人の業
『昨日、――から女子学生が飛び降り自殺を図りました。故人の着ていた制服と左肩に彫られた刺青から現在身元の確認を急いでおり……』
◇
昔、人生をロールプレイングゲームに例えた人がいた。Role-Playing-Game.(役割を-演じる-ゲーム)
どんな人間でも生涯のうちに何がしかの役割を与えられる。それを演じ切れ。
「世の中に不必要な人間などいない」。時にはそうしたプラス思考で物事を考える時に用いられた言葉だ。
それならもし仮に、生まれた時からたった一つの役割を演じることしか許されなかったら? その役目を果たし終えた後に残るのは唯の抜け殻、残骸だ。
――また一人、澄空学園の生徒が死んだ。
これで今年に入ってから三人目の自殺者になる。今頃職員たちは大騒ぎだろう。しかし、どんなに調べたところで自殺の動機など分かるまい。
そう、アンドロイドが自殺した理由など彼らに理解できるはずがない。
朝の支度を終えて玄関のドアを開けると、ちょうど隣の寮生である月子と顔を合わせる形になった。
「あ、おはよう月子」
「おはよ、沙恵」
お互いに挨拶を交わして少し早足で歩き出す。左のうなじ辺りに僅かに残る寝癖を気にしながら月子が話しかけて来た。
「一限の授業の前に緊急の全校集会だって。知ってた?」
「うん、さっきパソコンで見たから。きっと例の件だろうね」
「間違いないよ」
月子が頭を押さえていた手を離すと、癖のあるやや茶色がかった髪がぴょこんと跳ねた。それをもう一度撫でつけながら口を開く。
「でもさ、なんで自殺なんかしたんだろうね。だってコレを付けられた時点でそんな感情なくなってるはずじゃない?」
――私、コレ付ける前の自分がどう考えていたのかよく思い出せないんだよねー。
そう呟きながら、彼女の細い指が首元に巻かれたチョーカーを指す。それは真実、私たちを繋ぐ首輪に他ならない。
私も含め全生徒に同じくチョーカー風の首輪が巻かれている。それを指でいじくりながら月子の疑問に答えた。
「単なるバグでしょ、きっと。私たちには関係ないことよ」
それでも納得いかないような面持ちで思案している彼女と共に寮の出口に辿り着く。吹き抜けの渡り廊下を通った先が、私たちの学び舎である澄空学園だ。
いや、牢獄と言い換えた方が的確かもしれない。存在意義を失った者たちを収容する学園という名の檻――。
体育館に入ると既に大多数の生徒が整列していた。私が壇上脇の柱にある時計に目をやるのと同時に学園長が号令を発する。
『えー皆さん、静粛に願います』
マイクで拡張されたしわがれ声が、夏の湿気でおぼろげな空気に包まれた館内に響き渡る。
『既にご存知の人が大半だと思いますが、昨日我が校の生徒が……亡くなりました』
「失われた」。そう言おうとしたのだろう。喉元まで出掛かった言葉を不自然に変えた時のような違和感があった。彼は私たちをヒトとして見ていない。分かりきったことだ。
一瞬の空白。生徒同士が顔を見合わせているが、どの顔にも戸惑い以上の感情は浮かんでいなかった。
悲哀。傷心。感傷。何も、ない。
『先の件と合わせて今回で三人目の自殺者。由々しき事態です。原因は現在調査中ですが、何か心当たりのある生徒は速やかに教員まで申し出るように。そもそも――』
……暑い。まだ初夏とはいえ、閉鎖的な空間で無駄な話をだらだらと聞かされる方の身にもなってほしい。
汗がこめかみを伝い落ちる。限りなくヒトに近く作られたが故の弊害である。
学園長はさっきから私たちが作られた意義について熱弁を奮っている。「自殺するのは愚かだ」。そんな風に話を持っていきたいのだろうが、暑さで話の繋がりを忘れでもしたのかてんで見当外れな講演だ。
……いや、暑さに参っているのは私も同じか。
朦朧とする意識に被さるように響く不快な声。それにつられるようにして、私は自身が生み出された経緯について思いを巡らす。
全ての始まりは、アメリカのとある脳科学研究チームが人の記憶のデータ化に成功したことだった。
生体は無数の電気を帯びている。記憶の中枢をなす脳の器官――海馬や大脳皮質においても例外ではない。彼らは神経伝達物質の要となる電気シナプス、その信号の役割を全て解明したのだ。
記憶をデータとして外部に保存する。この世紀の大発見に伴い、世界中が注目したのは例の研究チームが続けて行っている実験だった。
人から人へ記憶を移植する実験。知識の共有である。
この技術が確立すれば努力の必要がなくなる。長い時間机に向かって得た知識(宣言的記憶)も、練習を重ねて身に付けた技術(手続き記憶)も、脳にデータ化した記憶信号を送るだけで簡単に自分のものになるのだ。
しかし十年あまりの年月をかけて研究されたこの夢の技術は、人体実験の発覚――被験者の死亡及び人格崩壊――という最悪の結果で幕を閉じることになる。
既に情報が満たされた器に記憶を上書きしようとするから失敗する。ならば空の器に新たなデータを入れればいい。
そうして次の実験に乗り出したのは日本の科学者だった。
――アンドロイド制作実験の始まりである。
分化万能細胞であるES細胞とiPS細胞を応用して作られた擬似人体。そこに、記憶データを保存したチップと結合出来るように培養された擬似脳を移植する。
そしてチップに保存された通りの人格として「生まれる」のだ。その人格の元となるのが……。
『……ならば、何を思って彼、彼女らは死を選んだのか。死ぬことよって得られる幸せなどありません。それは唯の逃避です。自分の作られた意味をもう一度よく考えてみてください。そうすれば、安々と自らの存在を消そうなどという気は起らないはずです』
今まで聞き流していた学園長の言葉が耳に入ってくる。それと同時に思考が一時停止した。
死んで得られる幸福などない。
いけ好かない学園長だが、その言葉だけは私の考えと同じだった。死んであの世で幸せに暮らす? ばかばかしい。天国など存在しない。死と無はイコールだ。そもそも私の存在自体が死後の世界の否定になっているではないか。
なぜなら、私は一度死んでいるのだから。
自分の作られた意味を良く考えろ? その意味を失ったからこそ私たちは此処にいるのに、あの壇上のハゲは何を馬鹿げたことを言っているのか……。
私たちが作られた目的……そう、アンドロイドを作ったところで需要がなければ意味がない。しかし、人格の要である記憶を外部からコピーする以上、出来あがった個体は元となる人間の複製に他ならない。
そんなものは気持ち悪いだけで何の価値もない。ならば結論は一つ。既にこの世に存在しない人間、死者の記憶をアンドロイドに植え付ける。
日本の科学者が着目したのは、数年前に流行った新種のインフルエンザによる被害だった。このインフルエンザは数十年前にパンデミックを起こしたH1N1型ウイルスの変異系であり、その致死性は極めて高いものだった。
そう、病が流行した数年の間に多くの子供が命を落としたのだ。
我が子。親にとっては何ものにも代えがたい存在である。ならば――それを失った者の嘆き、悲しみはいかほどのものだろうか。
彼らはそこに付け込んだ。
かねてより疑問視されていた倫理的な問題を、「死者の蘇生」という奇跡に置き換えることで民衆を味方に付けたのである。
子供のアンドロイド制作。それが科学者達の次なる課題となった。程なくしてこの実験は成功し実用化に至るのだが、その後子供アンドロイドが日本で爆発的に普及したことには理由がある。
世界的に見て親子心中が最も多い国が日本だ。日本の親は子供を自分の所有物として認識する傾向がある為らしい。
そうした背景も相まって、驚くほどすんなりアンドロイドは一般社会に認可された。子供を持つ多くの親が定期的に我が子を専門の施設に連れて行き、そこで記憶・声紋・骨格、その他のデータを採取し保管する。
万が一何らかの事故や病気で子供を失った場合、そこに収められた記録を元に生前の我が子と寸分違わぬアンドロイドが誕生するという仕組みだ。
……私もそうして作られた。四年前に死んだオリジナルのデータを元にして。
『……以上で話を終わります。この後予定していた一時間目の授業は時間的に厳しいので休講とします。補講については学内ホームページにアップするので、各自の端末で確認してください。それでは、解散とします』
生徒一同からため息が漏れる。三十分以上も続いた学園長の話だけで一日分の授業に匹敵する疲れだ……まったく。
授業の目的は私たちの人工脳の機能や性能を審査することであり、審査という以上は通常の学園通りに試験だってある。やっていることは基本的に普通の勉強と同じなのだ。退屈極まりない部分も含めて。
そんな暗澹たる気分で自分のクラスへの通路を歩いていると、後ろから追いついてきた月子に肩を叩かかれた。
「よっ! それにしても疲れたねぇ……あんなに長い話だとは思わなかったよ。ってかさ、電子予定表じゃあ二十分前には終わってるはずなんだよ!? 学園のトップの人が予定狂わせてどうすんのさーって感じじゃない?」
それは問いかけというより半ば八つ当たりに近い独り言だった。きっと学園長も恐れているのだろう。全く原因の掴めない一連の自殺騒ぎを。それにしたって今の講演に何らかの効果があるかと問われれば苦笑するしかないのだが。
「あぁぁー暑い! 沙恵なんかこんな髪長いくせによく平気な顔してられるわね……さっきからだんまりだし、つまんなーい!」
「ちょっと、暑苦しいから髪触んないでよ! まったく……黙って暑さに耐えてる私を少しは見習いなさい。あとそれ、みっともないからやめなって」
制服の胸元をぱたぱたさせながらだるそうに歩いている月子に呆れながらそう呟く。この学園で月子のように感情を表に出す生徒は珍しい。首輪をされてこれなら、元となった彼女はよっぽど強烈な個性を持っていたのだろう。
「それじゃ、私ちょっと用があるから」
階段前に差し掛かったところで、上に行こうとしていた月子にそう告げる。
「え、用って何さ?」
「ちょっと学園長に呼ばれてるのよ。時間のある時に、ってことだったから今のうちに行っちゃおうかと思って」
「あ、分かった! あの絵の件でしょ!? きっと根掘り葉掘り聞かれるぞ~。私から見たってぶったまげる程の作品だったもん。大体ここの生徒は普通絵なんか……」
「あーうるさい! そんなことは分かってるわよ。あのハ……学園長が話好きだってのもさっき分かったし」
危うくハゲと言いそうになって慌てて言い直す。基本的に首輪をされた生徒は教員に対して不適切とされる言動・行為は行えないことになっているのだ。例え相手が月子でもボロを出す訳にはいかない。
「それじゃ、ちょっと行ってくるわ」
軽く手を振って階段を通り過ぎた先にある教員棟を目指す。去り際に手を振り返してきた月子の目が心配そうに見えたのはきっと気のせいなのだろう。悲しいことだけれど。
「失礼します」
そう言って学長室のドアをノックすると、中から「どうぞ」と若い男の声がした。訝りつつも入室すると、クーラーの効いた室内で待っていたのは案の定学園長ではなかった。
「榎木田先生……どうしてここに?」
机に寄りかかって何やら書類を読んでいた長身の男が顔を上げる。
「一時的な代理でね。どうやら学園長は体育館の暑さが身に応えたらしい。君は大丈夫だったかね?」
「は、はい。えっと……学園長に時間がある時に来い、って言われていたので伺ったのですが……」
「ふむ。すると君が沙恵君なのかい?」
「そうです」
どこが学者然とした空気を纏うこの先生を私は内心で博士と読んでいる。
「ではそんな所に突っ立っていないでソファーにでも座りなさい。代理ということで僕が話を聞いても構わないだろう」
そう言って自身もソファーに座る。若干戸惑いながらも私は促された通り、硝子テーブルを挟んで博士と向かい合う位置に腰を下ろした。
「なに、学園長は私と違ってあの絵に対してさほど関心を持っていないようなのでね。気にすることはない」
「分かりました」
博士の言葉で僅かにあった迷いも消えた。確かにあの暑苦しい巨体を前にするよりは格段に気分が良い。
「よし。では初めにいくつか質問をするからそれに答えてくれ」
はい、と返事をしながらも私の心臓は早鐘を打ち始めていた。ここで迂闊なことを言おうものなら即実験室送りにされかねない。
「まず君が付けているその首輪。どんな効果があるか知っているかい?」
「ええ。アンドロイドを所有するにあたって、依頼主にのみ与えられるナンバーロック式の首輪です。これを嵌められることはその個体が不要になったことを意味します」
「そうだね。他には?」
博士は足を組みながら眼鏡越しの細い目で私の様子を観察している。
「首輪の内部に埋め込まれた特殊媒体が脳内のチップに反応します。装着と同時に意識を失い、自らの出生過程を強制認識させられた状態で目を覚まします」
「その通り。では、君が生まれたのはいつだ?」
「四年前の十二月二十日です」
「では君のオリジナルが死んだ日はいつだか分かるか?」
「いえ、その記憶は私の脳内には存在しません。ですが恐らく私が作られた時期と同じでしょう」
まあそうだろうな……そう呟きながら博士は組んでいた足を下ろした。
「どうやら首輪の機能は正常に動作しているようだな。当たり前ではあるが。君の言う通り、それは一種の制御装置のようなものだ」
博士の長い指が私の首元を指す。
「首輪を嵌められた時点で自分が人工生命体である事を認識させ、その結果に疑問や不満が入り込む余地を無くす。そうすると――当然元となった人物の性格や意識はそのままだが――何かが欠落したような歪な心を有する個体へと変貌してしまうんだ」
……私も本来ならそうなっていたのかと思うとぞっとする。
「さて、それでは本題に入ろうか」
博士はただでさえ細い目をより一層細めながら話を進める。
「首輪を付けることで心の一部が失われる。それによって起こる変化をはっきり把握するのは困難だ。その人自身の人格による反応との区別がつかないからね。だが、それを簡単に調べる方法がある。何か分かるね?」
思わず唾を飲み込む。それでも博士から視線を逸らさずに質問に答えた。
「はい。美術の授業がそうです。首輪を付けられたアンドロイドは、いわゆる芸術作品が作れなくなります」
「そうだ。写真を模写することは出来る。記憶にある風景を寸分違わずに描写することも可能だ。だがその半面自らの想像のみで絵画を描くことが出来なくなる。もちろん個人差はある。その差異を比較検討する為に美術の授業はあるのだから。しかし……」
そこで博士は言葉を区切り、組んでいた手から視線を私に移す。そこには無言の圧力が感じられた。
「しかし君は想像だけで見事に描き切った。公園で蝶を追いかけている少女の絵。あれが現実ではあり得ないことは一目見れば分かる。……いったいどうやって描いたのだ? あの風景はどこから出てきた?」
「分かりません……不意に頭に浮かんだものを書き写しただけなので。それが何に由来するのかまでは」
「そうか。なら……」
「っと、もうこんな時間か」
不意に響き渡ったチャイムで我に返る。月子の言っていた通り、本当に根掘り葉掘り聞かれるハメになった。幼い頃の記憶から、学校生活その他で絵を描いたことはないか。どんな絵が得意だったのか。……自殺者の動機に心当たりはないか。などなど。
「もう教室に戻ってもいいですか?」
「ああ。長い間引き止めて悪かったな。参考になったよ。だがまたいずれ話を聞くことになるかもしれない。その時はよろしく頼む」
分かりました。……そう答える声は自分でも理解出来る程に疲れを滲ませていた。まったく、朝からこれでは先が思いやられる。
学長室から出た途端に襲いかかってきた外の熱気に思わず眉をしかめた。……目眩がする。やはり教師に嘘を付くことには若干の負荷がかかるらしい。それでもボロが出なかっただけよしとしよう。
そう、私は首輪の制約から逃れることが出来る。付加的な作用(出生状況把握など)はそのままに、しかし感情の抑制を受けなかった個体。それが私だ。
だからこそ三人の自殺者の心情も理解できる。彼らは私と同じだったのだ。自分の正体を知りながら、それでも人としての感情を失わずに此処に連れて来られた。周りにいるのは心の一部が欠落した人形ばかり。自分を作った親が「不要」と判断した為に首輪を付けられ、それを嘆こうものなら今度は「故障」と見なされ強制処分か実験台にされることは目に見えている。
どっちを向いても絶望しか待っていないのだから、自殺したくなるのも無理はない。私だって此処に来た当初は死ぬことばかり考えていた。
だが、幸いと言っては何だが私の前に自殺者が続いたことで確証が得られた。この学園で一貫した自我を保っている生徒が他にもいる。
管理側の人間(教員)に知られることになるから、公に自分の同類を探すことは出来ない。頭を悩ませた末に私が思いついたのは絵を描くことだった。これだけなら一概に私を不良品だと断じることは出来ないだろう。
そして私の思惑通り、完璧な絵を描いた生徒がいるという噂は既に多くの人の間に広まっているだろう。その噂を聞きつけた生徒の中に私と同じ体質の者がいれば、必ず接触を図ってくるはずだ。それだけに昨日亡くなった生徒にも情報が回っていればもしかしたら、と思うと悔しくてならなかった。
とにかく今は待つしかない。