叔父と甥
薬屋本編にあったものを移動。
「なあ、叔父貴。なんで一緒に暮らしてくれんのだろうな」
片眼鏡をかけた甥御は、今日も医局にたむろっていた。
いつの間にか運び込まれた長椅子と卓、ちゃっかり仕事の書類も持ち込んでいる。
自室のようにくつろぐのはやめていただきたい。
「さあねえ。それより、狭いのだが」
羅門は柔和な笑みを浮かべて、場所を陣取る羅漢に言った。
医局に常在する医官は、なんとも言い難き顔をしている。
「ああ。一緒に暮らしたら、毎日、碁をしたいなあ。将棋は下手だったが、きっと碁がうまいはずだ」
「うん、それより邪魔なんだがね」
羅漢が食べ散らかした菓子の欠片を拾っていく。藁でこしらえた小さな箒で足元を掃いていく。
「それよりも、衣かなあ。もう年頃だしなあ。いつも着ている衣は、つまらん。なんで、贈ったものは着てくれないのかなあ」
「少なくとも、どどめ色はよしたほうがいいよ。雑巾にするのも、使いにくいっていってたからね」
結局、捩って紐にしていた。元は上等の絹なのにもったいない。
「簪や笄のほうが喜ぶかな。あんまり派手なのはよくないと思うのだが」
「現金が一番じゃないのかね」
衣装と同じく装飾品の趣味も凡人の感性とは異なっていた。
猫猫は、ばらして材料を売っ払っていた。
ならば、最初から銀をもらったほうが話の早い。
羅門は、片付けた傍から散らかしていく羅漢の周りを掃除する。
手慣れたものである。
「やっぱり、年頃の娘は難しいなあ」
「そうだね。その前に、ひとの話を聞こうね」
あいかわらずだなあ、と羅門は思いながら、集めたごみを屑籠に入れた。
わが道を進み過ぎるために、どこが悪いのか気づいていない。困ったものである。
そのくせ、興味のある分野はいくらでも吸収するので、奇人だの変人だの言われながらも、今の地位についている。
どうにもうちの家系には、そういう人間が多い。遺伝というものだろうか。
一芸に秀でているが、人間として根本的に致命的な弱点を持っている。
かくゆう自分も似たようなものであるが、羅漢や猫猫ほどひどくはない。
せいぜい、要領が悪い、いや、すこぶる運がないくらいだ。たまたま、前の皇太后に気に入られたという理由で後宮に入れられ、その際宦官にさせられたというのだから、それなりに不幸だと思う。
空気の読めない甥御は、延々と娘の話をしているかと思われたが、いつのまに皇弟の悪口に変わっていた。
害虫だの、悪い虫だの罵っている。
まるで酔っ払いのからみのようであるが、手酌で注いだ飲み物は酒精のない果実水である。素面だからこそ余計たちが悪い。
先日まで、皇弟のところに仕事の邪魔をしに行っていたようで、元々、ここに持ち込まれた家具もそこに勝手に置いていたものであったらしい。
皇弟が皇帝の補佐という形をとり、前の執務室を引き払ったからここに居座ってしまった。
ひと様の迷惑になる行為はするなといいたいが、今更いって矯正できるものでもなかろう。
羅門は愚痴り続ける羅漢を細身の医官にまかせ、後宮に向かうことにした。
あちらはあちらで、どうにも玄人意識の足りないどじょうひげの医官がいる。
どうにも苦労は絶えない。
養い子が手伝いに来てくれたらいいのだが、と思ったが、それはそれで大変そうだと打ち消した。
○●○
「目があいたようですね」
「ええ、主上と同じ色よ」
玉葉妃改め、玉葉后はおくるみに包まれた赤子の頬をつつく。
姉の鈴麗公主は、母親に似て緑がかった目をしているが、東宮は真っ黒な目をしている。
皇弟は、ふっくらとした頬の甥御を眺める。
小さな拳を揺らしている。目はあいているがまだぼんやりとしか見えないのだろう。
「早く育ってくれないか」
「無茶いわないで」
真摯な目で赤子に訴える皇弟に、玉葉后は呆れた顔をした。
赤子を側仕えの紅娘に渡すと、皇弟は椅子にもたれかかりため息をついた。
「また、なにかいわれたの?」
にやにやと笑うのは、まだ若い義姉である。おもしろそうなことに敏感で、ここのところ姑と同居とのこともあり、鬱憤が溜まっているらしい。
しまった、と思ってももう遅い。
好奇心にあふれた兄嫁に問い詰められたら、ごまかせるわけがない。
「理想を聞いてみたんだが」
高順から、出産という行為だけは興味があるというなんともななめ上の言葉を聞いた。どうやらそれに至る過程も、その結果生まれるものについても今のところ興味がないらしい。
なので、お相手としては子ども好きの健康体で、なおかつ商人か農民の三男坊がよいらしい。
腹をよじる義姉を皇弟は、やっぱり言わなきゃよかったという顔で見る。
金や権力には興味はないのかといえば、子育てはできないが養育費くらい自分で稼ぐといい、権力がないからこそ商人や農民がよいらしい。むしろ、旦那も養っていくつもりか、手切れ金を渡して別れるつもりなのかもしれない。
「と、とりつく、し、しまも、ないわね」
苦しそうに玉葉后がいうが、笑いは止まらない。
紅娘が、笑い声が響きますと、背中をさすりながら兄嫁をたしなめる。侍女頭は住まいをあらためてから、さらに気苦労が増えたらしく、少し頬がこけているようだった。
東宮が生まれたからといって、皇弟がお役御免というわけではない。
臣籍降下を申し出るのもまだ先の話である。
「そ、そういえば、医官の試験、いろいろかえているらしいけど」
笑いをひと段落させて、玉葉后が話しかける。
「まあな、慣例をかえるのは難しいな」
今の試験の募集資格は、農民も商人も女も受けられないようになっている。
皇帝の弟とはいえ、まだ十代の若造である。
意見がすんなり通るほど、世の中甘くない。
いろいろと前途多難である。
「早く大きくなってくれよ」
甥っ子にそれだけ挨拶すると、皇弟は后の部屋をあとにした。