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薬屋番外編  作者: 日向夏
後日談
25/32

趙迂 前編


「へっただなあ。そんなんで絵のつもりなわけか?」


 小生意気な弟子に、猫猫マオマオは不機嫌をあらわにする。

 物覚えの悪い趙迂チョウウのために、わざわざ手書きで薬草の絵を描いていたのにそれを馬鹿にされたのだ。


 緑青館の玄関エントランスにて、二人は挿絵を使って薬草の勉強をしていた。


「そうかねえ。十分、上手いほうだろうに」


 二人の授業風景を見ていた婆が口をはさむ。

 滅多に人を褒めない婆が褒めているのだから、下手ではないと猫猫は思っている。


「じゃあ、おまえが書いてみろ」


 猫猫は筆と木簡を持ってきて、趙迂に渡す。


 前歯の抜けた阿呆面は、筆先に墨を含ませ木簡に滑らせる。


(意外だ)


「こりゃたまげたね」


 婆も目を丸くする。


 猫猫の絵は、筆の線は均一でありのままを描いていた。


 対して、趙迂の絵は、筆の強弱やかすれを使い、抒情じょじょう的な感性あふれるものであった。


 たしかに、猫猫の絵はうまいほうだが、絵というより図に近かった。


 詩歌を愛するものが多い妓楼ぎろうでは、どうみても趙迂の絵に分配が上がる。

 いつのまに、他の妓女ぎじょたちが現れて、趙迂を取り囲み、他の絵も描いてくれとせがんでいた。


 猫猫は眉間にしわを寄せながらも、感嘆していた。






「これを見てどう思いますか?」


 猫猫は麗しき貴人、……の従者に一枚の紙を見せた。


「なぜ、私に見せるのですか」

「きれいなものに目が肥えていると思いまして」


 高順ガオシュンは、なぜかちらちらと壬氏ジンシのほうを見ながら、紙を受け取る。


「……ほお、これはこれは」


 猫猫が見せたのは、趙迂の絵である。あまりに達者に描くので、木簡では勿体なく、皆が紙を持ち寄ってくれたのだ。


 そこに描かれるは、緑青館の外観だが、なんというのだろうか、上手く言い表せないが他の絵と違い、より現実味を帯びた絵になっているのだ。


「誰が描いたものですか?」

「あそこにいる弟子です」


 いまだ勉強にやる気を持たず、絵ばかり描いている。最近では、妓女の似顔絵を描いて、駄賃を貰っているようだ。


「とても、子どものものとは思えませんね」


 高順が言うには、趙迂は遠くのものと近くのものを平面で描き分けているらしい。そういわれると、より後ろにあるものほど、細く弱い線で描かれている。


「そうだな。面白い絵を描く」


 甘さはなくとも十分麗しい声が猫猫の耳元で聞こえる。壬氏が、袖に両手を突っ込み、面白そうにのぞきこんでくる。


 猫猫は不自然にならない程度に離れる。

 

 なんだか悔しかった。いくら楽しい薬草や毒草の話をしても、まったく興味を示さなかった趙迂が、こんなところで褒められるなんて。


「絵を描くことのどこが面白いんだ?」


 思わず口に出てしまったらしい。呆れた顔で、壬氏と高順が見ている。


「なら毒見のどこが面白いんだ?」

「身をもって効用がわかるところです」


 即答する猫猫に、壬氏と高順は深いため息をついた。






「そのままにしておくには勿体ない」


 麗しき貴人は、親切だかおせっかいだか知らないが、紹介状を書いてくれた。


 相手の名は、雷震レイジェン。妙品のランクを持つ画家である。妙品とは、神品、妙品、能品と、三段階に分けられる位の中位に当たる。


 本来なら、神品になってもおかしくない実力の持ち主だが、評論家を嫌い、かつ地味マイナーな作品を描いているため、評価は低いらしい。


(いわゆる変人の部類か)


 猫猫は、小うるさい餓鬼を連れて、その雷震のもとに向かった。造りは小さいが品のいい家に到着する。これといって派手でないが、悪いところもない、中級官吏が住んでいそうな家だ。

 

 玄関先には、なぜか銅鑼どらが置いてあり『御用のかたは鳴らしてください』と書かれてある。

 趙迂は楽しそうにばちを持ち、大きく銅鑼を打つ。


 猫猫が顔をしかめながら耳を塞ぐ。銅鑼が震えるのが止まった頃、


「はいはーい。近所迷惑やめてよね」


 軽い声が聞こえたと思うと、玄関から小汚い男が顔をだしていた。髪とひげが見分けのつかないくらい伸び、野良着のようなものを着ている。恰好はまだよい、全身から汗と油が混じった体臭がして思わず鼻をつまんでしまいそうになる。何日、いや何か月、風呂にはいっていないのだろう。家の中からも、独特の匂いが漂ってくる。


「……紹介で来ました」


 猫猫は、紹介状を渡す。趙迂のようにあからさまに鼻をつまむ真似はしないが、できるだけ空気を吸いたくなかった。


「へえ。面白いなあ。金持ちの友だち持ってんだねえ」


 中に入りなよ、と男が促す。どうやら、この男が雷震らしい。


 猫猫は、入るのを渋る趙迂の首根っこをつかみ、悪臭漂う家に入る。


 一番奥の広間に通されると、口を尖らせて鼻をつまんでいた趙迂の顔が一変する。目を輝かせ、そこにあるものを食い入るように見る。


 豊かな色彩と繊細な筆致で描かれた世界がそこにあった。布張りの板がいくつも立てかけられ、そこにはそれぞれ別世界が描かれている。

 その鮮やかな色彩は、床に転がる岩石の粉と油を混ぜて作っているらしい。家じゅうに広がる悪臭のもとは、これが原因だろう。


(油画か)


 評価が低いわけだ。美術に疎い猫猫でも、主流が水墨画であることくらい知っている。有名メジャーな画法であれば、それを評論する人間の数も増えるものだ。対して、地味マイナーな画法は、たとえ優れていても色物として見られ、正しい評価は受けにくい。


 壬氏が雷震を薦めた理由もわかる。彼の絵は、趙迂の絵の描き方によく似ていた。後ろにある風景ほど、淡く霞むような筆致タッチで描かれている。


 腕白で落ち着きのない趙迂は、ただ食い入るように絵を見ている。


「坊主、それが気に入ったか」


 雷震が近づいても、鼻をつまむことなく見ている。指先だけは、何かをつかみ取ろうと筆を滑らせるような動きを取っていた。


(人には向き不向きがあるよな)


 猫猫は、雷震と趙迂が自分にはわからない会話をしているのをただぼんやりと見ていた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >詩歌を愛するものが多い妓楼ぎろうでは、どうみても趙迂の絵に【分配】が上がる。 軍配…で?
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