修編、第1話
「ロリコンでドMだなんて、最高に気持ち悪いわね」
僕の後ろから楽しそうな声で放たれたそれが、僕と彼女との出会いの台詞だった。
出会いの台詞、というほど情緒に溢れている内容ではない(というかただの誹謗中傷であった)が、僕が彼女を認識した初めての台詞がそれであったのだから、それは出会いの台詞ということになってしまうのだろう。
もしも……いや万に一つも有り得ないが、もしも……もしもまかり間違って僕と彼女が結婚するようなことがあれば、結婚式で馴れ初めを語る際、この謂れの無い誹謗中傷が親族友人同僚の目に晒されることになるのだ。
…何を間違おうとも、この子とだけは結婚すまい。僕は今心に誓った。
とはいえ今この瞬間、僕は彼女に感謝しなければならない。
勿論、言葉の暴力を頂いたことへの感謝ではない。
彼女は僕に『言葉の暴力』だけではなく『物理的――いやこの場合は魔法的と言うべきか――暴力』をも投げつけてくれたようなのだ。
彼女が放ったであろう『魔法的暴力』は僕の頬に鮮血で一文字を描いた後、まさに僕の顔に爪を立てんとしていた『敵――狼の姿を成した影――』の眉間に、まるで吸い込まれるかのように突き刺さったのである。
だから――
「ありがとうごさいます、助かりました」
と僕は振り返りながら礼を言う。例え頬を切り裂かれようと、例え謂れの無い誹謗中傷を受けようと、僕が彼女に助けられたことは事実なのだろうから。
振り返った先には案の定、僕を助けてくれた暴力の主――『波佐間学園』の制服を身に纏い、片手を腰に当てて偉そうに立つ少女――が、いた。
……可愛い。
いやこれはたぶん、あんな台詞を聞いた後だからそう思うのだ。
悪人の善行。
当社比詐欺。
ギャップ萌え。
マイナス×マイナス。
……いや最後のは違うな。
彼女のほうからもしも…いや万に一つも有り得ないが、もしも…もしも何かの間違いで彼女に求婚を迫られたら、先ほどの自分の心への誓いがぐらついてしまう程度には、やはり、可愛い。
そんな彼女が、春風に揺れる桃色の前髪を整えながら、口を開く。
「剣を飛ばしてあなたの頬を裂いてあげたことへのお礼?それともロリコンでドMって蔑んであげたことへのお礼?どちらにせよ最低に気持ち悪いわね」
良かった(何も良くないが)。誓いを破ってしまう心配はいらないようだ。
『最高に気持ち悪い』のか『最低に気持ち悪い』のかハッキリしてほしいが、おそらく彼女の中では同じ意味にカテゴライズされているのだろう。
「……いや、僕を助けてくれたことへのお礼ですけど」
「別にあなたを助けたわけじゃないわよ。あなたが幼女の目の前で影に襲われて悔しいっビクンビクンしながら興奮しちゃう変態的な紳士さんかと思って傍観していたのだけれど、流石にこの幼女ちゃんを巻き込むのは紳士的じゃないと思ってね。悪いけど邪魔させてもらったわ」
座り込んでいる幼女の頭を撫でながら、彼女は僕にすさまじい性癖を勝手に付与してきた。自分の性癖をタグ付けみたいに他人にホイホイ付けられてはたまらない。
「僕にそんな特殊な性癖はありませんよ!」
勝手に付けられた変態紳士タグを取り除いた後、僕は今に至るまでの経緯を簡単に彼女に説明した。
裏路地を歩いている最中に幼女と影に遭遇したこと。
襲われていた幼女を護るために影と戦闘(一方的に殴られただけだが)になったこと。
僕が影への攻撃手段を持たないこと。
幼女を連れて逃げる隙を伺いながら影の攻撃を受け続けたということ。
「……というわけです」
僕がそこまで話し終えると、彼女は釣り目気味な双眸を緩めて、一言。
「面白いのね、あなた」
いや少なくとも、世間一般的に言えば僕よりも貴女のほうが『面白い』と評されると思うが。
しかしそれは『面白い』という広義すぎる言葉の捉え方によって変わるのかもしれない。そう思い、僕は否定の言葉を飲み込んだ。
「ところで――」
と彼女は言葉を続ける。
「あなたのその制服…だったものだけれど『波佐間学園』の制服よね?もしかして、あなたも私と同じ新入生なのかしら?」
影との戦闘(一方的に…いやもうこれはいいか)で所々引き裂かれ僕の血で彩られた制服を指して、彼女は質問と同時に自分が新入生であることをカミングアウトしてきた。
はい、僕も波佐間学園の新入生です。
そう言いかけて、僕は迷う。敬語で話すべきか、否か。
初対面であり尚且つ僕を助けてくれた相手であるのでここまで敬語で話してはいたが、
相手の話し方もフランク(若干上から目線では有るが)で同級生であることが判明した今、敬語を貫くのは逆に失礼なのではないか?
「ああ、僕も波佐間学園の新入生だよ。今後ともよろしくね」
「待って。あなたは今、私が同級生だと分かった瞬間に敬語を外したわね?
そこから導き出される結論は、あなたが先ほどまで私のことを年上年増のババアだと思っていたということよ、このロリコン」
敬語を止めるこを選んだ僕に対して、彼女は怒っている風でしかしどことなく楽しそうに罵倒してくる。
「いや、どっちかというと年下に見えたけど」
本音を咄嗟に口に出してから、しまったと気づく。おそらく彼女はこう返してくる。
「変な目で私を見ないで欲しいわね、このロリコン」
ほら、やっぱり。
出会ってまだ数分だが、彼女のパターンがなんとなく分かってきた。
これは否定するだけ無駄なタイプだ。話題を切り替えよう。
こういう展開の場合は助けられたほうが相手に名前を聞くというのが様式美だ、
という話を昔どこかで聞いたことがあるのを思い出したので、僕は彼女に尋ねる。
「えっと……同級生みたいだし、君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るのが礼儀だって、幼稚園で教わらなかったかしら?」
彼女も様式美というやつは心得ているようで、待ってましたと言わんばかりにどこかで聞いたような台詞を返してきた。
さぞかしご立派な幼稚園で教育を受けたのだろう。
他人をいたずらにドMロリコン呼ばわりしてはいけない、という文言をその幼稚園の教育マニュアルに是非追加して頂きたい。
「ああ、僕のなま――」
「私の名前は春原凛香。春の原っぱに凛と香る、と書いて春原 凛香よ」
彼女――春原凛香――は、まるで準備していたかのような台詞で、僕の自己紹介を華麗に無礼にインターセプトしていった。
「……僕は三十三間堂 修。漢数字の三十三に、時間の間、お堂の堂で三十三間堂。修学旅行の修で、修。学校でもよろしくね、春原さん」
いつもながら非常にめんどくさい自己紹介だ。もはや慣れてしまったが。
「ええ、よろしく、さんじゅうしゃ…………修」
僕の苗字を呼ぼうとして噛んでしまったのだろう、だからと言って顔を赤らめていきなり名前呼びは卑怯だ。
「う……うん」
僕まで顔を赤らめてどうする。
――沈黙――
「メイちゃん!!」
沈黙を破ったのは、地面に座り込んでいた幼女――の母親だろうか。
中年の女性が大通りのほうから僕達がいる細い裏路地に駆け込んできた。
「ママー!」
幼女――メイちゃんは立ち上がり母親の元へ駆け寄る。そんなメイちゃんを抱き上げる母親。感動の再会である。
しかし母親は再会の余韻に浸る間もなく、メイちゃんを抱きかかえたまま足早に大通りの方へ踵を返す。
「おにいちゃんたちがねー、おおかみさんをやっつけてメイをたすけてくれたんだよー。ありがとうね、おにいちゃんたち!」
メイちゃんの言葉に対して母親は何も答えず、こちらを振り返り、悲しみとも怒りともつかぬ顔をして言う。
「これ以上私たちに関わらないで……化け物」
「……待ちなさいよ」
母親の言葉に対して、僕の隣にいた少女が、今までとはうって変わった強い語気で突き刺すように言った。
彼女の語気に竦んで足を止めた母親に対して、春原が続ける。
「この男は、あなたの娘をま――」
「いいんだ、春原さん」
僕が春原を制止した言葉で母親は我に返ったのだろうか、メイちゃんを抱きかかえて大通りへと駆けていった。
数秒の沈黙の後、僕は春原に話を続ける。
「……僕にあの人が知らない痛みがあるように、たぶんあの人にも僕が知らない痛みがあるんだ。
あの人の痛みの原因はたぶん、僕たち『魔操士』なんだと思う。だから――」
「だから、自分の痛みを無理に分かってもらおうとはしなかった、と」
緋色の双眸でこちらを見据えながら、春原が静かに真面目にインターセプトしてきた。
「分かってもらいたいとは思う。でもね、たぶん分からないよ。傷つかない者が、傷つく者の痛みを理解できるわけが無いんだ」
かつての僕が、そうであったように。
僕の言葉を受けて、春原はため息をつき、一言。
「面白いのね、あなた」
彼女の語気は元に戻っており、数分前と寸分違わぬ台詞だったのだが、何かが、どこかが、違うようにも感じられた。
「あ……はい、ありがとう……」
『面白い』という評価に対しての反応にはやはり困る。芸人であれば最高級の評価なのだろうが、僕は芸人ではない。
芸人では無い故に気の利いた返しなど出来るはずも無く、返事に困った僕はつい礼を言ってしまった。
すると春原はいたずらっぽく笑いながら
「私は、血だらけでボロボロの修の姿を見て『面白い』って貶したのよ?それに対して『ありがとう』ってやっぱりドMね。最中に気持悪いわ。」
と、新しい日本語を作ってきた。
最中ってなんだよ…もし仮にこれが漫画や小説の世界だったら『もなか』と読まれるんじゃなかろうか。
しかしまあ、このボロボロの格好で入学式に参列してしまっては、面白いを通り越してドMといわれても仕方が無いのかもしれない。
……やるか。
「じゃあ、もうすぐ面白くなくなるな」
キョトンとした顔の春原を横目に、僕は右掌を自身に向け詠唱を始める。
「朝露、微風、小鳥の羽毛」
僕の右掌に白い三角形の魔方陣が浮かび上がる。
「傷癒す光翼となりて」
掌から光の束が僕の身体に伸びる。
「優しく頬を撫でよ!」
光の束が僕の全身を包み込み、傷に吸い込まれるように消える。
傷が少しずつ塞がっていくのが自分でよく分かる。
ちなみにこの治癒術式は自己治癒力を極端に加速させるものである故、残念ながら破れた制服は元に戻らない。
「制服が治らないんじゃ、やっぱり面白いままね。」
春原は容赦なく痛いところを突いてくる。まあ鞄の中に替えの制服があったはずだ。
「入学式の前に学校で着替え――」
そこまで言って僕は気がつく。
今何時?
腕時計を見る。
8:50
入学式何時からだっけ?
9:00
「春原さん」
「ん?なにかしら?」
「時間。あかん。遅刻」
つい片言になってしまった。
「ああ、私は10分もあれば学園までは余裕で間に合うわ」
春原は、雲散霧消した影の跡に残る『魔素結晶』と、白銀に光る細剣――僕の頬を掠り影を射抜いた魔法的暴力――を拾いながらそう答えた。
「それじゃ、また」
彼女はそう言い残すと肩まで伸びる桃色の髪をなびかせ、建物の屋根を伝って学園のほうへ飛んで…いや跳んで行った。
上下運動をしながら離れていく白いパンツを眺めつつ、僕は大通りに出て左手を上げた。
「どちらまで?」
僕の目の前で停まったタクシー運転手のお決まりの質問に、僕はこう答える。
「波佐間学園まで……急ぎでお願いします!」