8 青薔薇前編
(以前は合わないと思っていたが)
そうでもないらしい。
猫猫は久しぶりの後宮生活を満喫していた。
もともと女だらけの場所で育ってきたので、そういう雰囲気が水にあうのかもしれない。
以前とかわらず、毒見と調合と散策の毎日を過ごしている。
玉葉妃の懐妊についてはまだよくわからない。
鈴麗公主の妊娠時も、ひどい悪阻はなかったらしく、味覚変化もほとんどない。月経不順以外これといった確証はない。
しかし、翡翠宮内では、箝口令がしかれ、万が一の対策を行っている。
一番流れやすい時期を狙うにきまっているのだから。
好色親父こと皇帝には、念のため夜のむつみごとを控えてもらうことにした。
普通に事を行うのであれば、問題ないのだが、玉葉妃が妃教育を実践していたら普通の範疇から外れており、まあいろいろと問題が起きる可能性が否定できないからだ。
自分からいうのも難なので、壬氏を通して伝えてもらった。
できれば、玉葉妃への訪問回数も減らしてもらいたくないが、そこまでは提言できない。
いきなり夜伽の数が減ると、勘ぐる輩もいるだろうけど。
しかし、皇帝は意外にも訪問回数を減らさず、可愛い娘と遊び、玉葉妃とたわいない会話を楽しんでいる。
阿多妃の件も思ったが、好色親父とくくりをつけてみるべきでないかもしれない。
ただ、少し物寂しそうな顔をたまにするので、妃教育の残りの教材を渡すことにした。時間つぶしにくらいなるだろうと。
(二次元で我慢してくれ)
後日、違うものを用意しろと言われた時は、やはり好色親父のままでいいのだと確信したが。
こうして、あっというまにひと月が過ぎた。
寒さも薄れていき、春の芽吹きを感じるころである。
やはり、充実した毎日だと日が経つのも早い。壬氏の棟にいたふた月間は、無駄に長かった気がするのに。
医局の薬棚に未練は残るが、それは今後、やぶ医者を使って後宮医局の改造を行えば問題なかろう。
書庫については、高順に頼めば、何かしら見繕ってきてくれる。
これでいつでも後宮の外に出られるのであれば、なおのことよかったがそれは贅沢な話である。
玉葉妃の妊娠はほぼ確実といってよいだろう。
血の道は止まったままで、けだるさが続いている。体温もわずかに高いようであり、排せつの回数も増えたようだ。
鈴麗公主が、なぜか玉葉妃のお腹に顔を当ててはにっこり笑うさまをみて、もしかしてなにかがいると気付いているのかもしれない。
子どもとは不思議である。
よたよたと歩き回るようになった公主は、皇帝から賜った赤い履をはき、侍女たちを手間取らせていた。
猫猫は、特に用事もないときは公主の相手をするようになった。他の働き者の侍女たちが面倒見るより、毒見以外ろくに働いていないものが面倒をみるほうが効率よいはずである。
今日も猫猫は、鈴麗公主と遊んでいた。積木を組み立てては壊して遊ぶ公主。積木は、わざわざ軽い木材を使用して作らせたものである。
そんなとき、久しぶりにあらわれた見目麗しき宦官は、厄介ごとを手土産にもっていた。
「青い薔薇ですか」
「ああ、皆が興味を持ってね」
困った顔でうなづく壬氏。
(また面倒くさいことを)
「私は薬屋ですが」
「なんとなくできそうだと思って」
「それは言えてるわね」
ゆったりと長椅子に座る玉葉妃も尻馬にのる。隣では、公主がちびちびと果実水を飲んでいた。
どこのだれか知らないが、玉葉妃の侍女なら何か知っているのではと、言っていたらしい。
(まさかやぶ医者じゃないだろうな?)
ありえなくもない。
あの気のいいおっさんは、他人を過大評価しすぎるきらいがある。
薔薇の知識がまったくないというわけでなはない。花弁から得られる精油は美肌効果があるとして妓女たちが取り寄せていた。香の強い野ばらの花びらを煮詰めて蒸留し、小遣い稼ぎに作ったこともある。
「昔、宮廷内で咲いていたらしい」
「幻覚でしょう」
「言い出したのはひとりだが、聞けば複数の証言がでた」
「阿片は流行っていませんか?」
壬氏は天女の笑みに憂いをのせてこちらを見る。
やはり、このきらきらしい顔は苦手である。
あらあらと玉葉妃が面白そうにながめている。こちらとしては面白くない。
「無理なのか?」
(身をのりだしてくるな)
これ以上近づいてくるのも鬱陶しい。
ため息がでる。
「どのようにすればよろしいのですか?」
「来月の園遊会に欲しい」
春の園遊会である。
もう前の園遊会からそんなにたっているのか。
しみじみ感慨にふけっていると、あることに気が付いた。
(ん?来月?)
「壬氏さま、知っていますか?」
「なにがだ?」
やはり、わかっていない。
色が云々以前の問題である。
「薔薇が咲くのは、少なくともふた月以上先ですけど」
「……」
(やっぱり)
なにやら、いやな感じがする。
困らせるために無理難題を押し付けるような。
「なんとか、断っておく」
「ひとつ聞いていいですか?」
肩を落とした壬氏がこちらを見る。
「もしかして、とある軍師から持ちかけられた話ではありませんか?」
「ああ。らか……」
慌てて口をおさえる壬氏。
玉葉妃と紅娘が、不思議そうに首を傾げる。
いうまでもなく、あの男のことだろう。
(仕方ない)
そうなれば、自分にも責任がある。
「できるかわかりませんが、やるだけやってみます」
「いいのか」
「はい。その点で、いくつか必要なものと場所があるのですが」
逃げているだけも腹立たしい。
どうせなら、にやけた片眼鏡をかち割ってやりたくなった。