2 授業
「一体、なにがおきているんでしょうか」
「わからんな」
問いかける高順に、そっけなく壬氏は答える。
場所は、後宮内の講堂前。
妃たる勤めを果たすべく、現在、上級妃たちが学んでいる。
周りには、閉めだされた宦官やお付の女官たちが、壬氏と同じ表情をしている。
秘密にされると気になるもので、扉に耳をそばだてるものさえいる。
一体、なにが。
好奇心を掻き立てられるひとつの理由に、なぜか講師がそばかす顔の若い女官であることがあげられた。
十日前にさかのぼる。
「新しい淑妃が来たことで、妃教育をしたいそうなんだが」
「そうですか」
無表情な女官は、興味なさそうに答えると、せっせと床の拭き掃除を続ける。下女の仕事を奪うかのように、親の仇かのように掃除をする。それが、壬氏の部屋付になってからの猫猫の日課である。
他にしてもらいたいことはたくさんあるのに、それを避けるように違う仕事を見つけてくるので困ったものだ。
まあ、元々最低限のことでしか、女官を入れないようにしていたので、問題はないのだが。
「講師をしろとのことだ」
「へえ、誰ですか」
「おまえだ」
目が据わったまま、壬氏を見る。直属の女官になったところで、冷めた塵芥を見るような目はやめたりしない。一種のくせになりそうな目で、これを見るとなんだか悪戯を仕掛けたくなるので困ったものである。
「ご冗談を」
「なにが冗談だ」
勅命の書を見せる。
猫猫が目を細めてみるが、自分に都合の悪い文章を発見したらしい。
「おい、目をそらすな」
「なんのことでしょうか」
「今、しっかり見ただろ」
「気のせいではないですか」
壬氏は書を広げ、猫猫にとって都合の悪い部分を指さした。
「ここに、推薦人の名前が書いてあるだろ」
「……」
指をさした先には『賢妃 梨花』と書かれてあった。
なにがなんだか、わからなかった。
観念した猫猫は、ため息をつきつつも、実家に文を送ったり、前準備をしっかりしていた。実家と言っても薬屋のほうではなく、親同然に世話になっている妓楼のほうだ。
数日後、届いた荷物とともに、必要経費を請求された。
どんな荷物が届いたのか、確認しようとしたら、けだものをみるような形相でにらみつけられ、寮の自室に持ちかえられた。
一体、何だったのだろう。
そして、現在に至る。
講堂は三百人以上入る空間なのに、猫猫は「門外不出です」と、四夫人とそれぞれの侍女頭をのぞき、全員締め出してしまった。
壬氏は立場上いても問題ないかと居座っていたが、猫猫に背中を押され追い出された。
ご丁寧に入口につっかえ棒がかけられる音がした。
気になっても耳を壁にそばだてるわけもいかず、たとえそうしても中の声は聞き取れないだろう。
猫猫は広い講堂の中心に妃たちを集め、内緒話でもするようだった。
妃教育とは、秘密が多いものだが、ここまで隠匿する必要はあるのだろうか。
以前、後宮医官が語った内容は、御子ができやすい生活習慣についてだった。
そのまえは、皇太后じきじきに妃たる振る舞いを教えていた。
猫猫が教えられる内容とすれば、身体によい薬についてだろうか。さすがに、証拠の残らない毒殺講座などやるわけがなかろう。
梨花妃の推薦というのだから、身体によくない身近なものを教えているのかもしれない。
どちらにしろ、内緒にするほどでもないと思うのだが。
一時が過ぎたころ、入口からつっかえ棒が外れた音がした。
中に入ると、各々講義に対する感想が、表情に現れていた。
玉葉妃は、うきうきした顔で「まんねり離脱」と、はしゃいでいる。侍女頭の紅娘は、いつものごとく疲れた顔で付き従っている。
梨花妃は、真っ赤な顔をしながらも、授業内容を反芻するように指を動かしている。なんだか満足した顔である。
里樹妃は、講堂の隅で壁に額を打ち付けながら、「無理、ぜったい無理」と、青い顔でつぶやいていた。
傍には、最近侍女頭になったばかりの女官が心配そうに背中をさすっている。確か、元毒見役の女だった。
新しい淑妃こと楼蘭妃は、目を見開き、顔を真っ赤にさせ、化け物でもみるかのような顔をしている。
視線の先には、一仕事終えたと椅子に座り湯冷ましを飲む猫猫がいた。
齢十八の知的で冷静な妃だと聞いていたが、見る限りその片鱗はなかった。
梨花妃と楼蘭妃の侍女頭たちは、楼蘭妃と同じく顔を真っ赤にさせ奇異の目を猫猫に向けている。
一体、どんな授業が行われたのだ。
各々、妃たちは教材として持ち込まれた例の荷を持っていた。あるものは、大事に抱え込み、あるものはおぞましげにさわっている。どの荷にしても、風呂敷が丁寧にくるまれていて中をうかがうことはできない。
気になることこの上ない。
「なあ、どんな授業をやったんだ」
壬氏がたずねると、猫猫は遠い目をして、
「後日、皇帝に感想をうかがってください」
と、答えた。
全く意味がわからなかった。