演技だ。
「忘れなくていいから、答えて。ほ ん と う に 白 い パ ン ツ し か 見 て な い の ね?」
彼女は、どこからか取り出した白銀の細剣を僕の眉間に突きつけ、据わった目で再度問うてきた。
もしかして彼女は、僕がパンツの下まで透かして見たとでも思っているのだろうか?
ならば正直に答えたほうがいい。そうしようそれがいい。白いパンツしか見ていないと答えよう。
「も、勿論! 遠くから春原さんの後姿を見たときにチラッと白いパンツが見えただけなんだ……本当にごめんなさいもうしませんだから殺さないで」
真実は話した。
判決やいかに。
しばしの沈黙の後、彼女が口を開く。
「……分かったわ、パンツのことはもう忘れなくていいから、さっきの私とのやり取りを忘れなさい、全て」
反論や質問は許さない、という意思表示だろう。二本目、三本目の剣が僕の両肩に突きつけられる。
……三本目?春原は海賊狩りか何かですか?
勿論、彼女が東の海出身の三刀流剣士などであろうはずもなく、よくよく見るとその細い剣は彼女の手を離れ中空に浮遊していた。
噂に聞く『飛翔剣』というやつだろうか。3本もの思念誘導武器を同時に操れるほどの実力者だったとは驚きである。
閑話休題。
ともかくこの状況では『はい』か『YES』の選択肢しか残されていないようである。
「はい、忘れます。1、2の――」
「もうそのネタはいらないわ。同じネタを2回も使いまわすなんて、最高に気持ち悪いわね」
余裕の表情を浮かべて盛大なブーメランを投げてきた彼女は、正真正銘、僕が今朝出会った『春原凛香』だった。
「2回目? 僕がそのネタを春原さんの前で使うのは初めてのはずだけれど」
僕は『忘れた』のだから。
『1,2の、ポカン』ネタを彼女の前で一度使ったことも。
『名探偵春原凛香』の誕生秘話も。
『顔を赤らめて涙する桃色髪の美少女』のことも。
全て『忘れた』のだから。
「やっぱり修って、面白いわね」
僕の考えすぎだろうか。
そう言ったときの彼女の笑顔は、とても遠くに向けられているもののように感じられた。
「それじゃ、私は疲れたから先に寮で休むわね。また明日」
あの後すぐに春原がそう言い残して先に行ってしまったので、一人で寮へ向かうことになった僕は道すがら今日の出来事を反芻する。
春原と出会ってから、春原と別れるまでを。
なんだかこう言うと、別れてしまった恋人との数年を振り返っているように聞こえるかもしれないが、出会ってからまだ半日と経っていない上に僕達は恋人でもなんでもない。
今までの僕と彼女のやりとりを天の上の神様(いるかどうかも分からないが)とやらが見ていたとして、彼が僕達を『恋人』と称するのであれば、
僕は『神様という存在の全知性』か『恋人という言葉の定義』のどちらかを疑うところから始めなければならない。
ともかく今日は、入学式の初日ということも手伝ってか非常に目まぐるしい一日であった。
2階建ての寮が何棟も立ち並ぶ東地区に辿り着いた僕は、鞄の中に大事にしまっていた部屋の鍵を取り出して、自分の新居になるであろう棟を確認する。
『F棟-1-1』
数日前に学園案内書と共に送られてきた鍵には、そう書いてあった。
日も落ちかけて薄暗いので、僕は掌に灯した光で地図を照らしてF棟へ向かう。
ちなみにこれは魔素運用の基礎技術であり、光変換の適性が少しでもあれば難なく行使できる。
…なんの自慢にもならない。
突如。
――轟音――
なんだなんだ、なにがあった。
B棟のほう……いやC棟からだろうか、コンクリートの壁が砕けたかのような轟音が響いてきた。
野次馬根性で見に行ってみたい気もするが、今日はもうお腹いっぱいだ。イベント的な意味で。
C棟から立ち上る煙を横目で眺めつつ、僕は一路F棟に向かった。
『F棟ー1-1』の前に立ち、そういえばーーと僕は思い返す。
担任の絡繰先生がこんなことを言っていた。
『ルームメイトは、部屋に入ってからのお楽しみです』
お楽しみとは程遠い表情で、事務的な口調で。
つまり、僕はこの扉を開けるまでルームメイトが誰であるのか分からない、ということだ。
これが漫画や小説の世界であれば、この部屋の中にいるのは今日僕が出会った――
本命『春原凛香』、対抗『大神件』、大穴『宮王丸竪羽』、問題外『絡繰峠』
おそらく、この四人に絞られるのであろう。
この部屋にいる人物次第で、この世界の漫画度を判定できるわけだ。
僕は部屋をノックする。
……
返事が無い。
僕はもう一度部屋をノックする。
……
返事が無い。ただの空き部屋のようだ。
よし、入ろう。
「おじゃましまーす」
自分の部屋だというのに、ついついそう言ってしまう。
鍵を開けて、ドアを開けて、目を開けて――いやこれはもとから開いていたが――僕は細長い廊下の奥に人の姿を確認した。
その人物は、今日僕が会ったどの人物でもなく、しかし僕が初めて会う人物でもなかった。
そう、廊下の奥にいたのは、僕の従妹たちだったのである。
しかしこの状況において、彼女らが僕の従妹であるという事実はさほど重要ではない。
彼女らが下着姿で擽りあっているところを僕が目撃してしまったという『この状況』においては、
僕と彼女らが三親等の血縁関係である事実など、二の次、三の次である。
僕は考えを巡らせ、この窮地を乗り切る方法を模索する。
「修兄!ロッテちゃんが擽ってくる!!助けてくれぇ!」
僕の思考が纏まる前に、下着姿の少女――リーゼ・クロスフィア・インテグラル――が、息を荒くして僕に抱きついてきた。
……半年間も見ないうちに大きくなったな。
いや胸がじゃなくて、身長とか、いろいろ。
「変態兄様、今すぐにリーゼちゃんを返してください。さもないと粉微塵にしますよ」
廊下の奥で、下着姿の少女――ロッテ・クロスフィア・インテグラル――が、拳を固めてこちらを睨みながら言う。
離れるも何もリーゼのほうから僕に抱きついているのだ、僕にはどうしようもない。
しかしこのままでは、ロッテの『兄様は粉微塵になって死んだ』という台詞と共に僕の人生が終了しかねないので、どうしようもなくてもなんとかしなければならない。
「すまん、リーゼちゃん! 僕のために死んでくれ!!」
僕は、リーゼを半ば強引に引き剥がしロッテのほうへと投げ返した。
ロッテはリーゼを捕まえるが早いが、廊下奥の扉を勢いよく閉めて僕の視線を遮断する。
「修兄のばかあああああああああああ! あ……ロッテちゃんそんなところ……助けっアハハハハハハハハ無理ぃ!」
「あれれ、リーゼちゃんはここが弱いの?ん?」
「ロッテちゃ……ほんとダメッ……!修兄も聞い……アッヒャヒャヒャらめぇ!」
「リーゼちゃんの『らめぇ』可愛い……」
こんな感じのやりとりが廊下奥の部屋で10分ほど続き、リーゼの絶叫が止んで少し経ってから扉が開かれた。
僕が部屋に入るとそこには、息も絶え絶えでベッドに横たわる少女――おそらくリーゼ――と、
満足げな顔をして鏡の前で髪を整える少女――おそらくロッテ――がいた。
おそらく、などという曖昧な表現をしたことには勿論、理由がある。
彼女らは双子であり、似ているのだ。
いや、似ているといったレベルではない。
一卵性双生児と言えども普通は、髪型が違ったり、目つきが違ったり、身長が違ったり、見た目的な部分が何かしら違うはずであるのだが、彼女らの外見は、鏡に映したのかと思えるほどに瓜二つなのだ。
「修兄……なんで助けてくれなかったんだよぅ……」
ぐったりとベッドに横たわる少女――やっぱりリーゼだったか――が、こちらを恨めしそうな目で見ながら言った。
「ごめんな……リーゼちゃん。僕にはああするしかできなかったんだ…」
「賢明な判断でした、兄様。どこぞのブ男みたいに粉微塵にならなくてすみましたね」
紫色の髪を串で梳かしている少女――やっぱりロッテだったか――が、こちらを冷たい目で見ながら言った。
……というように、口を開けばどっちがどっちなのか一発で分かる。
「ところで、リーゼちゃんとロッテちゃんは何故僕の部屋にいるんだい?」
部屋の中に2人を確認した時から疑問に思っていたことを、やっと聞けた。
「ここはあたしたち3人の部屋だよ、修兄」
「私としてはリーゼちゃんと2人きりがよかったのですけど、
リーゼちゃんが2人きりは嫌だって言うので仕方なく兄様との3人部屋で我慢しました」
「だってロッテちゃん擽るじゃんかよ~~」
「2人ともまだ14歳だし、波佐間学園じゃなくてインテラヴァレルの学校に通うんじゃなかったの?」
異世界のインテラヴァレル在住の彼女らは高等部から波佐間学園に通うものだとばかり、僕は思っていたのだ。
「あ…そういえば、母様からの手紙を預かっています」
ロッテが彼女の母――つまり僕の母の妹――からの手紙を僕に渡す。
どれどれ内容は…
『私の可愛い甥っ子、修へ。
私は忙しくなったので、2人をそっちの中等部と寮に入れることにした。よろしく頼む。
親愛なるあなたの叔母より。
P.S.変な気は起こすなよ』
相も変わらず勝手な人である。
詳細はさっぱりわからないが、この2人の面倒を見てくれということなのだろう。
できる限り頑張ります。草葉の陰で見守っていてください叔母さん。
……あ、まだ死んでないか。
P.S.僕はロリコンではないので変な気は起こしません。
あの後、数時間の議論と荷物整理を経てワンルームを三等分――僕は床に布団で寝ることになったが――し、夕食と風呂をすませ、僕はとりあえずの平穏を得た。
もう23時を回っておりさすがのリーゼロッテ姉妹もおねむのようで、2つしかないベッドをそれぞれ占領して気持よさそうに眠っている。
黙って寝ていればこんなにも可愛いのか……と一瞬思ったが、女の子が寝ているときは可愛さ10倍増しくらいになるのだろう。
変な気を起こさないためにも、そう思うことにしておこう。
……さすがに僕も眠い。
スタンドの明かりを消して布団に入った僕は、今日の出来事を思い返しながら眠りに落ちることにした。