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薬屋番外編  作者: 日向夏
後日談
30/32

離宮 後編

 騒ぎが起こったのは阿多とともに話をはじめて三杯目の茶を飲み干したころだった。侍女がやってきて、また阿多に耳打ちをする。

 すると、阿多は明らかに顔色を変えて、「失礼」と猫猫を置いてどこかへ消えてしまった。


(一体、何が?)


 それよりもどうしたらよいだろう、と猫猫は思いながら侍女の注ぐ四杯目の茶を口に含んだ。






 なにが起こったのかわかったのは、厠に行った帰りだった。さすがに、茶ばかり飲んでいればもよおしてしまうもので、侍女に案内してもらった。


 ぱたぱたと急ぎ足で医者が部屋に入っていくのを見て思わず猫猫ものぞきこんでしまった。

 案内した侍女が慌てているが、好奇心が勝ってしまうので仕方ない。あっちとしては、一応よいところの子女として見ているのだが、見た目を取り繕っても所詮は花街育ちである。


 中には顔色を悪くした男児がぐったりしている。その子どもの手を握るのは阿多であり、医者は子どもの様子を見ている。

 周りには他の子どもが泣き出しそうな顔をしている。その手には、杯を持っていた。杯の飲み口からは赤黒い滴が垂れている。


(あれは?)


 猫猫は何が原因で子どもがぐったりしているのか気が付いた。医者もとうに原因がわかっているようで、子どもの寝ている姿勢をかえ、体温の低下を防ぐために上掛けをかける。


 猫猫もその処置がわかっているので、周りの何をすればいいのかわからない女中たちに代わり、子どもに飲ませるための水を用意する。

 どさくさにまぎれて部屋の中に入ってしまったが、まあ気にしないで貰いたいと、医者の手伝いを始める。


 子どもの容態が安定するのはしばらくのちで、そのころにはなぜか医者と意気投合していた。猫猫はどうにも齢をとった医者とは相性がいいらしい。


「私は何もできなかったな」


 阿多は憔悴した様子で椅子に座っていた。その表情に猫猫は複雑なものを感じる。


(なくした息子のことを考えているのだろうか)


 失くしたのか、亡くしたのか猫猫にはどうでもよい。ただ、阿多はとても疲れているようだった。


「すまなかった、客人にみっともないところを見せてしまって」

「いえ、大丈夫です。気にしておりませんので」

 

 むしろ見合いで相手に取り繕うよりずっと慣れたことである。

 

 猫猫は子どもが持っていた杯を手にする。その匂いを嗅ぐと酒精がほのかに香る。


「葡萄酒ですか。いささか強く作られているようですけど」


 猫猫はそのようにたずねると、阿多はこくりとうなづく。


「ああ、そうだよ、よくわかったな。この宮の本来の主の好みに合わせてある」


 遠回しな言い方だが、つまり皇帝もこの離宮にやってくるということだろう。宮廷でも後宮でもないこの場所は、皇帝にとっても安らぎの場所となっているのかもしれない。今の皇后であらせられる玉葉后のことを思うと少し複雑なのだが。


「管理が甘かったようだ。子どもが悪戯に飲んでしまうことになるなんて」


 これではいけないな、と阿多はため息をつく。


 猫猫は首を傾げながら、寝息をたてる子どもを見る。まだ、十にもなっていない男児だがなんだか奇妙な感覚を持ってしまう。

 ふっくらとした顔立ちは、今は青白くなっている。


「ただでさえ、ずいぶん食欲旺盛な子だと思っていたが、蔵の中まで勝手にあさるとはな」


 そう言いながら張り付いた前髪を指先でのけてやる阿多、そこには青年の姿とは違う母性というものを感じさせる。


「この子も孤児ですか?」

「ああ。異民族の奴婢として扱われていたところ、命からがら抜け出してきたらしい。辛い目にもたくさんあったのだろう、食べ物に対する執着が異常なんだよ」


(食欲が異常ね)


 異民族の奴婢、奴、すなわち男の奴隷は多くの場合とある処置が施される。元は家畜の雄に施される処置であり、後宮でもそれを元にある官がつくられる。


 まだ、十にもならぬ男児であるが、その食欲といいふくよかな体つきといい、おそらくその処置がとられているのだと猫猫は思った。


「前にも同じようなことがあったのですか?」

「ああ、前の場合は、果実水ジュースだったよ。昔、故郷で食べたものや飲んだものが忘れられないらしく、それらしきものを発見すると後先かまわず口にいれてしまうんだ」


 だが、ほとんどの場合、見た目は似ていても味が違うものらしく、それで落ち込んでしまうらしい。望郷の念もまた、彼の食欲をかりたてる要素なのだろう。


「私に料理の才でもあれば、故郷の味を再現できるのだろうが」


 悲しそうに微笑む阿多に猫猫は首を傾げながら目を細める。


「その子の故郷は、国境のそばだったんですよね?」

「ああ、数年前に向こうの賊にやられたそうだ」

「商家の子ですか?」

「いや、ただの農民の子らしいが。それがどうしたんだ?」


 猫猫は腑に落ちない点を頭の中でまとめはじめる。


 国境沿いは内陸で気温が低く、作られる作物も限られているはずだ。

 葡萄酒ならともかく葡萄水は到底、庶民の口にできるものではない。


 内陸で育つ作物、もしくは保存がきく作物なら口に入ることもあろうが。


 猫猫はその作物を頭の中で思い出すだけ思い出していく。


(たしか果実は柑橘くらいなら出回るだろうな)


 そんなことを考えていると、頭の中でなにかがつながった。


「台所を貸していただけませんか? あと、いくつか材料があればそれも必要なのですが」

「ど、どうしたんだ? いきなり」

 

 いきなりの提案に阿多は面食らう。


 猫猫は材料を木簡に書きつけながら侍女に渡す。


「もしかしたら、その子どもの飲みたいものが作れるかもしれませんので」


 少しだけ楽しそうな顔をした猫猫は、侍女に案内されて台所へと向かうのだった。






 とあるものを作るために大鍋に向かい合うこと一時、猫猫は盆に鮮やかな葡萄色の水を玻璃杯に入れて持ってきた。


 一仕事を終えて部屋に戻ると、ふくよかな子どもは目を覚ましていた。阿多は子どもを心配そうに見ながら、いつのまにか増えた人物たちを気にしている。


(なぜに?)


 そこには、なぜか頬に傷が走りながらも美しすぎる顔を持つ男が座っていた。隣にはあいかわらず疲れた顔をした高順が立っている。


 壬氏はなんともいえない表情で猫猫をじっと見ている。


(いつもじろじろ見るなあ)

 

 相手に失礼な変な癖だということを教えてやりたいが、相手が相手だけにそんなにいえないのが猫猫のつらいところだったりする。これでも猫猫なりに気を使っているのだ。


 猫猫は一礼すると、盆を阿多の前に差し出す。


「まだ、ぬるいのですけど」


 差し出した杯には飲みやすいように麦稈ストローをさしている。

 阿多は優しい手つきで子どもの口元に麦稈を持っていって飲ませる。


 子どもは怪訝な様子だったが、一口すすると目の色を変える。麦稈を引き抜き、そのままごくごくと杯の中身を飲み干した。


「……母さんが作ってくれた味だ」


 涙を浮かべる子どもを見て阿多は驚きを隠せないでいる。


「一体、これは何なのだ?」


 空になった杯を振り、猫猫にたずねる。


 猫猫は、空になった杯を受け取ると、


「少々お待ちください」


 と、部屋を退出し、台所からあるものをとってくる。


「なんだそれは?」


 持ってきたものを見て首を傾げるのは、阿多だけでなく壬氏や高順もだった。

 玻璃の杯に注がれたのはどす黒い液体で、先ほどのものとはずいぶん色が違う。


 猫猫はそれに二つに切った柑橘を絞って入れると、麦稈でかき混ぜる。


 どす黒い色は、柑橘と混ざるとともに黒から鮮やかな赤紫へと変わっていく。


 阿多や子ども、それに侍女たちは驚いて目を丸くしている。

 壬氏と高順は呆れた様子でそれを見る。


「あいかわらず奇妙なことを知っている」


 壬氏がそのようにつぶやく。


 別に仙術を使ったわけではない、猫猫は知っているだけだ、この黒い液体に柑橘の汁を入れると色が変わることを。

 そして、その黒い液体の正体といえば。


「ええ、黒豆の煮汁にこの汁を入れるとこのようになります」

「黒豆……か?」

「ええ、黒豆です」


 まだ信じられない顔をする阿多に硝子杯を渡す。阿多はそれを口にすると、


「たしかに、黒豆のようだ」


 と、つぶやいた。

 口当たりがよいように不純物は布でこして、柑橘をいれることで果実の風味がくわえられた上、色も鮮やかに変わる。幼い子どもの記憶がそれを果実水と勘違いしてしまうのは無理もなく、味付けを甘くしていればなおさらだろう。


「黒豆ならば保存もきくので内陸の村にも行きわたるでしょうし、柑橘も同じです」


 農民なら煮豆の煮汁すら勿体ないと飲んでしまうだろう。それに一工夫をくわえたものが、例の果実水もどきの正体だった。


 猫猫が説明している間に、子どもは阿多の持っている煮汁をとろうとする。阿多は特に怒りもせず渡すが、猫猫はそれを子どもから取り上げる。

 子どもが手を伸ばし、猫猫からとり返そうとするが、猫猫は代わりにただの水を渡す。


「別にそれくらいあげてもいいだろ?」


 壬氏が言った。


「別に私はかまいませんが、この子にはよくないことです」

「どういうことだ?」


 阿多がいぶかしみながら猫猫を見る。

 猫猫は少し目を伏せて言葉を選ぶ。


「……さしでがましいことをいってもよろしいでしょうか?」

「別にかまわない」


 阿多がそういうので、少々言いづらいことを口にすることにした。


 猫猫は、煮汁を子どもの手が届かないところに置くと、取り上げた理由を説明する。


「この子の太り方から、阿多さまはずいぶん可愛がっているようですけど、可愛がると甘やかすは別物だと思います。先ほどは、特別に甘いものを飲ませましたが、本当はあげるべきではないと思っております」

「どういうことだ?」


 猫猫は今、この子どもがどのような状態にあるのか説明することにした。先ほどの医者もまた、気が付いていたようだが、相手が阿多であるのでうまく言いだせずにいた。


「この子は、いつも暴飲暴食を行い、水を大量に飲むことや夜尿症をおこすことはありませんか?」

「……たしかに、そうだが」

「食事は好きなものだけ与えればいいものではありません。このまま、その子にそのような食生活を続けさせると、そのうち手足がしびれ、視力が落ちていき、そのうち他の病を発症したり、手足が腐っていくことになります」


 食に溺れたものがかかりやすい病である。子どもがかかっているのを見たのは初めてだが、おそらく同じものであろう。


「欲しがっているのに、与えてはいけないのか?」

「阿多さまはそのように育てられたのですか?」


 阿多は、目を見開く。そういえば、と子どもの顔を見る。

 

 子は産んだが、育てたことがない阿多にとって、叱るという行為はやったことがないのだろう。


 阿多は複雑な表情で子どもを見る。

 可哀そうな境遇だからこそ、特に甘やかしていたのかもしれない。それが悪いとは言わない、現に子どもは甘えた顔で阿多を見ている。奴隷にまで身を落としたものが、そんな表情が大人に対してできるようになるまでどれだけ苦労したのだろうと考える。


 阿多は、甘える子どもに首を振り、代わりにただの水を与える。子どもの悲しそうな表情を見ながら、頭を撫でて、


「我慢しておくれ、おまえのためだそうだ」


 と、諭した。


 猫猫は硝子杯を片付けはじめるが、侍女たちに仕事をとられてしまった。猫猫が何をするかさっきまで何も話さずにいたので、何をやればいいのかわからなかった女中たちはようやく見つけた仕事をさくさくと片付けていく。


 よく見ると、以前、後宮の阿多の宮にいた侍女たちだった。後宮で年季が明けたあと、こうして阿多のもとにやってきたのだろう。


 猫猫はやることもないので、部屋を出ると元の東屋に戻ることにした。






 東屋には、なぜか壬氏も一緒についてきた。その手には、なにか風呂敷を持っている。


「どこへ行っても首を突っ込まないと気が済まないやつだな」

「そんなことはありません」


(後宮にいたときは、ほとんどそっちが首を突っ込ませたくせに)


 椅子に座り、ぼんやりと池を眺める。


 壬氏は風呂敷包みを広げると、大きな花かんざしを取り出す。薄い紅色に染めた絹であしらった牡丹の花がそこにあった。

 壬氏はそれを手にすると、猫猫の右耳の上に付ける。


「待たせた詫びだ」


 柔らかい笑みが壬氏の顔に浮かぶ。傷が頬に走ろうとも蠱惑的な表情には変わりなかった。


(そういえば)


 猫猫が、自分が何のためにこの場所に来たのかを思い出そうとしているときだった。


 高順が慌てた様子で、猫猫たちのほうに走ってくる。


「大変です!」

「どうしたんだ?」


 さっきとは一変、不機嫌な顔の壬氏が苦労人の従者に言った。


「羅漢さまが、今現在、こちらに向かっております。なぜか、跡継ぎの羅半殿を簀巻きにして馬で引きずりながら」

『……』


 猫猫と壬氏は顔を見合わせる。


「すみません、壬氏さま。私はこれで」


 猫猫は、長い裾を手に持つと一目散に走りだした。その顔に、この世のありとあらゆる汚物を眺めるような表情を浮かべて。


「お、おい!」


 後ろから壬氏の声が聞こえるが知ったことではなかった。

 背後から聞こえる奇妙な声が消えるまで、逃げ回ることが先決だった。


(これで見合い話はぶち壊しだな)


 そんなことを考えながら走る猫猫の耳の上で、明るい牡丹の花びらが風に揺られるのであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 羅半さんが処刑されとる((( ;゜Д゜)))
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