淫羊霍
「それは何を作っているんだ?」
過労気味な暇人の貴人は、猫猫にたずねる。疲れているのはわかるが、でかい図体が寝そべっていると本当に邪魔である。
猫猫は、薬研ですりつぶした薬草に別の薬草を混ぜ合わせる。どす黒い緑をしている。
「不能薬です」
なぜか、その言葉を聞き、壬氏は後ずさる。
「どうしました?」
「い、いや、それは誰に使うのかな、と」
(誰にと言われても)
「もちろん、盛りのついた殿方にですよ」
「!」
なぜだろう、壬氏はのけぞっている。まあ、よいか。
猫猫は混ぜ終えた薬草を布でこし、汁を土鍋に注ぐ。
これから水を加え、竈でしばらく煮なくてはいけない。沸騰させないよう弱火で半時ほど。色が半透明になり、とろりとしたら蜂蜜を混ぜる。薬草の臭みが消え、薄い水あめのようになったら完成である。
蓋をして端に寄せておく。
(早く帰ってくれないかな)
客人を放置する訳にいかないので、猫猫は薬屋から出られない。
なぜか、正座に座り込んだ壬氏は猫猫をじっと見ている。そして、たまにあの薬のほうへちらりとうつす。
(ああ、なるほど)
「あれは、困ったお客さん用です。内緒ですけど」
緑青館では回数ではなく時間割で御代をいただいている。
そうなると、まあ、やたら元気が良くてお早いかたもいらっしゃるわけで、そうなれば妓女の疲労も早いのだ。
大事な商品を疲弊させ続けるのは、妓楼としても困ってしまう。抱き心地は悪くなるし、適度に休ませないと早死にする場合すらある。
なので、褥のそばの水差しに薄めて入れておいたり、妓女の口に含ませておくのだ。褥に入る前に、塩辛いものをすすめておくとなおよい。
回数をこなすごとに水差しを口に含んでいけば少しずつ効用が現れる、いくら元気なものでも四回以上は持たない。
三回くらいまでなら妓女も許容範囲内である。
客も、いつもより少ないな、とは思いつつも周りに「それでも充分だろ」と、言われたらなるほど、と思うものである。
もっとも上級妓女以上となると、嫌な客が来たら酒にすかさず睡眠薬を入れてしまうのだが。
壬氏はなんだか微妙な顔をしている。
聞かなきゃよかったとでも思っているのだろうか。
(教えなきゃよかったかな)
猫猫は、置いてある鍋を見て、早く作り終えたいのにと思った。
壬氏が帰り、薬を煮て冷ますついでに一眠りしようとしたころ、見慣れた顔がやってきた。
「よう、久しぶりだな、嬢ちゃん」
やたら元気で機嫌のよさそうな声の主は李白だった。猫猫の姉貴分である白鈴の常連である。
いつもは、猫猫など目もくれず、緑青館の玄関口で白鈴を垣間見るためにずっと禿とお茶を飲んでいるのに。
(どうしたことだ?)
李白はそのまま通りすがる妓女や趙迂に挨拶をしていく。趙迂は、李白に何かの絵を見せていたが、李白は鼻で笑うような顔をすると通り過ぎて行った。
そして、珍しく愛想のいいやり手婆に部屋の奥へと案内されていく。
「一体、どうしたんだ?」
猫猫の疑問に答えるのは、近くにいた妓女である。
「それは、明日の客のおかげよ」
白鈴は、色事に濃いのが傷であるが、その舞踏は都で一番と言われる。夜伽を目的とせず来る客も多い。
明日の客は、その中の一人で、純粋に舞踏を楽しむ老人だ。
と、まあ、それまでならよかったが。
困ったのは、白鈴の悪癖である。
夜の蝶となるべく生まれてきた女は、一晩に十人を相手にしようが果てないのだ。
一時期、やり手婆が白鈴の価値をあげるために客をとる数を減らした時期があった。
白鈴は、最初大人しくしていたが、段々我慢できなくなり、隙さえあれば男衆を閨に引き込み、それでだめなら妓女をたらし込み、果ては禿まで手を出そうとした。
猫猫も、実技で妓女の秘儀を教え込まされそうになったくらいだ。
結局、折れたのはやり手婆のほうで、それから定期的に白鈴をすっきりさせることとなった。
あの婆を負かすとは、恐るべし白鈴である。
「女の道のせいでご無沙汰だからさ。かなーりたまってんのよね。お客さん、おじいちゃんだし、何かあれば事でしょ」
なので、体力莫迦の李白に白羽の矢がたったようだ。定期的に銭を運んでくる大型犬にはまたとないご褒美だろう。
「なーんだ、だからか」
趙迂が唇を尖らせて柱に寄りかかっていた。
「いつものにいちゃんなら買ってくれたのにな」
と、見せるのは白鈴を被描体とした春画だった。
餓鬼の癖にこんなものを描いていたとは。
しかも買い手がいるときたか。
(今度から男衆と一緒に風呂に入ってもらおう)
お稚児趣味に尻を狙われやすいからと甘やかしたのが間違いだった。
まあ、白鈴小姐のことだから、自分から脱いで被描体になりそうだが。
(そのうち筆おろしさせられるぞ)
男としてうれしいかもしれないが、白鈴と趙迂は親子ほど年が離れている。
(それはどうよ?)
白鈴は、若く見えるが妓女としての適齢はとうに過ぎている。年季もあけているのに、彼女が妓楼に残る理由は、天職だから、その一言である。
とりあえず春画を奪い取り、あとでやり手婆に報告しておこう、と思っていると、隣の妓女が不安そうに趙迂を見る。
「まさか、あんた、他の妓女の絵を他の客にも同じように売りつけてんじゃないわよね?」
趙迂はわざとらしく目線をそらし口笛を吹く。
猫猫は、とりあえず拳骨を落とす。
妓女は、「最低!」と真っ赤になりながら、趙迂を怒った。たとえ、春を売る女であれ、知らぬところで自分の裸の絵姿が売られようものなら、気持ちが悪い。
どうしようもない餓鬼であるが、買う方も買う方である。
妓楼は絵でなく、女を売る場であるのに。
結局、一眠りもできなかったな、と猫猫が冷やした薬を見に戻る。
(あれ?)
鍋が少し違う気がする。たしかに、同じ素焼きの土鍋であるが、猫猫の使っていたのはもう少し使い込まれている気がした。
そっと蓋を開けると、そこには薬草と肉の入った栄養たっぷりの粥が入っていた。淫羊霍の汁が入ったそれは緑青館では、強壮剤として客が食べる代物である。
同じ薬であるが、猫猫が作ったものとは効用は真逆である。
「……」
猫猫は首の裏をかくと、熱を半分以上失った土鍋を持った。土鍋がこれだけ冷えていたら、客人にだすことはしない。
つまり、代わりに持って行かれたものは、とうに客人の腹に収まっているだろう。薄く甘く煮たそれは、意外なほど飲みやすい。
(どうしようか、これは)
もったいないので、薬屋に持ち帰り、腹に収めることにした。
このままにしておいたら、間違って持って行った禿がやり手婆に折檻を受けるかもしれない。
けして、小腹がすいたからではないのだ。
もちろん、証拠隠滅でもない、はずだ。
「毎度ありー」
妓楼からあばら家に帰ろうとすると、目の周りを青くした趙迂が、いじけた大型犬相手に商売をしていた。
(こりない奴だ)
やり手婆に折檻を受けたはずなのに、まったく元気である。花街にふさわしいしたたかさとも言えるけれど。
夕日を背景に、とぼとぼと帰る李白の後姿は哀愁に満ちていた。
何があったかは言わずともわかる。
(今度は特製強壮剤作ってあげよう)
ちくり、と胸の奥に刺さる針を気持ち悪く感じながら、猫猫はそんなことを思った。
翌日、緑青館の男衆が三人、欠勤した。出勤したものもどこかげっそりしていた。
なぜだかその日、腰痛薬が良く売れた。




