序章第7話 動と静が噛み合った、ただ一瞬
それは森の修練場に警報が響いたところから始まった。
「虚無獣・中型が出たぞ!!
街の東区画に進行中!!」
兵士の叫びに、辺りがざわめく。
「またか……」
リュミエラが青ざめて魔導器を構え、セリアはすぐに短剣を抜いた。
「我波道、あなたは――」
「行く」
セリアの制止を聞く前に、身体が動いていた。
「待ちなさい! あなたはまだ――」
「分かってる。でも……行かなきゃだろ」
言いながら、自分でも胸の奥がざわついているのが分かった。
あの日、呼吸で負けて、倒れた自分の感覚がまだ抜けていない。
「……呼吸で負けたまんまの俺じゃ、前に進めねぇんだよ」
静の呼吸の“芽”が、胸の奥でわずかに脈打つ。
それが、背中を押した。
(今の俺なら……少しくらいは動けるはずだ)
そう信じて、街へ駆け出した。
◆◆◆
東区画はすでに混乱の渦中だった。
建物が食われたように溶け、黒い霧が街路を覆う。
その中心に――異形がいた。
虚無獣・中型。
巨体は牛ほど、腕は人間の三倍、
顔には空洞だけがぽっかりと開き、そこからマナ霧が噴き出している。
「……これが中型……かよ」
小型とは迫力が別次元。
ただそこにいるだけで、空気が震える。
「道さん、下がって! あなたのレベルでは無理です!!」
リュミエラの声が響く。
だが俺は虚無獣から目を離せなかった。
(こいつ……俺を“視ている”)
虚無獣はマナ反応を感知する。
俺は“マナ不導体”だから生命反応が異質で、
奴にとっては不気味な存在に見えるはずだ。
空洞がこちらを向いた。
「来る……!」
地面が砕け、虚無獣が一気に距離を詰めてきた。
「ッ――!」
反射で動の呼吸を使おうとするが――
(痛っ……!!)
左胸奥に鋭い痛みが走り、踏み込みが遅れる。
虚無獣の腕が迫る。
避けきれない。
「道さん!!」
リュミエラの魔導光線が横から撃ち込まれ、軌道が逸れた。
「くそ……! 助かった……!」
しかし虚無獣はすぐに体勢を立て直し、こちらへ再突進する。
(逃げられねぇ……!
でも……動の呼吸だけじゃ身体が壊れる……!)
セリアの言葉が脳裏に蘇る。
──静で沈め、動で弾く。
両方が揃って、初めて“呼吸”は形になる。
(静……!)
吸う。
止める。
沈める。
虚無獣の速度が“わずかに”遅く見えた。
(今だ――避け――)
動に切り替えようとした瞬間、
ズレた。
動 → 静
静 → 動
その切り替えが、ほんの一拍遅れた。
「っ……!」
身体の軸がぶれ、足元が滑る。
虚無獣の爪が迫る――
死が目前に迫ったその瞬間。
胸の奥の“マナ結晶の芽”が、はっきりと脈動した。
呼吸が、勝手に切り替わった。
動 → 静 → 動
意識していない。
ただ身体が本能的に“生存のための最適解”を選んだ。
爆発的な踏み込みで爪を紙一重で回避し、
直後に静の呼吸で気配を消し、
背後に回って着地する瞬間に再び動で体勢を整える。
たったの一瞬。
本当に、瞬きにも満たない一瞬だけ。
俺は“完成形の片鱗”を垣間見た。
「……今の……なに……?」
セリアが目を見開いた。
リュミエラも信じられない表情で叫ぶ。
「動と静を……一瞬で切り替えた!?
そんなの、何年訓練したって身に着けることはできない――!」
しかし、その奇跡は一瞬で終わった。
「ガアアアァァッ!!」
虚無獣が怒り狂い、体全体をしならせて突っ込んでくる。
「くっ……! もう一度は……無理だ……!」
あの動きは偶然。
再現できない。
身体の痛みも限界だ。
虚無獣の影が迫る。
その時――
「《静刃・断流》!!!」
セリアの風刃が虚無獣の肩を切り裂き、
直後にリュミエラの魔導封鎖が虚無獣の動きを止めた。
虚無獣は怒号を上げながら後退し、
最終的には黒霧を撒き散らして、森の奥へ逃げていった。
戦いは――終わった。
倒したのは俺じゃない。
俺は避けただけ。
背後に回れたのも、一瞬の奇跡。
兵士が叫ぶ。
「虚無獣、中型……撃退!!
セリア師範とリュミエラ様のおかげだ!!」
そう。
俺は何も成し遂げていない。
でも。
セリアはゆっくりと俺の前に歩み寄り、静かに言った。
「我波道……
あなたがさきほど見せた“呼吸の融合”――
あれは、この世界に存在しない技です」
リュミエラも頷く。
「強さじゃありません。
“体系”です。
あなたの呼吸は、この世界で前例のない“戦闘理論”そのものなんです」
「戦闘……理論?」
「はい。
だからこそ……あなたには“価値”がある。
たとえ今のあなたが虚無獣を倒せなくても」
セリアが言葉を継ぐ。
「世界は、あなたの呼吸を必要とします」
その瞬間――
胸の奥の結晶が、ひときわ強く脈打った。
(俺は……まだ弱い。
でも、“呼吸”だけは、この世界に通じるのかもしれない)
そう思えた。
これは実力の証明じゃない。
可能性の証明だ。
その小さな奇跡が――
武闘祭への招待へと繋がっていく。
明日、序章ラストの第8話から第10話を投稿いたします。
第9話で主人公の異世界カバディが開眼します。
その後は、第1章 異世界武闘祭編となります。
お付き合い頂けましたら幸いです。
また、この作者のもう一つの連載中の作品
「異世界召喚されたので、『前借スキル』で速攻ラスボスを倒して楽をしようとしたら、理不尽にも“感情負債140億ルーメ”を背負うことになったんだが?」
https://ncode.syosetu.com/n1424ll/
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