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薬屋番外編  作者: 日向夏
後日談
23/32

緑青館


「あまり元気がないようですが」


 猫猫マオマオは十日ぶりにやってきた貴人にそう言うと、香を焚き、甘めの茶を出した。


 貴人こと壬氏ジンシは欠けた指を持つ左手で髪をかき上げている。胡坐をかいたその姿は、いささかくたびれている。それでも、見るものに憂いを帯びた表情と映るのは、稀有けうな美貌のおかげだろう。


 隣の待合にいる高順ガオシュンもまた疲労の色をにじませていた。


 茶菓子の甘露煮をつまみながら、壬氏は遠い目をする。


「もう三日寝ていない」

「なら、寝ればいいじゃないですか」


(こんなとこに来なくても)


 せっかくの休みなのに、まめに薬を取りに来なくてもいいのに。使いくらいよせればいい。休みの日くらい日が昇るまで寝ていればよいのに。


 壬氏は、猫猫の言葉になにか言いたげな視線を向ける。言いたげであって、言わないのであれば、猫猫はなにをすればよいのかわからないので何もしない。

 いつもどおり、調合した薬を壬氏の指に撫でつける。


「寝る」

「ここで寝ないでください」


 薬を塗り終わるや否や、狭い店内で横になる。あろうことか、猫猫の膝の上に頭を乗せている。


(営業妨害だ)


 動けない猫猫は、開いた扉から高順をうかがうが、まめな従者はなぜか素知らぬふりをする。


 周りを見回すが、枕の代わりになるようなものはない。


 おかげで足がじっくりしびれるまでその姿勢を強要された。






「あらあら、お疲れねえ」


 ぴりぴりとしびれる足を押さえながら歩く猫猫に話しかけるのは、白鈴パイリンだった。甘い声と豊満な肉体は、男を陥落するに何一つ不自由ない。緑青館の売れっ子妓女の一人だ。


「うん。疲れた」


 白鈴に手を貸してもらい、猫猫は椅子に座る。養父たる羅門ルォメンが宮廷仕えになってから、食事は緑青館でとるのが日課になった。食堂には、十名以上の妓女たちが並んでいる。他にも妓女や禿かむろや男衆たちもいるが、一度に食事をとれないので、数回に分けてとる。

 卓子テーブルには、白粥と搾菜ザーサイ、あと汁物が置いてある。


「ちょっと少なくない?」


 白鈴は肉類を所望するが、


「あんたが、つまみ食いを減らせばもう一品増やしてやるよ」


 と、やり手婆の返事がくる。つまみ食いとは、あちら・・・のつまみ食いのことを言う。


 婆にそう言われると白鈴に返す言葉はなく、それに続く言葉も他の妓女から上がらない。緑青館でやり手婆に敵うものはいない。


 猫猫は粥に黒酢を混ぜると匙で口に含む。

 黙々と食事をする猫猫に。隣に座った白鈴が話しかけてくる。


「それにしても、小猫シャオマオはどうするの?」

「なにが?」


 小姐の言葉に猫猫は首を傾げる。


「常連のことよ。花街に来てわざわざ薬だけを買いに来るのはおかしいでしょ」


 含みを持たせた言い方に、猫猫はなるほどとうなづく。


「疲れを癒すのも妓女の仕事だったね」

「そうよ」

「随分、疲れていたみたいだし」


 猫猫の答えに満足したらしく、白鈴姐はそれ以上何も言わなかった。


(まったく気の利かない人間だ)


 猫猫は自分の至らなさを反省した。






 十日後、壬氏はまた疲れた顔でやってきた。


 壬氏が薬屋に入ろうとするのを猫猫は首を振って、


「こちらです」


 と、違う場所へと案内する。

 連れてきた場所は緑青館の最上階。最高級の調度に囲まれたその部屋には、一式のしとねが敷かれている。香を焚き締めているので、甘い香りが充満している。


「……どういうことだ?」

「お休みになられてください」


 壬氏の目の下にあるくまは、先日よりもさらに濃くなっていた。また、連日徹夜続きなのだろう。

 どうせ眠るならちゃんとした睡眠をとったほうがいいと寝所を用意した。


「仕事も大切ですが、休養も必要です」


 やり手婆にまた吹っかけられるかと思ったが、婆にも思ったことがあったらしく、一番良い部屋をただで貸してくれた。

 貴人にいい印象を与えたほうが得策と思ったのかもしれない。


「湯あみなさるなら、薬湯を用意しています。寝間着は合うかわかりませんが、こちらをお使いください」


 柔らかい木綿の寝間着を渡す。


 壬氏は驚きの表情から、しだいに緩やかな笑みに変わっていく。天女の笑みではなくなったが、男女問わずとろけさせる効用は変わりない。


「湯あみしてくる」


 隣接した湯殿に向かう壬氏。男衆に何度も往復させ湯を溜めた風呂は、ちょうどよい温度のはずだ。


 猫猫はほっと胸を撫で下ろす。


 部屋の隅にいる高順も、眉間のしわが緩んだように見える。


 しかし、壬氏が湯殿に続く扉を開けた瞬間、固まって動かなくなった。幾何いくばくかして、扉を勢いよく閉めると速足で猫猫の前に詰め寄ってくる。


「なんで、薄着の女たちが湯殿にいるんだ?」

玄人プロなので問題ありません」


 蜜柑の皮をばあやに剥いてもらうような坊ちゃんなので、湯あみも一人で入るとは思わなかった。皇帝が湯あみするときと同じように更衣を用意し、ついでだからと按摩マーサージを受けてもらおうと頼んだのだ。


「……按摩はお嫌いですか?」

「按摩だけで終わるのか?」

「終わらない場合が多いです」


 奉仕サービス業なので、客に頼まれれば口に出しにくい追加奉仕を行う者もいれば、そうでないものもいる。猫猫は念のため、前者を頼んでおいた。


「湯あみは?」

「やっぱ遠慮しておく」

「着替えは?」

「自分でやる」


 と、壬氏は衣を脱ぎ捨てると寝間着を羽織る。


(思ったより筋肉質だよな)


 ありのままの感想にこれといった感情はない。

 猫猫は落ちた衣を丁寧に拾い上げ、きれいにたたむと行李こうりにしまう。


 猫猫は、寝床のそばに置いてある器と急須を持つ。急須から液体を注ぐと壬氏に渡す。


「睡眠薬かなにかか?」

「滋養強壮剤です」


 猫猫の言葉に、壬氏の顔が怪訝けげんに歪む。


「なんで、滋養強壮なんだ?」

「殿方の疲れたときは、それが一番と聞きましたので」

「……意味がわかって言っているのか?」

「他になにがあるかと」


 猫猫が言うと、壬氏は気まずいような、はにかんだような表情を浮かべた。

 

(率直に言うのは、難があったか)


 いくら殿方とはいえ、そういう生理的なことを口に出されると恥ずかしいものがあるのだろう。

 それにしては、壬氏の反応は少し違ったようにも思えるのだが、気にすることはなかろう。


 伏せ眼がちな壬氏に、猫猫は言葉を続ける。


「それで、どのような娘が好みですか?」


 猫猫は手のひらを二回叩くと、奥からきらびやかな娘たちが総勢五名現れた。

 どれも可愛らしくあどけなさが残る。


 前もって壬氏付の女官、水蓮スイレンから好みを聞いておいた。年上よりも同年代が良いらしい。

 また、以前から貞操観念云々語ることが多いので、生娘きむすめで揃えてみた。


 全員を緑青館で揃えるのは難しかったので、よその妓楼からも話を通してかり出してきた。

 やり手婆は眉をしかめたが、妓女たちは乗り気で麗しき貴人が最初の相手となるならと鼻息を荒くしてやってきた。皇弟とばれていないが、壬氏の見た目から噂は花街中に広がっている。


 そのもてもての貴人といえば、あんぐりと口を開いたまま呆気にとられている。


 部屋の隅で高順が頭を抱えているだけでなく、壁に額を突っ伏している。


「好みがいませんでしたか?」


 猫猫の問いかけに反応するのは、壬氏ではなく妓女たちのほうだ。各々、自分が魅力的だと思う仕草を壬氏に向けている。


「全員、未通娘おぼこですよ。ちゃんと調べましたから」

「自分で調べたのか」


 どうやって調べたのかは、推してはかるべし。


 壬氏は人形のようなぎこちない動きで、猫猫を見る。


「……とりあえず、ただ眠たいんだ。寝かせてくれ」

「そうでしたか」


 猫猫は残念そうに肩を落とし、不満げな妓女たちに退室を願う。


 それ以上に肩を落としている高順のもとに行き、


「代わりにいかがですか?」


 と、たずねたら、


「うちは恐妻家なんです」


 と、言われた。なるほど、妻帯者に妓女をすすめるのはいささか難がある。


 寡黙な従者には、立ったままでは悪いので、すわり心地のよい長椅子ソファに座ってもらうことにした。布団はもう一式あり、部屋も空いているが丁重に断られた。


 猫猫は、壬氏が横たわったところに、上掛けを丁寧にかける。

 自分も退室しようとしたら、腕を掴まれていた。


「子守唄を歌ってくれ」


 断りたいところだが、たまに見せる子犬のような目がちらちらと猫猫を見る。それに、今のところ空回りばかりしていて壬氏の疲れはとれていないようだった。


「下手ですよ」

「かまわない」


 上掛けをゆっくり叩き拍子をとりながら、猫猫は歌い始めた。妓女が歌うわらべ歌である。


 壬氏の寝息が聞こえるのにそれほど時間を要さなかった。


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