3 粉
部屋付女官生活がひと月も続くと、大体主人の生活習慣がわかってくるものである。
卯の刻に起床し、着替えと朝餉。辰の刻に仕事に出かけたと思ったら、一度、午の刻に帰り点心を食べる。帰りは遅く戌の刻のころ、夕餉をとり猫猫は帰る。
そのあとは湯あみなり、なんなりしていることだろう。もっとゆっくりしていけと言われても、今宵の相手と鉢合わせしたくないのでさっさと帰る。
まったくお盛んなことである。
正直、広すぎる棟の掃除はあらかた終えて暇になっていたところだ。
昼間は手がすいて、たまにくる初老の女官と話し込むくらいしか時間を潰すことができない。
実家から調合道具も取り寄せたところなので、なにかしら薬を作りたくてたまらなかった。
むしろ、禁断症状に近い。
最近、指先が震えているのは手がかじかむだけが原因だろうか。
冬虫夏草を加工しようにも、一緒に調合する薬草が必要である。実家から取り寄せるにも限界がある。薬草と毒草は紙一重なので、宮廷に持ち込む時点ではじかれてしまうものが多い。
なので部屋を抜け出すことにした。
部屋付とはいっても、ずっと壬氏の棟に籠もっている必要はないはずだ。
主人が帰ってくる前に用事を済ませてくればいい。
問い詰められたら、切れた油の補充にいったとごまかしてしまおう。
と、いうわけで、猫猫は午前中に仕事をあらかた終わらせ、点心を終えた壬氏を見送ると、棟の外へと飛び出していった。
(おやじ、こちらにも植えときゃよかったのに)
後宮内では、おやじどのこと羅門が移植した薬草がたくさんあった。のんびりとした苦労人であるが、けっこう好き勝手に後宮内の植生をかえていたようである。
後宮の何倍の広さもあるのに、材料にできる薬草はあまりない。
見つけることができたのは、蒲公英、蓬といったどこにでもあるものくらいだ。あと曼珠沙華も見つけた。
冬場であるため見つけにくいこともあるが、それでも期待は薄かろう。
はてはてと歩いてるうちに、見覚えのある影を見つけた。
精悍な顔をした若い武官である。妓楼の常連の李白だ。帯の色からみると、出世したようである。
傍に部下らしき男たちとなにやら話している。
(がんばってるんだなあ)
休みのたびに緑青館にきては、禿相手に茶を飲んでいるらしい。
もちろん、本命は白鈴小姐だが、彼女を呼ぶには平民の半年分の年収が必要である。
それでも、最高級妓女としてはかなり安いわけだが、その理由は軽いという一点にあげられる。希少価値がついてこその妓女である、つまみ食いが多ければそのぶん価値が下がるのだ。
哀れ天上の蜜の味を知った男は、高嶺の花の顔を帳の隙間からでも垣間見ようと通うのである。
出世したのも、花に近づこうとがんばっていることがうかがえる。
憐憫の目が届いたのか、李白は猫猫のほうに手を振って走ってきた。まさに大型犬である。
「おう、今日は妃の付き添いかなんかか?」
「いえ。後宮勤めから、とある御仁の部屋付になりましたので」
「部屋付?誰だ、そんな物好きは」
大変失礼なことを言ってくれる李白だが、まあ、普通の反応であろう。
すき好んでしみだらけの顔をした枯木のような娘を部屋付にはすまい。
別にそばかす化粧を今更するつもりはなかったのだが、主人がいえば従うしかない。面倒など慣れてしまったことであるし。
(一体、なにがやりたいんだ、あの男は)
「そういや、最近、高官がおまえんとこの妓女を身請けしたらしいな」
「そうですね」
(そう思われても、仕方なかろう)
雇用契約が決まり、宮廷に行く際、張り切った小姐たちに全身を磨き上げられ、とっておきの衣装を着せられ、髪を結いあげられ、化粧をふんだんに施された。到底、新入り女官には見えなかったことだろう。
なぜか、おやじどのが子牛でも見送る目で見ていたのを覚えている。
宮廷内に妓女が入ることもおかしいが、さらに壬氏が目立つので、いやに注目され居心地が悪かった。
(それにしても)
本人が目の前にいるのに、この男はまったく気づきもせず喋っている。さすが駄犬である。
「ところで、お取込み中のようでしたが、よろしいのですか?」
「ああ、ちょうど行き詰ってたんだ」
部下が近づいてくる。遠くから女官をみて嬉しそうにしていたが、猫猫の顔を確認すると明らかに落胆した顔をした。まったく、上司が上司なら部下も部下である。
話を察するに、昨晩、小火があったらしい。その原因を調べているということだ。
猫猫はなにかしら興味を覚え、小火騒ぎの倉庫に近づく。
(ふうん)
上手く隠しているつもりでも、おかしな点がいくつかある。
本当に小火ですんでいるなら、なぜ李白ほどの高官が出向いているのだろうか。
また、小火というわりに、建物の破片が散らばっている。むしろ、爆発というのではなかろうか。けが人もでているのではなかろうか。
(組織的暴力の疑いありとみているわけか)
概ね平和な時代であるが、皆が不満を持たぬわけではない。
異民族はたまに襲ってくるし、飢饉や干ばつもなきにしもあらず。
特に、先帝の時代ならば、毎年行われる女官狩りによって、農村部の嫁不足が深刻になったこともあった。今だ恨むものも少なくなかろう。
「おい、なにやってんだ」
「あっ、ちょっと気になりまして」
壊れた窓から中をみる。焼け焦げた荷が積まれていた。
床に芋が転がっていることから、食糧庫だとうかがえる。
「勝手にうろうろするな」
李白の言葉を無視するように、猫猫は腕を組む。頭の中で何かがつながった。
「話聞いているのか」
「聞こえてますよ」
聞こえているが、聞こうとしないだけである。
猫猫は近くの廃材置き場に向かう。
「これ、もらっていいですか?」
「ああ、別に問題ないだろ」
猫猫は木箱をみつけると、それに合う板を探し出した。
李白の部下に槌と鋸と釘を探してきてもらった。なんだ、この女官と不満そうに見ていたが、上司も頭が上がらない様子を察し、用意してくれた。
ぶつくさ言っていた李白だが、猫猫がなにをやっているのか興味はあるようだ。
猫猫は真ん中に穴のあいた板を作り、それを空の木箱の蓋にして打ち付けた。
「妙に手馴れてるな」
「育ちが悪いものでして」
仕上げに焼けた倉庫のそばにある荷から、あるものを取り出すと木箱の中に入れた。
「すみません、火種ありますか」
部下の一人が火のくすぶる荒縄を持ってくる。
そのあいだに、猫猫は井戸から水を汲んで持ってきていた。
猫猫は部下に礼をいい頭を下げる。
そして、木箱の前に立った。
「李白さま。危ないので離れていてはくれませんか」
「なにが危ないんだ?嬢ちゃんがなにかやるんだろ。武官の俺が危ないものか」
随分、大きく胸を張るので、仕方ないとため息をつく。
「わかりました。危険なので重々気を付けてください。すぐ逃げてくださいね」
いぶかしむ李白を後目に、猫猫は近くにいた部下の袖をひっぱりこちらへ来いと誘導する。倉庫の裏から見ているように伝える。
戻ってきたところで、先ほどの木箱に火種を投げ入れると、頭を隠しながら走って行った。
箱から炎が噴き出し、激しく燃え上がった。
驚いた李白は、逃げ遅れたらしい。
髪に火が付き慌てふためく李白に、猫猫は桶の水をぶっかける。
「逃げてくださいって言ったのに」
「……」
言い返せず、黙り込む李白。
鼻水を垂らす李白に、急いで毛皮をかける部下。
「倉庫番のかたに、倉庫で煙管はおやめくださいとお伝え願えますか」
「ああ。わかった」
放心した顔で李白が答える。
「なにがどうなってるんだ?」
「燃えやすい粉が空中に舞うと、それに火がつくことがあるんです」
それが爆発するのだと。
「んなことよく知ってるな」
「ええ、よくやりましたので」
狭い花街のあばら家で。小麦のほかに宇金や鉄粉もよく燃える。
わけがわからないと、李白も部下も顔を見合わせる。
「風邪をひかぬよう気を付けてください。ひいたらひいたで花街の羅門という男の薬はよく効きますので」
営業活動も忘れない。白鈴に会いに行くついでに買ってくれるかもしれない。
(思ったより、時間を食ったな)
会釈をすますと、主人の自室に急ぐのだった。