15 楼蘭妃その参
いつもの宮官長の部屋にて、猫猫は壬氏のわかりきっていることのみを報告してくれた。
すでにそれらは、別の女官によって調べてある。わざわざ猫猫に頼んだのは、別の視点でなにか気づかないかということだった。
目ざといこの娘は、自分の頭の中にある知識と組み合わせて盲点に気付くかと思ったのだが。
ただ、曖昧な推論が嫌いらしく、ある程度確定できる要素がない限り喋ろうとはしない。
また、なにか知られたくないことがあるときは、一点張りにわからないと言い張る悪い癖がある。
妙に義理堅いことから、こちらに不利なことはしないと思うのだが。
今回もまた、なにかごまかしているような気がしてならない。
なので、近づいて目線を合わせようとするのだが、どうにも目をそらすので困る。
やり過ぎると、高順が目でなにか訴えてくるのでやめないといけない。
しかたない。
壬氏は、机の上に置いてある布に包まれた箱をとりだす。
箱のふたを開けると、黄褐色の塊が入っている。
無表情だった猫猫の顔がみるみる変わる。頬がゆるんで唇が笑みを作る。
本人は自覚がないようであるが、正直人前であまりすべき表情ではない。なんというか扇情的なのだ。
一定距離を保っていた猫猫が、すがるように近づいてくる。
悲しいことに、ものでつらない限りこんなにすり寄ってこない。
「それは」
「ああ、約束の現物報酬だが」
正直忘れていたものだ。
高順にたのみ、急いで探させた。
牛黄、牛の胆石である。
千頭に一頭が持つか持たないかの高級品だ。あれだけ期待に満ち満ちた目を見せられると、また冬虫夏草にすることはできなかった。
おかげで高順は、医局の伝手を走り回ったようであるが。また、苦労をかけてしまった。
「さわってもよろしいでしょうか?」
と、勝手に指でつまんでいる。
眼をこらしてちゃんと本物か確かめているようだった。貴重品がゆえ、鬱金を練り固めた代物が偽物として出回っているらしい。
「本物ですね」
「ああ、医官にちゃんと鑑定してもらった」
宮廷の医官は、そんなものをどうするんだとの目を向けてきたが答える必要はなかった。女官への貢物などといえやしない。
壬氏は猫猫の手から牛黄をとると、箱のふたをしめた。
「それはいただけるのでしょうか?」
きらきらとした目を向ける。
いつもは上目使いであるはずが見下した目しかしないくせに現金なものである。
ちょいと悪戯がしたくなったが、高順がこちらをじっと見ているのでぐっとこらえる。
かわりに本題に切り出すことにした。
「なにか隠し事はないのか?」
最上級の笑みを浮かべて猫猫をみると、なぜだか心の中で葛藤するような奇妙な動きをしている。
これだからおもしろい。本人は気づいていないようだが、なかなか表情豊かなのである。
なにを隠しているんだか。
まあ、よいと、壬氏は牛黄の箱を布に包むと、袖の中にいれた。
猫猫は口をぽかんとあけ、がっくりと肩を落とした。
○●○
(けちだ)
猫猫は不貞腐れた顔で、薬をごりごり潰す。
狭い自室は、干された薬草が壁中につってあり、足元はすり鉢と薬研が転がっている。寝台の上には、高順から借りてきてもらった書庫の書物が積み重なっている。
たしかに黙っているのは悪いが、あんなすばらしい牛黄を盾にしなくてもよいではないか。
本当にやりかたがいやらしい、さすが変態だ。
もし、猫猫の予測が当たって壬氏と高順が宦官ではなかった場合、一蓮托生というやつでなかろうか。それならまだましで、知り過ぎたものにはそれなりの対応が待っているのかもしれない。
(試してない薬や毒がたくさん残っているのに)
まだ、猫猫としては長生きしたいところである。最悪のことを考えて備えておくべきである。
それにしても、あの様子だと壬氏はやはり前もって調べていたようだ。
それだけ証拠を持ちながら、楼蘭妃を糾弾できない理由があるのだろうか。
(泳がせているのかな?)
猫猫はかぶりを振る。
深く考えても仕方がない、それはお偉いさんのすることである。
首を突っ込んでもよいことはない。
猫猫はすり潰した粉を混ぜ合わせた。
腹痛の薬をやぶ医者に頼まれていたのだ。
医局に向かうと、正門のところが騒がしいことに気が付いた。
見目麗しい宦官たちと大荷物を持ったふくよかな女性が二人いた。
前者は先日の逢引の宦官がいたので、残り二人も楼蘭妃のところの宦官だとわかった。
刺激の少ない後宮では、見目麗しければ宦官でも十分刺激となる。
(新しい女官か?)
猫猫は医務室に入ると、やぶ医者に聞いてみた。
「ああ。あれは乳母らしいよ、楼蘭妃の」
最近、楼蘭妃は、はりだしはじめた胎を自慢するように、後宮内を散歩しているらしい。
見ている分はおもしろそうだが、あまり付き合いたくない妃だろうと猫猫は思う。
(気の早いことで)
あと三月はあるだろうに。
今から乳母を雇ったところで、乳が出続けるのだろうか。ふくよかさから、そのために雇ったように思えるが。
猫猫は煎餅をかじりながら、飾り窓の隙間から歩いていく宦官たちをみる。
(顔色、なんだか悪くないか?)
猫猫は、ふたりの乳母たちの顔が青白いことに気が付いた。
(緊張しているのか)
眼を細めながら、頭の隅にとどめておくことにした。
なぜだか、とても気になった。
楼蘭妃が懐妊を公にしたことで、玉葉妃もまた発表せざるをえなかった。
ゆえに、皇太后が会いたいとのこと。
二人の妃にだ。
そうなれば、なぜだか周りが大騒ぎをする。せっかくなので、宴にしようと。
(なぜそうなる)
たとえ安定期に入ったとはいえ、そうそうおもてに出るべきではないと猫猫は思うのだが、周りの考えは違うらしい。
二人の妃を旗印に、ちょっとした喧嘩をおっぱじめるらしい。まあさや当て程度に。
面倒くさいことで。
なにより、生まれてから、どちらが先に男児を生むか、それが決まってからやればよろしいのに。
散々、空気を濁してからどちらも女子が生まれたらどうするのだろうか。
白けた空気が流れるならば、生まれた御子が可哀そうである。
(どうにもきな臭い)
今頃、軽はずみなことをいったと皇太后は嘆いているのではないだろうか。それとも、わざとそれを招いたか。
後宮という籠の中で咲く花は、いっぽうでその檻に守られているといえる。
籠の外にでた妃はどうなるのか。
不安要素しか見つからない。
(ああ、大変だ)
猫猫は大きなため息をつくのだった。