趙迂 後編
どうしようもない弟子は、本当に好きなことには上達が早いらしい。毎日、木や花や建物や人物の絵を描いている。紙は貴重品だが、小遣い稼ぎに三姫の絵を売っているらしく、それをもとに紙を買っているらしい。
やり手婆に見つかったらなにを言われるかわからない。仲介料をふんだくられるに違いない。
雷震という男とは、馬が合うらしく、とりあえず絵を見てもらうことになった。数日に一度、描いたものを見せに来いとのこと。
おかげで、店の手伝いはしない、勉強もさぼる。
別に、猫猫としては、教える手間が省けていいのだが、薬草を切らしたときの留守番くらいしてもらわないと困る。
(そろそろ耕したいんだがな)
あばら家の小さな庭には、季節ごとに薬草を植えており、そろそろ春の草の種を蒔きたいところだった。おやじどのは足が悪かったため、猫猫がいつもやっていたが、今年は趙迂を使おうと思っていたのに。
今日もまた、薬屋に趙迂の姿はない。近くにいた妓女に聞くと、描きためた絵を持って出て行ったらしい。
おそらく雷震のところに行ったのだろう。
(まったく厄介な人物を紹介してくれた)
猫猫は薬棚の上の引き出しから種を取り出した。
今日は薬屋の看板を下げて、野良仕事を行うことにした。
報せが入ったのは昼を過ぎた頃だった。
小さな畑を耕して一息ついていたときだった。男衆が慌てて猫猫を呼びに来た。理由は、趙迂だった。
趙迂は目に青あざを作り、口の端から血を流した顔で、柱に縛られていた。
場所は雷震の家の庭。趙迂を取り囲むように三人の大人たちがいた。皆、眼尻を釣り上げている。
話によると、雷震の家が騒がしいから来てみたら、雷震が倒れていてそばに趙迂がいたらしい。
雷震はひどく顔色が悪く、周りは吐しゃ物でまみれていたそうだ。すでに、町医者に運ばれ、命に別状はないらしいが、意識は失ったままらしい。
「この餓鬼が、雷震に毒を飲ませたんだ!」
三人のうち、中年の男が言った。
「無理やり鍋から飲ませていて、奴はそれを吐いていた」
毒を盛ったんだと、怒っている。
「そうですか」
猫猫は無表情のまま、趙迂を見る。
弟子はぼろぼろの顔を歪めて、
「違う……。最初から苦しそうだったんだ」
いつもの勢いがないのは、大の大人に殴られ蹴られたからだろう。鼻をすすりながら、目にたまった涙が落ちないようにこらえている。
「うそつけ。じゃあ、なんで無理やり飲ませていたんだ。ありゃ、毒だろう」
若い男が苦々しげに言う。
「ち、ちがうよ。あれは……」
「なんだい? なにいってんのかわかんないよ。やっぱ、あんたが毒を盛ったんだね。この人殺しが!」
険しい顔をした小母さんが言った。
趙迂は、言いたいことがあるのに怯えて声がうまくでないらしい。
そこにつけこんで大人三人は寄ってたかって趙迂を怒鳴りつける。それによって、また趙迂の口がつぐむ。
(勝手に出かけるからだ)
猫猫はそんなやりとりを無視して、家の中に入る。独特の匂いに鼻をつまみたくなる。
「台所ですか? 倒れていたのは」
「ああ、どうしたっていうんだ。餓鬼を放置したおまえにも責任があるぞ」
肩を掴んできた手の主を猫猫は、冷めた目で見る。そして、何事もなかったかのように、足を進める。
(役人がまだ来ていなくてよかった)
この時ばかりは、お役所仕事に感謝しつつ、台所に入る。
台所には竈と卓子と椅子があった。水と嘔吐物がこぼれたあと、それからひっくり返った鍋と、割れた焼き物が落ちていた。
猫猫は、背をかがめ、鍋と焼き物の欠片を拾う。それから、汚物をじっくり観察する。
縛った趙迂を連れてきた大人たちが猫猫を異質の目で見ている。汚物がまき散らされ、悪臭漂う家なので、気持ち悪そうにしている。
(ふーん)
猫猫は鍋と焼き物の欠片をつかみ、焼き物の欠片をあげて、
「これで、雷震に毒を盛ったんですね?」
「ああ、そうさ。毒茶を飲ませるなんて、恐ろしい子だよ」
小母さんが、つま先で趙迂を蹴る。趙迂の顔は、涙と鼻水でぐちょぐちょになっていた。
「そうですか」
猫猫は鍋を卓子に置き、割れた焼き物の欠片を集める。
「私はてっきり鍋から毒を飲ませられたのだと思ったのですが」
焼き物の欠片を組み合わせていく。湯飲み茶碗が復元されていく。
「どうして茶に毒が仕込まれているとわかったのですか?」
これ以上、猫猫は言葉を続ける必要はなかった。
二人の男たちは、小母さんの顔をじっと見ている。
それで十分だった。
茶碗の表面には、粉が付着していた。茶葉とは違う粉は、おそらく絵具に使う顔料だろう。顔料の材料は岩石や鉱物であり、それらには人に害をなす毒物も含まれる。
そして、鍋にはこれといった付着物はない。
趙迂は、ただの水を飲ませ、雷震の飲んだ毒物を吐かせていたのだった。
それを踏まえて毒を飲んだ状況を考えると、雷震が自分で飲んだ場合と他人に盛られて飲んだ場合が考えられる。
前者の場合、自殺と言うことになるが、自分で飲むならわざわざ茶葉と同じ色にする必要はない。
誰かが茶葉に混ぜて雷震が飲むのを待っていたとしたら。
猫猫は、雷震の交友関係などまったくわからない。ただ、ひとつだけ想像がつくことがある。
(ご近所関係は上手くいってないだろうな)
玄関の銅鑼といい、家の悪臭といい、本人の不潔さといい理由はいくらでもあがる。
そんな日常的に問題がある家に、『騒がしいから』といって、家の中まで見に来ることがあるだろうか。
そんなわけで猫猫は、わざと茶碗の欠片を手に持ってかまをかけてみたのである。もし、引っ掛からなくても、趙迂の無罪を証明する方法はあったのだし。
今頃やってきた役人に、小母さんが連れて行かれるのを見て、
「ほどいてもいいですか」
と、わざとらしく聞いた。
男二人は、気まずげな表情で首を縦に振る。
猫猫は、眉を八の字にして鼻をすすっている弟子を自由にしてやる。顔だけでなく、全身にあざができているようだが、骨は無事らしい。
「すみません」
「な、なんだ? まだなんかあるのか?」
猫猫は男たちの前に、胸元から器を取り出す。蓋を開けると、塗り薬が入っている。
「傷や打ち身によく効く軟膏です。値ははりますがいかがですか?」
と、ちらりと趙迂のほうを見る。
中年と若者は顔を見合わせながら、しかたないと頷く。
「いくらだ」
猫猫は指を五本立てる。
中年は、懐から鐚銭を五つとりだした。
猫猫は珍しく笑顔を作り、
「ご冗談を」
と、受け取らない。
猫猫の後ろで、すがりついて怯える趙迂が涙をためた目で男たちを見る。
中年男は、苦々しい顔で欠けのない銭を五枚、猫猫の手のひらにのせた。




