3.ドーナツ+オムレツ=???
ランチだけではなく3食を作るとは、どうすればいいのだろう。突然のことに呆然としていると、再度侯爵様が同じ事を繰り返す。
「我が家にあなた専用の厨房を作ります。年俸は今の3倍出せます」
「は、いえ、え、専用……いや3……!!ええと、ちょっと待ってください」
突然の転職を迫られましても、色々な事が頭をかけめぐる。
「あの……何が、どうしてこんなことに?」
「そうですね。きっかけは昨日のドーナツに命を救われたからです」
「どーなつ……ですか」
ドーナツってあれ?あれが?命を???
「騎士団の食堂の話は聞こえてはいましたが、すみません、正直眉唾だと思っていました。あなたの作る料理にはあなたの魔力が乗せられており、それを食べた人間が使えるということが」
ああ、まぁ、そうかもしれないですね食べたことなかったら……。
「しかし、昨日と今日の食事で、自分の考えが間違いだったとわかりました。あなたの料理には、確かにすごい魔力が乗っている」
「は、ええとまぁソウデスネ……」
「率直に申し上げて、それが私の命を救ってくれると思えたのです」
「命……ですか?」
そこがわからない。命を救うほどのことをした覚えはない。
「そうです。昨日あの後、残ったものも家族といただきました。皆も信じてくれましたよ」
「え。か、家族って……まさか」
「ええ、兄たちです」
「国王様……ということですか?」
「そうですね」
頭がくらくらするのは、こちらの方だった。一介の調理人が騎士のおやつに作ったドーナツを、国王様たちと共に召し上がられた……???
「なんということを……」
「それで、こうして確認がてらお願いに参った次第です」
確認がてら、一生を左右するような転職のお話をーーー???
「……あの、大変不躾なのですが……侯爵様がこちらに食事にいらっしゃるのでは、だめなのですか?」
料理が必要ということなら、こちらで提供するのでもいいのではないだろうか。
「できれば……というか、あなたを拘束したいのです」
「こうそく」
頭の中に物騒な絵面が浮かんでしまう。
「拘束という言い方が悪ければ独占といいますか……ここまで言えばおわかりかと思いますが」
「あの……私の魔力を他の人に渡したくないというお話でしょうか」
「率直に申し上げれば、そうです」
にこり、と微笑むと独特の圧力を感じなくもない。やはりこの方は生まれついての王族だ。今までのは遠回しな例え話だったらしい。背筋を伸ばして、真剣に向き合う。
頭が混乱してきたので、整理しよう。
「あの、質問をしても?」
「ええ、いくつでも」
「ご所望されているのが私の魔力ということですが、私がお渡しできる魔力はなんというかちょっとした上乗せ効果のもののようなのですが、そこはご存じですか」
「はい。しかし、昨日あなたのドーナツでいただいた魔力は、まだしっかり私の中にあります」
「え?」
「王宮の魔導士にも見てもらいましたが、私とあなたの魔力は非常に相性がいいようで。あなたの魔力を私は自分のものとして使用することができるんだそうです」
ええ、そんなことが……?と呆然としていると、侯爵様が続ける。
「私も昨日までは信じられませんでしたが……実際に身体の中にあなたの魔力があると、信じざるを得ない。違和感がないわけではないのですよ」
そう言われて手を取られる。侯爵様が自分の手のひらからじわりと魔力をにじませる。確かにそれは自分の魔力の波長のようだ。
「ほんとう、なのですね……」
「おそらくあなたにとって、これまで僕以上に相性のいい相手はいなかったのでしょう。ご家族や、前のご結婚相手を含め」
前の結婚の時は18歳だった。あれから4年の月日が過ぎている。
「私に離婚歴があることもご存知だったんですね」
「ええ、失礼ながら調べさせていただきました。しかしそれは何も問題じゃない。正直な話、私は魔力が欲しいのです」
「……そんなに?なぜですか?」
「単純な事ですよ。憧れていたのです。周りがみんな強い魔力を持つ中、私はひとり異端だった。そのことを誰も責めはしなかったけれど、私はひとりで勝手に孤独な思いをしていました」
それを聞いた瞬間、同情に似た気持ちがわきあがるのを感じた。同時に、その思いは不敬だともわかった。しかし何よりも、自分は今、この方を理解したいと思い始めている。……気がする。
「……お話はわかりました。しかし私個人の判断では難しいです。父と相談の上で」
「お父様には昨日のうちにお許しをいただいております」
「はい?」
「昨日、早馬を出しまして、子爵ご夫妻に了解を得ております」
じゃあもう転職するしか選択肢なくないですか???
「ほんとに、私の気持ち一つということですか」
「そうなります」
話の早い方だとは思ったけれど、戦術に長けておられるのだと感心してしまう。
「騎士団としては痛手なんだけどな」
ようやく隊長が口を開いたが、それを侯爵様がやんわりと封じる。
「だからと言って、君のところで一生面倒が見られるわけでもないだろう」
え。確かに今の職場は天国のようだけれど、一生ここに勤められるかと言えば、子爵令嬢としてはそうもいかないのかもしれない。マシューさんのように居られるような気がしていたけれど。
そう考えて侯爵様を見てみると、何も恐れる事などない気がした。王家の血筋に連なる侯爵閣下。これ以上の転職先が、私にこの先見つかるはずもない。
「今週中に答えをもらえると助かるのですが、いかがですか?」
「わかりました。前向きに検討させていただきます」
「お返事を楽しみにしていますよ」
隊長様はびっくりし、ラウル様はほっとしたように微笑まれた。これでいい……のよね?
「休憩時間が終わりますので、仕事に戻らせていただきます」
「うん、ありがとう。改めてまた相談させてください」
はい、と頷き、食器を乗せたワゴンを押して部屋を出た。足元がなんだかふわふわして、何度もつまづきながら厨房へと戻る。
「ああ、おかえり!お話、何だった?」
「マシューさん。私、明日から転職するみたいです」
「えっ!明日!?どこへ!」
「侯爵様のお屋敷です」
この時のマシューさんの言葉では形容しがたい悲鳴は、建物中に鳴り響いた。
[続く]




