四月一日
エイプリルフールネタ。
痴女痴女しい話ですのでお気を付けください。
「ほう、そんな日があるというのですか?」
壬氏は、西からの客人に聞き返すと、
「ええ。そういう日があるのですよ」
と、男は返す。
風は暖かく、春の芽吹きも行きわたったこの季節、ちょうど明日がその日らしい。何の日かと言えば。
「嘘をついていい日なんて、面白いことを考える先人がいる」
壬氏は、袖に手を通し、にやりと笑う。
その後ろで苦労性の従者が、呆れた顔でため息を漏らしているのも知らず。
「鴆という鳥は知っているか?」
いつもどおり、十日に一度の薬屋への訪問である。最近では、指は第一関節まで伸びており、本来ならこれ以上訪問しても意味がないところであるが、
「責任もって、全部伸びるまで面倒看ろ」
と、通っている。
薬屋の女主人は、鴆という名を聞くなり、目を見開く。これは食いついたということか。
「ええ。どうしたんですか?」
好奇心が顔中にあふれている。先ほどまで、やる気なさそうに、水煙管を掃除していたところだったのに。煙管は、猫猫愛用のものでなく、娼館の小姐のものを整備しているのだった。本人は、吸う趣味はないらしい。
拭いていた布を置き、壬氏に向かい合う。先ほどまで片手間で話をしていたくせに。
壬氏は、胡坐をかき、頬杖をつきながら、
「ああ。南からの交易品を扱っている者たちが、先日遭遇したそうだ。緑青の翼と、赤銅の嘴を持ち、毒蛇を美味そうについばんでいたそうだ」
鴆というのは、猛毒を持った鳥のことである。酒に羽を浸すだけで毒となり、田畑の上を飛ぶだけで枯死させるという。まあ、眉唾ものの伝承であり、実在するかはあずかり知らぬことである。
だが、少々胡散臭くとも、このいかれた女ならば、食いついてくるのではなかろうか、と話してみたところ予想どおりだった。
目を潤ませ、口をかすかに開いている。頬が薄紅色に紅潮している。
毒に欲情する女など、天は何を間違ったのかつくってしまったらしい。
あまりに思い通りに事が運ぶので、壬氏は面白くなって、
「生憎、捕まえることはできなんだが、代わりにこんなものを拾ったらしい」
と、懐より白木でできた箱を取り出す。
「羽だけでも、恐ろしい猛毒らし……」
壬氏が言い終わるその前に、猫猫は壬氏の鼻先に顔を近づけていた。
驚いた壬氏が後ろに下がると、猫猫はそれを追うようにすり寄ってくる。
「壬氏さま、早くそれを開けてくださいまし」
「いや、これは猛毒であるからして……」
壬氏は言いよどむ。
中に羽は入っている。しかし、毒も何もない。ただの孔雀の尾羽だ。
開けて種明かしをしておしまいとしたかったが、なんだか言い出せない雰囲気である。
「そうですね。毒ですから」
猫猫は、薬屋の戸を全部閉めてしまう。
「何で閉める?」
「風が吹いて羽が飛んだら危険ですので」
準備はできました、早く開けてくださいと。
そう言ってどんどん壁際に壬氏を追いやる猫猫。これはこれで、かなりまずい。
壬氏は、思わず木箱を襟のうちに入れてしまう。中を見られたら、嘘がばれてしまったら、どんな反応をされるのかわからない。
「隠さないで見せてください」
普段は、はしたない行動に眉をひそめる猫猫だが、今回はそんなこともないらしい。壁際に追いやられ、逃げ道のなくなった壬氏にのしかかり、衣の合わせに細い指を滑り込ませる。ひんやりとした指先がもろ肌に当たる。唇を舌がなぞる様子が妙に艶めかしい。
反対の立場はあっても、こういう側に立ったことのない壬氏は混乱する。思わず、隠していた木箱を取りだし投げてしまった。
「あ、ああん」
どこか甘い響きのある声を上げると、猫猫は壬氏にのしかかるのをやめて、木箱のほうにすり寄る。
心の臓が早鐘をうつ壬氏は、なんだか半分もったいないような気もしながら、ほっと息を吐く。
「なんですか? これ?」
木箱を早速開けた猫猫は、眉を歪めながら壬氏にたずねる。
「……ああ、その。……つまりは……」
「はっきりおっしゃってください」
猫猫は、毒鳥の羽と言われたものを指でつかんでいる。つまりそういうことだ。ばればれなのだ。
「……軽い冗談のつもりだった」
まさか、ここまで食いつくとは思わなかった、と。
あっけにとられた猫猫は、ぽかんと口を開けると、段々元の顔色に戻っていく。妖艶な笑みを浮かべていた口は、嘲笑の形にかわっていた。
久しぶりである。詰まったどぶでも眺めるような目線だ。
ここ最近、減ってきて寂しく思っていたが、こんなところで見られるとは。
猫猫はすねが見えるのも気にせず、片膝を立てて座り込むと、先ほど整備していた水煙管をくわえはじめた。
疲れた目をして、ため息をついている。
「吸わないのではなかったのか?」
「吸いたくもなります」
壬氏は乱れた襟を直すこともできず、それを見ていた。
そして、やってはいけないことをしてしまった、と今更ながらに気が付いてしまった。
両手で顔面を覆い、そのまま猫猫に背を向けた。
〇●〇
「とうとうやっちまったんかね?」
やり手婆がにやにやして煙管をふかすのに対し、高順は不安な面持ちで戸の閉まった薬屋を見ていた。
先ほどから、部屋の奥ではどたばたと大騒ぎをしているようである。
まあ、妙齢の男女が狭い居室に二人でいるとあらば、そのどたばたが何を示しているのかわからなくもないが。問題は、そのお相手である。
なにかしら、無理強いをしているのではなかろうか。
一応、身分差なりそういうことがわかっている女であるが、まさかということもある。
もし、その場合、危ないのは無理を強いた男のほうである。薬の一服も盛られている可能性が無きにしも非ず。いや、薬ならばよい、もし毒であれば。
そわそわと、高順は閉まった門戸の前で右往左往している。
ここでさっさと中に突入したいところであるが、やり手婆の言葉のとおり真っ最中であれば、高順の主は一生恨むであろう。
高順の頭の中で繰り広げられる葛藤とは別に、どたばたという派手な音はおさまった。
「おや、なかなか早いもんだねえ。若いねえ」
婆が下品に言ってくれる。
高順は、自分の心の臓の音が限界を超えて脈打っており、これ以上我慢はできなかった。主の安否を知るために、かなり品のない行動に出ることにした。
薬屋の戸を、気づかれないようにそっとずらし中をのぞきこんだ。
すると。
足を崩し、やさぐれて水煙管を吸う猫猫。
その後ろで襟元が乱れたまま両手で顔を覆う壬氏。泣いているようにも見える。まるで生娘を奪われた女のようだ。
そんな二人がいた。
高順は頭が混乱する中、深呼吸をすると何事もなかったかのように元の場所に座った。
なにが起こったのかわからないが、何も知らないふりをしてあげるのも優しさだと、長年の従者は心得ていた。
 




