仲間
……それから二週間。予想に反して私の回りには何の変化もなかった。考えてみればそうそう記憶操作のバグなど起こるはずがない。それに、自殺した三人共が完全な自我を有していたかは怪しいものだ。
一人目の自殺者というイレギュラーが発生した時点で他の二名に何らかのバグが起き、最初の犠牲者に追従しただけかもしれない。首輪に支配されたアンドロイドの思考など私には理解出来ないのだから。
「さっきから物憂げな顔で外見てるけど、どうかしたの?」
「別に……。ただ今日も暑いなーって思ってただけ」
昼休み中の教室での会話である。入学してからクラスの誰とも接触しようとしない私に、月子だけはいつものように話しかけてくる。
この能天気な茶髪娘が私と同じならどんなによかっただろう。しかし、私が絵を完成させた時真っ先にそれを見た彼女は単純に驚いただけで、他には何の反応も示さなかった。
結局私は独りぼっちなのかな……。そんな風に考えると自然と溜息がこぼれる。
「おおーっと、大きなため息なんか吐いてどうしたどうした!? またハゲに呼び出しでも食らったのかー?」
まあそれもあるんだけど……。何度同じことを確認させる気なんだ、あのハゲは。私が描いた絵なんかより今の役職にしがみつくことに必死なのは見え見えである。それでも私にしつこく話を聞こうとするのは理事会へのポーズなのだろう。
……そこまで考えてふと違和感を覚えた。ちょっと、待て……。
「月子、あんた今何て言った!?」
「え、何ってだからまた学園長に呼ばれたのか、って……」
違う。さっき月子は「ハゲ」と言った。首輪を付けたままで、教員である学園長を明確に馬鹿にした。
私が目を見開いたまま月子の顔を凝視していると、やがて彼女も自分の失言に気付いたのだろう、ハッとして口元を手で覆う。
恐怖にも似た表情で固まる月子を前に、私は自然と涙ぐんでいた。
やっと、やっと見つけた……! こんなに近くにいたんだ。独りだった私にいつも話しかけてくれた、そんな月子が自我保因者だったんだ!
回りの生徒に見つからないように制服の袖で慌てて目元を拭う。そんな私を見て月子はふっと表情を和らげた。
「もう、何泣いてんのよ」
そう言いながら、私の目尻に残った涙の粒を温かな指でそっと拭ってくれた。
「警戒してたのがバカみたい」
購買で昼食を買い、屋上に移動した後の月子の第一声がそれだった。
「警戒って……だから今まで私に教えてくれなかったの?」
「そう非難がましい目で見ないでよ、悪かったって。だって沙恵ってば傍から見てもクールなんだもん」
「何それ。私が他の皆と同じに見えたってこと?」
それはそれで心外である。
「沙恵が絵を描いた時は"もしや!"と思ったけどね。でもそれがトリックである可能性は捨てきれなかった」
月子の話を聞いて私は納得した。要するに、最初彼女は私を学園側のスパイだと思っていたのだ。事前に誰かが描いた絵を映像として記憶し、それをそのまま描写することは出来るのだから。
「そんな回りくどいことをして何の得があるっての?」
「それは、ほら。沙恵を自分の仲間だと思った生徒が接触してきたらそれを学園長に告げ口するとか」
「あんたって顔に似合わず疑り深いのね……」
「うっさいなー。それでも確信はなかったから反応を見ようとして、いろいろ言葉を選んで話しかけてみたんじゃない」
「言葉を選んで? あんたは会った時からあんな口調だったわよ。何の効果にもなってないわ。そもそも何で私に声をかけようと思ったの?」
「あれ、そうだったかなー」と頭を描きながら首をかしげる月子。そのまま、続く私の質問に答える。
「だって、クラスで孤立してる人って何となく放っておけなくない?」
「そ、そんな理由で!?」
思わず口をぽかーんと開けてしまう。
「そんな理由って、おい。他の生徒達だってお互いに話しくらいしてるじゃん」
……そこにどんな感情があるのかまでは分からないけど。そう繋げる月子。
「他の、その、生徒ってどんな感じなの? 話してる時の反応とか……」
「え、沙恵って喋ったことないの?」
「うん、ほとんど。だって何だか気味悪いじゃない」
「まあ気持ちは分かるけどさ。んー何て言うのかな……」
パックのオレンジジュースを飲みながら思案顔で空を眺める月子は、そのままの格好で言葉を続ける。
「色がない、って感じかな」
「色?」
抽象的過ぎてよく分からない。
「ねっ、私って何色っぽい?」
「ん、ん~っと」唐突に言われても困る。月子は活発でそばにいると元気をもらえる感じがするから……「赤とかオレンジとか、そんな感じかな」
うんうん、と何やら訳知り顔で頷く月子。
「ちなみに沙恵は深い青って感じかな。物静かなイメージだから」
「まあ、嫌いじゃないけどさ」
「……ほら、誰にだって色に例えられるような個性があるでしょ? 他の生徒と話してると、元となった色は何となく分かるんだ。この人はピンク、この人は黄色って感じに。でもね、それはひどく薄まってるの」
「感情が希薄、ってこと?」
「そうとも言えるかもね。でもその人自身の個性は完全に消えたわけじゃない。だからロボットみたいに皆が皆同じ行動を取ることはないんだけど」
何となく分かった気がする。
「要するに、話しててもつまらないってことでしょ?」
「……そうだね。って、私の詩的な例え話をたった一言でまとめないでよ!」
「シンプル・イズ・ベスト、ですよ」
何だそりゃ、と呆れ顔の月子である。
「それにしても、私とあんたが同じだと分かったきっかけがハゲだもんねー」
「まさか二人して同じあだ名を付けているとは……。哀れな学園長」
「でも初めて役に立ったよね、あんなハゲでも」
「そうだね。残念ながらあの毛根はもうどうしようもないけどね」
ぷっ、あはははは! とお互いに笑い合う。そういえばここに来てから誰かの笑顔を見たのは初めてのような気がする。もちろん、自分が笑うのだってそうだ。
つい言いそびれてしまった感謝の言葉を心の中で呟く。
……月子、あんたがいてくれて本当によかった。ありがとう。
このまま午後の授業をサボってずっと話をしていたかったが、そういう訳にもいかない。だから私たちが再び本心から言葉を交わしたのは、放課後寮に戻ってからだった。
「……うん。私もそう思ってた」
月子の部屋で、彼女に私の立てた仮説を話してみるとそう返事が返ってきた。
「でしょ? だから絵を描いて他にも同じ人がいないかどうか探ろうと思ったんだけど……」
「なるほど。それにしても大胆なことするね、沙恵は。学園側からマークされることになるのは分かってたんでしょうけど……」
「うん。しつこいくらい色々聞かれたしね。でも結局成果はなしかー」
座ったまま両手を伸ばして床に倒れこむ。すると頭のすぐ脇に無造作に置かれた高校数学の教科書があった。それを拾ってぱらぱらと捲る。
「何してんのさ」
「別に……。ただ、もし私が死ななかったら今頃本当の私もこれを勉強してたのかなぁ、って思ってさ」
月子の顔が悲しげに歪む。ふと何かを口にしようとして、だがそれを言葉にしないまま俯いてしまう。
……居心地の悪い沈黙。それを破ったのはやはり月子の方だった。
「でも一つだけ分かったことがあるんだ」
「え、なになに!?」
思わず起き上がって月子の顔を覗き込む。彼女もただ漫然と無為な日々を過ごしていた訳ではなかったらしい。
「自殺した三人の生徒。みんな、死ぬ少し前に榎木田先生と接触してるみたいなんだよね」
「それってどういう……そもそも、そんなことどうやって調べたのさ?」
顔を上げた月子と目が合う。その大きな瞳の奥は、酷く不安な光を宿していた。
「普通に聞き込みしただけだよ。ここの生徒は基本的に嘘を付くってことをしないから案外簡単なんだ。だから、それを知った時本人に直接会いに行こうと思ってたんだよ……あの生徒たちに何をしたんだ、って聞くつもりで」
だけど……。そう続ける彼女の声はいつになく震えているようだった。
「聞いたら、知ってしまったら私まで死にたくなるんじゃないかって」
「……っ!!」
「自分が人間じゃないって知ってあれほど絶望したのに! それでも、そんなまがい物の生でも捨てるのは怖い。怖いのに、それをした生徒が三人もいるのよ!? そこにどんな理由があるのか……って考えると怖くなっちゃったんだ」
そうだ。冷静に考えてみると、自我を保っている=自殺の動機、そう安直に判断するのは間違っている気がする。ここに来てから眠るたび、死を考えなかった夜はない。だが、それを実行に移すための起爆剤が欠けているのだ。
「それでも、そこに何か秘密があるなら……」
「うん……私たちは知らないといけない。私はこんな学園認めない! 外の一部の学生がこの澄空学園のことを何て言ってるか、沙恵知ってる?」
「ううん。私はこういう学園があること自体知らなかったよ……自分には関係ない世界の話だと思ってたからロクに知ろうともしなかった」
記憶のコピーにしてもそうだ。ただ、皆がやっていたから。まさか自分が死ぬことになるなんて思いもしなかった。
「……そっか。『墨空学園』、そう呼ばれてるんだ。未来を塗りつぶされた子供たちが行く所、なんだってさ。ははは……笑っちゃうよね。唯のダジャレじゃん」
しかし、そう言う月子の顔は抑えようもなく引きつっていた。誰が名付けたのか知らないが、全くその通りじゃないか……。
「でも沙恵がいてくれて良かった。これはチャンスなんだよ! この学園の綻びが見えたんだ……上手くいけばまだ学園内にしか知られていない、アンドロイドの自殺っていうトンデモネタを世間に知らせられるかもしれない」
この寮を含む学園の敷地は通常の学校の数倍はある。一種の治外法権だ。学園の出入り口は一ヶ所しかなく、校門脇に設置されたゲートによって首輪をされた生徒の出入りを監視している。
この首輪は物理的な意味でも、これまでの生活からこの学園へ至る片道チケットなのだ。
「そうだね。ここで起きていることを外の人間に伝えることが出来れば、きっと何かが変わると思う。ううん、変えなくちゃいけない。やっぱり死んだ人間を蘇らせるなんて……ましてや本人に何の自覚もないままアンドロイドに生まれ変わらせるなんて絶対おかしいよ」
私たちは、一度死んだときにそのまま眠りにつくべきだったのだ。
月子が俯いたまま小さく頷く。聞かずとも分かった。月子も私と同じことを考えている。
……そう、墨空学園からの脱出だ。
たとえその先に何の希望も見えなくても。後ろには絶望しかないのだから、目の前に広がる暗闇に向かって足を踏み出そう。