1.まるいドーナツ
「おなかすいたぁ」
地方の子爵令嬢であるエルヴィラは、なぜかいつもお腹を空かせている子供だった。両親は心配して食事をたくさん与えていたが、一向に満腹にはならないし、太る気配もない。
やせっぽちのお腹を空かせた子供なんて、周りからは『食べさせてもらえない子供』としか思われないため、子爵夫妻は必死になって原因を探し、お医者さんを渡り歩いていた。3歳になった頃、訪ねた医者が元神官で、おかしなことに気づいた。
「この子の魔力量を計測したことはありますか?」
「いいえ、まだ」
両親がそう答えると、医者は小さなエルヴィラの両手をそっと支えるように下から握った。
「この年ではありえない量の魔力をお持ちのようだ。おそらく、お腹が空くのはこれが原因です」
「「魔力が?」」
王国アルドスは魔法国家だ。国民は大なり小なり、みんな何かしらの魔法を使う事ができるくらいの魔力を持って生まれてくる。比較的、貴族や王族にその量が多い傾向が見られるが、まれに平民にも強い魔力を持つものが現れる事がある。このため、王国の主要機関は平民でも受け入れられるような学校や仕事のシステムを構築しており、諸外国に比べて落ち着いた国に成長していた。
その中で子爵令嬢として生まれたエルヴィラに『ありえない量の魔力』があると言われ、両親は驚き教会の門を叩く。
「なるほど。それでは計測してみましょう」
両親と医師の説明を聞き、あまり小さいうちに計測しても出るかどうかわからないため、通常であれば5~6歳ころに行われる検査を3歳ですることになった。
果たしてエルヴィラの数値は、王族のそれと遜色ない、もしかしたらそれを凌駕するものだと結果が出る。
「これは……この年齢でこの魔力量は確かに驚異的です。おそらくですがこの魔力を保つため、お嬢さんはエネルギーを使っているのです。それで、ずっとお腹が空いている」
『きゅるるるるぐうぅぅ』
計測の間、何も食べていなかったエルヴィラのおなかは轟音で鳴り響く。
「おかぁさま、おなかが空きました」
周りの大人は呆気にとられ、これからの相談をすることとなった。
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「それで色々試した結果、なぜか料理をすると魔力が一次的に開放されるとわかったのかい?」
「そうです。どうやらお料理に魔力が発散できるとわかって、それからは自分で作るようになりました。でも、そのお料理を自分で食べると私にまた魔力が戻ってしまうので……」
「それで子爵家は皆さん、ふくよかになったんだね」
こくり、と頷く。
エルヴィラ・オルセー(22)子爵令嬢。なんと18歳の時に離婚歴あり。魔力たっぷりの食事を作りすぎることに相手の家族が悲鳴をあげたため、結婚後3ヶ月で実家へ出戻った過去がある。
「そのままこの騎士団の厨房へ来たんだから、あんたは丹力があるよ!」
そういってカラカラ笑ってくれるマシューさんは、この王城騎士団の厨房を統率するおばさまだ。
「あんたの作った料理で騎士様たちは魔力の底上げができる。あんたは魔力を開放してそんなに腹が空かなくなる。いいことばかりじゃないか」
「そう言ってもらえると心強いです!」
本当にそう思う。騎士団で料理をして魔力を発散するようになり、ようやく人前で大きくお腹の音を出すこともなくなった。
「思う存分お料理したら、私にも『満腹』がわかるんでしょうか」
「今でも十分な量を作っているというのにねぇ」
大勢の分を作っているのだからそれなりに放出はしているはず。でも子供の頃から今まで、一度も『満腹感』を味わったことがない。
「ここ以上にこんな魔力入りの料理を作らせてくれるところ、ないと思うけどね」
「そうなんですよね……」
実のところ、大皿料理的なものだとそんなにたくさんの魔力は乗らないことがわかってきた。それでも家族に作るよりはたくさんの魔力を消費できるので、ありがたい。
「濃く乗せてしまうと食あたりになるしねぇ。難しいもんだね」
「ええ。他人の魔力って消化しにくいものなんですねぇ」
料理で発散できるとはいえ、渡った先でも問題があるとなれば調整が難しいものだ。と、そこへ第三騎士団の隊長が表れた。
「エルヴィラ、いるか?」
「はい、隊長さん。何か御用でしたか?」
「今日の間食は何だ?」
「今日はドーナツです」
「そうか。じゃあ、みんなのを揚げたあとでいいから、二人分、私の部屋に持ってきてくれないか?」
「はい。えっと、私が運ぶ感じですか?」
「うん、それでな。」
そこで隊長さんがこそっと耳打ちをしてきた。
「俺のところの分だけ、ちょっと多めに魔力を乗せられるか?」
「……?構いませんが……大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと試してみたいことがあるんだ」
「わかりました、少々お待ちください」
ちょっと珍しいお願い事をされたけれど、まぁいいかと請け負う。生地は自分で仕込んでいるし、揚げる時に少し多めに流せばいいだろう。
この世界の魔道具はとても便利で、魔導冷蔵庫や魔導コンロなど、調理道具はとても発達している。
エルヴィラは冷蔵庫から寝かせておいた生地を取り出し、手早く調理台の上で型抜きをした。その間にマシューさんが鍋の油の温度を見てくれる。黄金色のきれいな油の上にうすい黄色のきれいな生地を泳がせると、じゅわじゅわと熱そうな油の中にはふくらみだしたドーナツ。周りが少し固まったところで、魔力を注ぎながらくるくると回していくと、あまい香りが漂ってきた。
「あ~、いい香り!なんて美味しそうなの!私も食べたいわ」
「でも、マシューさん前に酔ったじゃないですか」
「そうなんだよねぇ!本当に残念」
揚げ色を見ながら丁寧にドーナツをひっくり返していく。鍋の中ではきつね色のドーナツがぷくりと膨れた。ふわふわに仕上がったドーナツを引き上げては網に乗せていく。ふんわりとしつつも周りはさっくりと揚がっているのが見ただけでわかる。少し冷ましてさらりとしたお砂糖をまぶすと、極上のドーナツが仕上がった。ただし、魔力が強め。
「じゃあ、隊長さんのところへお届けしてきますね」
「頼んだよ。こっちは片付けて休憩しておくから、早く戻っておいで」
「はい!」
エルヴィラはお茶とドーナツをワゴンに乗せ、隊長の執務室へと向かった。
「失礼します。間食をお持ちしました」
「ああエルヴィラ、ありがとう。そこの応接セットに頼むよ」
そう言われて応接セットを振り向き、この時初めてソファにひとりの男性が深く腰掛けていたことに気づく。
(この方とお茶がしたかったのね)
「気づかずご無礼を。おひとついかがですか?」
「……ああ、もらおう」
長めの銀の前髪の向こうの目が見えにくいが、澄んだ声と延びた背筋、漂う雰囲気は上流貴族そのものだ。お茶を淹れながら、そっと垣間見をする。きれいな指先がドーナツをひとつつまんだ。
「ふぅん、これが……」
そう言って彼はドーナツを一口かじった……かと思うと。そのままゆっくり、ソファへぱたんと倒れこんだ。
「えっ!!あの、大丈夫ですか?」
「あれ、君の魔力で目が回ってしまったかな」
「た、隊長さん?」
魔力を強目にとオーダーした張本人は、面白そうに倒れた客人を見下ろしている。
「大丈夫、寝ているだけだろう。すぐに目を覚ますと思うよ……でもちょっと、彼についててもらえないか?」
「私が、ですか?」
どうして、と疑問符を飛ばしまくっているうちに、「へーきへーき、ちょっとだけ」と言いながら隊長が部屋を出ていってしまったので、仕方なくエルヴィラは片付けをしながら彼を見守ることになった。
///
「あ。……大丈夫ですか?」
机の上を片付けていたら、彼がぱちりと目を開けた。深い緑の瞳が見える。
「君は……ああ、大丈夫のようだ」
うーんと伸びをしてから身体を起こし、足をゆっくりと伸ばした。
「僕は……どうしたんだ?」
「寝ておられたようですが……ご気分はいかかですか?」
なんといっても自分のドーナツを食べて気を失ってしまったのだから、と責任感と罪悪感でいっぱいになる。客人は軽く手を頭に当てながら、エルヴィラに向き合った。
「きみの」
「はい」
「君のドーナツ、……すごいね?」
「ええと、魔力酔いされたんですよね。大変申し訳ございません」
「いや、いいんだ。あれは酔ったというより、吸収される刺激に負けた感じだった」
「……吸収?」
魔力が強すぎたせいではなく?
「君のドーナツの中に入ってた魔力を、僕の身体がすっかり吸収してしまったみたいなんだ」
そう言って手のひらを眺め、握ったり開いたりしている。
「あのう……大丈夫ですか?」
「ああ。とりあえず、ありがとう。今日は帰ることにする」
そう言いながら起き上がったので、目深だった髪が流れ、その瞳がはっきりと見えてしまう。
深いグリーンの瞳に煌めく金が宿る。この方は。
「もしかして、ラウル殿下……?」
「よくわかったね。でももう『殿下』ではないよ。」
少し前、王太子のランドルフ様が王位を継ぐことが決定した際に、ひっそりと王位継承権を放棄した現王の末弟の殿下がおられた。それがラウル・グライスナー侯爵だ。新聞の記事で容貌は知っていたけれど、まさか。
「ぼくはもう臣籍降下しているから、普通の貴族だよ。君と同じだ」
「お、同じではないと、思います……!」
我が家は地方のしがない子爵家。片や王家の直系である。
「どちらにしても、僕は君に助けられたようだ。また連絡させてもらうよ」
「助け、っていや……え。どう……え、連絡、ですか?」
「うん。じゃあ、またね」
彼は少し齧ったドーナツをひとつ手に持ち、もう片方の手を振りながら部屋を出ていった。
///
「ええ?ラウル様に会った?」
「ええ。なんだかとても……その……痩せて見えたわ」
その痩せ方は、まるで昔の自分を思い出すようだった。厨房に戻り、マシューさんとお茶をする。
「なるほどね。あの方はあんたと反対なんだよ」
「反対?」
「あんたは食べても食べても空腹だったろう?あの方は魔力量が少なすぎる上に、何を食べても消化しにくいんだとかでね。誰も口には出さないけど、城の中で長く働いたものなら誰でも知ってる、公然の秘密ってやつだね」
「魔力が少ないの?王族なのに?ああ、だから……」
「そうだね。まぁそういう理由で御降下されたんだと思うよ」
なるほど、そういえばまだ若いのにどうして。と思っていた。
「今日のドーナツが、少しでもあの方の助けになればいいのだけど」
「ああ、そうだね確かに……」
厨房のみんなから、エルヴィラに注がれる視線。
なんですか?」
「いや、まさか……ね。なんでもないよ。さて、一休みしたら夕食の支度にとりかかろう!」
「ええ、そうですね」
お茶を飲みながら夕飯の相談をして、いつものように仕事にとりかかる……はず、だった。隊長がまた顔を見せるまでは。
「エルヴィラ・オルセー。いるか?」
「はい。あら、隊長……大丈夫でしたか?」
「ああ。ちょっと君に頼みがある。明日の昼食を3人分、私の部屋へ運んでほしい」
「え、3人ですか?」
「ああ。私とラウル、それと君の分だ」
「……えっ?」
[続く]




