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5.スコーンはさくさく、転職もさくさく?

 朝は空腹とともにやってくる。


『ぎゅるきゅううぐぐぅ』


 およそ淑女らしくない大音量のこのお腹の音があるだけで、結婚生活には不向きだなぁと毎朝実感している。

 今日は仕事が休みの日だったけれど、起きて食堂で簡単な朝ごはんを食べていたら、侯爵様からの手紙を渡された。今日も『ちょっとした焼き菓子』を持ってきてくれないか、との内容で、材料費や手間賃の支払いはもちろん、迎えを寄越すと書いてあっては、もはや断ることもできそうにない。……用事はなかったから、いいのですが。


 自分が休日でも騎士団の厨房は休みなしで稼働している。幸い朝食の支度は終わっていたので、隅の方を借りるくらいは大丈夫そう、と隅っこの方から厨房へと脚を踏み入れる。


『きゅるるぎゅうううううう』

「おっ、エルヴィラ。今日は休みだろう、どうした?」

「私より先にお腹が挨拶してすみません……侯爵様が。あの、ちょっと厨房借ります」

「ああ~……大変だな」


 さっき朝ごはんを食べたばかりなのに、もうこのお腹の音。でもここでは自分のお腹の音を恥ずかしがるような事はすでにない。厨房のみんなも騎士団の皆さんも、すっかりご存じなのが今の居心地の良さだ。


 侯爵家に行ったら、また一から人間関係を築かないといけないんだな、と少し寂しい気持ちになる。お腹が鳴っただけですけど。お腹が空くと寂しい気持ちになりやすいのかもしれない。早く料理を始めてしまおう。


 冷蔵庫からとりだしたバターを包丁で手早く刻み、ボウルに入れる。ここによくふるった小麦粉を少しずつ加えながら、バターと小麦粉をスケッパーで小さく切り混ぜていく。粉を全部加えてよく混ぜ、サラサラの砂のようになったものを、今度はぎゅっと押してまとめていく。


 無心で行うこの作業も実は楽しく、まとめた生地を今度は折ったりたたんだり伸ばしたり、また折ったりしながら魔力を注いでいく。ふと気づくと、さっきまでの飢餓感が薄らいでいた。ありがたい。


「休みの日まで大変だね」

「ええ。でも、料理しているとお腹が空かなくていいわ」

「ほんと燃費が悪いんだなぁ」

「健康ってことですよ」


 軽口を叩きながら、オーブンの余熱を入れておく。少し冷蔵庫で休ませた生地を取り出し、コップでひとつずつ型抜きする。おいしく膨らみますように、と願いながら、バターを薄く塗った天板に並べた。


「なぁ、それ俺たちの分とかない?」

「残った生地でよかったら、小さいものを作りますか?」

「やった!おやつだ!!」

「少し魔力強めですよ」

「午後から訓練だから、ちょうどいいよ」


 それなら、小さければ問題ないだろう。残った生地を丸い棒の形にまとめ、こちらは手早くスライスして別のオーブンを使わせてもらう。

 どちらのオーブンからもバターのいい香りがたちのぼり、きれいな焼き色のついた菓子ができあがると小さく歓声が起きた。粗熱を取るためのケースで、すぐに冷ますことができるのはありがたい。


「こちらは、もう少し冷めてからお持ちください」

「「はーい」」


 いいお返事だ。バスケットに出来立てのスコーンを詰めて、厨房を後にする。すでに外には侯爵様の馬車が待ってくれていた。


「お待たせしてすみません……あれ、セドリックさん。おはようございます」

「おはようございます。こちらも先ほど到着したところです。昨日はおいしい食事をありがとうございました。鍋類は洗ってお返ししておきました」


 セドリックさんが御者台にいて、ちょっとびっくりした。


「セドリックさん、御者もなさるんですか」

「私は侯爵様のお仕事でしたら、なんでも仰せつかります」


 昨日の食事のあとの柔らかさはもう消えていて、今日はピシっとした紳士に戻っている。


「お手紙の要望通り、お菓子を焼いてまいりました。よろしくお願いします」

「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


そんなお迎えの馬車に乗り、お邸にやってきた……のは、いいのだけれど。


「……お城……?」


 迎えの馬車に揺られて入ったラウル・グライスナー侯爵邸は、さっき出てきたはずの王城のようなまばゆいお屋敷だった。このような豪邸にお住いの方から転職のお誘いを受けたともなれば、確かに騎士団の皆があれだけ騒いだのも納得がいく。


 さっき門を通り過ぎたのに、馬車はまだ止まる様子がない。長いバラのアプローチを抜けて、ようやく円形の開けたファサードに出る。そこをぐるりと周りってようやく馬車寄にたどりつくことができた。

 ほっとして窓の外を見ると、なんと侯爵様が待ってくださっている。先日、騎士団の隊長室で見たのと雰囲気が違うのは髪を切ったからだろうか。さっぱりした前髪の奥で、翠の瞳がきらめく。まるで物語に出てくる王子様のように、馬車を降りるために御手を貸してくださった。


「ようこそ、エルヴィラ嬢。お待ちしておりました」

「侯爵様、本日はお招きいただきありがとう存じます」


 礼をとると、楽にしてと声をかけられる。緊張はすっかり見抜かれているようだ。お腹が鳴らないように、と願いつつ手に持っていたバスケットをセドリックさんへ渡し、簡単に内容の説明をした。

 侯爵様からはエスコートのため腕を差し出され、恐縮しつつもそっとそこに右手を添える。直接触れると、やはりとても痩せておられた。


(おそらく現時点では確実に私の方が体重があるわね……)


「エルヴィラ、どうです?少し家の中を見てみませんか。あなたの厨房予定の部屋もありますよ」

「あっ!え、ええ、お願いします」


 自分の厨房予定とは……。しかし天井の高さ、廊下の広さだけで目が回りそう。


「元々ここは僕の母の生家でした。侯爵位を賜って、ちょっと改装はしましたが」

「お母様の……」


 つまり皇后陛下のご実家、と。それはお城もかくやですね。部案内されるお邸は、やはり驚くほど広い。ダンスホールに客間に、と厨房にたどり着く前に、ちょっと疲れてきた頃合いで、ふと侯爵様が足を止めた。


「あなたは今回のことを、私の思いつきと打算とお考えと思いますが……」

「そうなんですか?」

「……正直なところ半分、くらいは」

「そうですか。私も……まぁ、そうです」


 未婚(離婚歴あり)の女性を専属のシェフとして雇い入れるともなれば、おかしな噂は自動的に立つだろう。本人同士が違うと言ってもきっと、穿った見方の意見はたくさん出てくるだろう。しかしそういった面倒を考慮しても、お互い『諦めていたこと』が叶いそうな気がする。そこが打算なのだ。


「あなたは安泰な場所へ就職して家族を安心させることができ、腹も空かすことがなくなり、対して私は魔力を得ることができる。完全に利害が一致しています」

「そうなんですよねぇ……」


 本当~に困ったことに、完全に一致。身分の差が問題とは思うものの、それを侯爵様側がなんとかしてくださるというなら、もうそれでいい気がしてしまう。


『ひゅるるる……ぐうううぅ』


 ……緊張がとけてきたせいか、大きくお腹が鳴ったお腹の音が廊下に響き渡る。


「……くっ」


 侯爵様がそっぽを向いて笑った。


「いいですよ、笑ってくださって。私が『はらぺこ令嬢』と呼ばれているのも、ご存じですよね?」

「……っ、は、はい……」

「お茶にしませんか?ご依頼のとおり、焼き菓子……スコーンを焼いてきました。クロテッドクリームも手作りですよ」

「それは楽しみですね。ではこのまま、サロンへ行きましょうか」


 移動する間も私のおなかは鳴り続け、侯爵様と執事のセドリックさんは笑いを何度もこらえていた。サロンに着くとすでにハイティーの準備が整っており、ほっとする。これ以上お腹を鳴らす訳にはいかない。


「これは……とてもおいしそうなスコーンですね」

「普段通りに作ったのですが……」

「いえ、実は私は焼き菓子なら食べられる、というか食べたいものです。このスコーンは焼き色、形、薫り。本当にとてもおいしそうだ」


 作ったものを素直にほめてもらい、ちょっと照れくさくなる。


「それは、ありがとう存じます。クロテッドクリームもジャムも私が作ったものですから、全て魔力が入っています。たくさん召し上がってください」

「それはありがたい」


(ドーナツもオムレツも喜んでくださったし、こんなお邸にお住まいの方でも、味覚は意外と庶民派なのかも……?)


 少し待つと、自分の焼いた菓子がデセールされて出てきた。もったいないくらい立派にセッティングされ、自分の焼いた普通のスコーンがきらきらと光って見える。


「お口に合うといいのですが」

「早速いただこう」


 侯爵様のつまんだスコーンが小さく見える。痩せてはいるけれど、手が大きいんだな。結構大きく作ったはずだったけど……。

 大きな手の中でさくっと割れたスコーンの中はまだふんわりとしている。そこにこってりとしたクロテッドクリームをたっぷり乗せ、ブルーベリーのジャムを彩りに加えた。おいしそうだな、と見ているだけではなく自分もそれに習う。その間に侯爵様がスコーンを二口程度で食べ終えてしまったことにびっくりした。


「本当にお好きなんですね」

「ええ。今までは食欲がない時でも食べられるものの一つだったのですが、あなたのは格別です。これはたとえ魔力がこめられていなくても、おいしいです」


 嬉しそうにそう言ってくれたので、私も照れながらスコーンを口に運ぶ。あまいバターと小麦の薫り、こってりとしたクロテッドクリームにベリーのジャムの程よい酸味が加わって、いくらでも食べられてしまいそう。


「実は私も、自分で作るスコーンが大好きです」


 ふふ、と笑って侯爵様がもうひとつ……と手を伸ばすのを見守る。こんなに美味しそうに作ったものを食べてくれる人は、いい人かもしれない。


「まだ週末までは時間がありますが……どうでしょう、考えはまとまりましたか?」


 不意に本題を切り出されてお茶を吹きそうになる。


「ええと……そうですね。こちらにお世話になるのが良いかなと考えています」

「それは行幸です。それではこの後、あなたの厨房へご案内しましょう」

「……『予定』では?」


 にやり、という音が似合う侯爵様のすっきりとした笑顔。さくっと退路は断たれたようです。 


[ 続く ]

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