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薬屋番外編  作者: 日向夏
旧蛇足編
20/32

終 花街の薬屋

「おいそばかす、言われたもの採ってきたぞ」


声変わりもしていない少年が、扉を開けて入ってくる。名を趙迂チョウウという。

顔立ちはいいが、前歯が二本抜けた間抜け面である。


男娼として売られてきたが、性格に難があり、買われてすぐ喧嘩をして前歯を折ってしまったらしい。これじゃあ売り物にならないといわれたのを、やり手婆が二束三文で買い取って猫猫に押し付けた。


「弟子のひとりでもとらなきゃ、一人前じゃないよ」


とのこと。


羅門ルォメンがいなくなり、婆に戻ってこいといわれて帰ってきた。

婆がなぜか「半額払い戻しか」と、舌うちを鳴らしていたのはなぜだろう。


「違う」


餅草よもぎを取ってこいといったのに、なぜ附子とりかぶとの葉を摘んでくるのだ。似てないこともないが、薬師としては致命的である。

まあ附子は、猫猫マオマオがいただくとして。


「なんで、似たようなもんじゃね?」


とりあえず、げんこつを落とす。手が痛いのでやりたくないが、これくらいやらないと趙迂はわからない。


「なにすんだ」

「阿呆か、こんなもの煎じたら死ぬぞ」


ためしに飲んでみろ、というと眉を八の字にして逃げ出した。

これで何回目だろうか。


(尻に危険を感じたら帰ってくるだろう)


これまで、半裸で半泣きになりながら駆け込んできたことがたびたびあった。世の中、御稚児さんが好きな物好きはけっこういるものである。


(ああ、眠い)


昨晩は徹夜して薬を作っていた。どうにも、新しい薬を作るのは難しい。効用を高めようと複数調合してみると、ときに毒性など生まれてしまう。


左腕に傷をつけ、何種も試したがやはり効用はぴんとこない。


(やっぱ、切らなきゃよくわからんな)


左手を見て、小指をきゅっと紐で縛る。


(ようし)


小刀を振り下ろそうとしたとき、


「何する気だ」


呆れた顔で見下ろしてくるのは、最近の常連である。

右ほおに刀傷を残し、髪を巾でひとまとめにしている。あいかわらず苦労人の従者は、さらに眉間にしわを増やしたようである。


やんごとなき身の上の人物が、十日に一度はこうして妓楼に間借りする小さな薬屋をたずねてくれる。


まあ、なんというか暇人である。


花街に戻った後、壬氏ジンシは数日もしないうちに緑青館ろくしょうかんをおとずれた。


「忘れ物だ」


と、恋い焦がれた牛黄ごおうを渡してくれた。

まったく、全然くれないとおもったら今頃になって。

喜んで箱を開けてみると、なにかが違う。たしかに牛黄であるが、前のと違うのだ。色味は少し濃く、大きさも少しだけ大きい。


これは以前と同じものかとたずねると、なんでわかるんだと呆れられた。前のは形が崩れたから新しいものに買い替えたらしい。

のびのびにしていた理由もそこにあるのだろう。


なんという無駄遣いである。


所詮、薬としてすりつぶすのだから、多少崩れていても問題ないのに。


信じられないついでに、価格も聞いてみると、壬氏は首を傾げながら、高順ガオシュンにたずねている。きっと、自分で金を払ってものを買ったことがないのだろうとたずねると、以前大きな買い物をしたことがあるといわれた。家でも買ったというのか。


高順に給料三か月分です、といわれ、よく意味がわからなかった。誰の給料を基準にしているのかと聞くと、高順が「世代が違いますよね」と哀愁を漂わせた。なにがいけなかったのだろう。


こうして、物好きな貴人は通って来てくれるのはよいが、なかなか帰ってくれない。


薬棚に囲まれた狭い部屋に入り込まれると、大変息苦しいわけだが壬氏は気にしておらず、外で待機している高順に申し訳ない。やり手婆が気前よく茶をだしているようだが、どうせならこちらにも出してくれてもよいのに。


(気が利かない婆だなあ)


猫猫は新しく調合した軟膏を取り出す。

今までの軟膏にひとつ生薬を増やしたものだ。壬氏の左手をとると、半分から先のない小指と薬指に塗っていく。


(前より少し伸びたかな)


おのれの指先で長さを目測する。本当ならば、ものさしを使いたいところだが、さすがに失礼だろう。長尻は邪魔であるが、定期的に来てくれると観察しがいがあり、猫猫としてもうれしい。

贅沢をいうなれば、比較対象が欲しいところだが、右手も切ってくださいともいえない。


(やはり、自分でためすか?)


などと、ぎゅっと壬氏の手を握りしめてしまったらしい。


壬氏は、最近見せる子犬のような表情から、たまに野良犬のような顔になる。顔の傷のせいもあるが、最近、顔立ちが精悍になり、もう天女という形容はふさわしくなくなった。

なぜだか、そのうち噛みつかれそうな気がしないでもない。


なんとなく今度から、訪問中は扉をあけたままにしておこうと思う。


(おなかすいたのか?)


たしか、戸棚に小姐に貰った茶菓子があったはずだと探しだす。


なぜか残念そうな壬氏は、肩を落とし、差し出された月餅げっぺいをさして美味そうでもなく食べている。

世辞でもよいから美味しそうに食べるふりくらいしてもらいたい。


「なあ、宮廷勤めはもうする気はないのか?」


月餅を食べ終えた壬氏がじっと見る。


「ここに薬屋はいませんからね。今、育てているのがものになるまではここにいるつもりです」


猫猫は急須で茶を蒸らしながら答える。


女官はもうこりごりであるが、医官となったおやじどのについていくことができれば猫猫にとってこれ以上ない幸福だろう。まだ、おやじどのの知識をすべて教えてもらったわけではない。


「ならば、羅門ルォメンと入れ替わればいい」


(無茶なことをいうなあ)


たかだか薬屋の小娘と、国一番の医師を天秤にかけて前者を選ぶ理由などない。


それに。


「私はこれでも女なので、医官にはなれません」


無愛想な面構えで茶を差し出す。


たとえ、とりがらのような貧相な体つきでも、一応は女なのだ。

失礼な話である。


壬氏はなるほどと、茶をすする。熱かったらしく、慌てているところに、猫猫は世話のかかると水の入ったコップを渡す。


水を飲み干し、落ち着いたところで壬氏がなにかを思いついた顔をした。少し悪戯いたずらめいた悪餓鬼の顔である。


「ちょっと仕事をしてくる」

「はい、働いてください」


(税金泥棒といわれないように)


栗きんとんをつつこうとしていた高順を引っ張り、速足で帰って行った。名残惜しそうに帰る高順は、あいかわらず苦労人だなあと思う。

もったいないので、きんとんは猫猫が美味しくいただくことにした。


(やっぱ眠いなあ)


大きなあくびがでた。

猫猫は、窓口に呼び鈴を置き、座布団替わりのむしろを重ねた。


扉を閉めようとすると、鈴をつけた三毛猫が入ってきたので、干した小魚をあげる。

はぐはぐと食べ終えると、あくびをする。


猫猫が筵の上で丸くなると、その隙間を埋めるように三毛猫も丸くなった。

規則正しい寝息が聞こえるのはほどなくしてのことで。


花街の薬屋はのんびりと開業中である。


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[一言] 給料三ヶ月分が通じず嘆く高順は、昭和からの転生者
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