9 青薔薇後編
春の園遊会は、春牡丹の中行われる。
例年ならば、もう少し早く行われるのだが、毎度寒さに敵わぬものが続出する中このようになった。
赤い毛氈を敷き、長机と椅子が並べられている。
楽団が今か今かと、楽器の手入れを行っている。
慌ただしく女官たちが、用意に不備はないのか確認し、若い武官たちがまだ薄い髭をなでながらそれを楽しそうに見ていた。
背後の目隠しに幕が引かれ、裏で誰かが騒いでいた。
げっそりと痩せた小柄な女官が、大きな花瓶を抱えている。
そこに生けられたるは、季節にはまだ早い、色とりどりの薔薇だった。
「本当にできたのか」
壬氏は、まだつぼみの開ききらぬ花を眺める。色は、赤、黄、白、桃、青、それどころか黒や紫、緑色まで生けてある。
「やはり、難しいですね。開花には至りませんでした」
心底、残念そうな猫猫。
これは、壬氏に対するすまなさというより、自分の思い通りにできないふがいなさがたった言葉であろう。
「いや、十分だ」
青い薔薇といったのに、ずいぶんと賑やかに盛ったものだ。
過労で倒れそうな娘を翡翠宮の侍女に任せて、花瓶を宴席の上座に飾る。
つぼみのままの花々は、絢爛たる牡丹の花から注目を奪うには十分だったらしい。
遠巻きに皆、驚いている。
○●○
「あなた、もう水晶宮にいっちゃだめよ」
宴席より少し離れた東屋にて、桜花が猫猫をひざまくらしている。
桜花は、猫猫が心配でついてきていた。
懐妊がはっきりした玉葉妃は、今回の宴席を見合わせた。表向きは、淑妃こと楼蘭妃のお披露目として席を譲った形となる。
なぜ、桜花が心配するほど痩せこけたのには、原因がある。
どうにも、猫猫は水晶宮にいくと過労になるらしい。
ここひと月あまり、猫猫は再び水晶宮に通っていた。
侍女たちにはあいかわらず物の怪を見る目であつかわれたが気にしない。
壬氏にあらかじめ頼んでおいた場所、それは水晶宮の蒸気風呂だった。
以前、猫猫が突貫工事で作らせたものである。
梨花妃はあいかわらず高貴なかただが、二つ返事で許可してくれたらしい。
猫猫は悪いと思い、
「これは、皇帝の愛読書です」
と、先日新たに妓楼から取り寄せた書を渡しておいた。
梨花妃は中身に気が付くと、優雅な足取りで自室に戻って行った。
まさか、あんなものが高貴なかたへの袖の下になるとは、誰も思うまい。
館の主人のご機嫌を得たところで、蒸気風呂の蒸気が流れ込むように庭に小屋を作る。窓が大きい、天上にも大窓がついた奇妙なつくりの小屋である。
そこに運ぶのは薔薇の鉢。ひとつふたつではなく、何十と持ち込まれた。
蒸気で温められた空気のなかで、薔薇を育てる。できるだけ日光に当てるようにし、天気の良い日は外に出した。
いまだ霜が降りるような寒い日は、焼石に水をかけ、徹夜で小屋を温め続けた。
猫猫が何をしたかったのかと言えば、それは薔薇を狂わせたかったのである。
狂い咲きをおこしたかったのだ。
なので、すべての鉢がつぼみを付けるとは思わず、何十も用意した。花の種類も、できるだけ早咲きのものを選んだ。
期間がひと月あまりと短く、できる確証はなかったが、つぼみができたのをみたときはどんなに喜んだことか。
なにより、花の色をつけるより、花のつぼみをつけることのほうがよっぽど苦労したのだ。
壬氏から宦官を数人よこしてもらったが、温度調節など微妙なものは猫猫が行わないといけない。間違って、薔薇をすべて枯らしてしまったらおしまいである。
時折、物珍しそうにか、怖いものみたさにか、水晶宮の女官がうろつくので、鬱陶しいからと他の事に目をやるようにした。
紅を爪に塗り、布で丁寧に撫でる。
花街では当たり前の爪紅だが、後宮内ではあまりみない。仕事の上で邪魔なのだろうが、普段からあまり仕事をしていない侍女たちは興味津々で食いついてきた。
わざと見せつけるようにのぞかせると、侍女たちは自室に自分の紅を探しに行った。
(これは都合がいい)
少しだけ悪いことを考え、梨花妃にも爪紅をすすめてみた。
後宮には流行がある。そしてその流行最先端となると、大抵、寵愛を受けた妃たちである。
たとえ下女でも、皇帝の御手付きになれば、妃に召し上げられる。ならば、皇帝の気に入った女の真似をするのは不思議でないことだ。
毒見のために翡翠宮に戻った際、玉葉妃や侍女たちにも爪紅を見せてみる。紅娘は、非効率だといったが、残りはみな興味深そうだった。
(鳳仙花と片喰があればな)
爪紅の異名をとる鳳仙花と、ねこあしの異名をとる片喰を潰して練り合わせて爪につける。片喰が鳳仙花の赤の発色をよくするのだ。
爪紅が後宮内の女官たちに流行るころ、薔薇のつぼみは膨らみ、どれもが白い花びらをのぞかせていた。
猫猫が選んだ薔薇は、すべてが白い薔薇であった。
「あれは一体どうしたんだ?」
壬氏が眉間にしわを寄せる。
後ろに控える高順も興味深そうに見ていた。
桜花は壬氏たちがもう大丈夫だといったので帰っていった。表向き、猫猫は玉葉妃付の侍女だが、雇用形態は壬氏付のままである。
「染めただけですよ」
「染めた?そんなことはない。花びらにはなにもついていなかったぞ」
「外側ではありません。内側から染めたのです」
白い薔薇を色のついた水につけ放置した。
ただ、それだけだ。
茎から水ごと色素が吸い上げられ、白い花びらを染め上げる。
だから、薔薇が吸い上げる水ならばどんな色でも問題なかった。
ただ、葉の色はどす黒く汚くなるため、花瓶に生ける際、白い花以外すべてむしっておいた。
同じ花瓶にすべて生けたように見える薔薇だが、そのひとつひとつの茎の根元は、色つきの濡れた綿で包まれ、油紙で固定されている。
実に単純な話である。
方法が方法だけに、なにかしら言いがかりをつけてくる連中がでるかもしれない。その対処法として、前夜、翡翠宮をおとずれた皇帝に種明かしをしておいた。誰もが、一番最初に秘密を教えてもらえるのはうれしいことらしく、何か言われても意気揚々と説明をかってくれるだろう。
「つまり、以前青い薔薇を見たというのは、毎日毎日、青い色水を薔薇に吸わせる暇人がいたんですよ」
「なんでまた、そんなことを」
「さあ、女を口説く道具でも欲しかったのではないでしょうか」
猫猫はそっけなくいうと、胸元から細長い桐箱をとりだす。冬虫夏草の箱に似ているが、中身は別物だ。
「珍しいな」
壬氏が覗き込んでくる。
「爪を染めているのか?」
「ええ、似合いませんけどね」
薬と毒と水仕事で荒れた手は、左の小指の爪が奇妙な形に歪んでいた。赤く染めても、歪さは変わらない。
じろじろと面白そうに見てくるので、またいつもの水面に浮かんだ魚を見るような目を向けてしまった。
(いかん、いかん)
頭を振る。これくらいで気にしていたら、このあとがもたない。
まだ仕事は残っている。
「高順さま。頼んでいたものは」
「ええ、言われた通りに」
「ありがとうございます」
舞台は設置してもらった。
あとは、いけ好かないやつに一泡吹かせるだけだった。