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魔法使いが束になっても、俺の詠唱「カバディ」は止められない  作者: 早野 茂
序章 呼吸が通らない世界へ

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序章第6話 静かな森で、もう一つの息を覚える

森の奥は、驚くほど静かだった。

鳥の声も、風の音も、小さく、遠い。

代わりに聞こえるのは、自分の心臓の音と、呼吸だけ。

「ここなら、あなたの“雑音”がよく分かります」

セリアが立ち止まり、振り返った。

「雑音って言ったか?」

「はい。あなたの足音。心音。呼吸。全部うるさいです」

「容赦ねぇな……」

「事実ですから」

さらっと言い切ってから、セリアは地面に腰を下ろし、膝の上で両手を重ねた。

「座ってください。我波道」

「ああ」

言われるまま向かい合って座ると、彼女は目を閉じた。

「まず、“静の呼吸”の目的を説明します」

「頼む」

「あなたの“動の呼吸”は、マナを一気に圧縮し、爆発的に放出するもの。

 圧力鍋を加熱するようなやり方です」

「まぁ、そんな感じだな」

「静の呼吸は逆です。

 圧力鍋の中の蒸気を、ゆっくり、均等に、底へ沈めていく。

 沸騰を止め、熱を“芯”に集める呼吸です」

「……イメージは分かる」

「なら大丈夫。目を閉じて。背筋を伸ばして」

言われた通りに姿勢を整える。

「まず、今のあなたの呼吸を聞かせてください」

普通に吸って、吐く。

少しだけ痛みが残る肺が、わずかに軋む。

「……やっぱり、荒いですね」

「これでも大分マシになったんだが」

「“戦場の呼吸”としては優秀です。

 ですが、“静”には向きません」

 セリアの声が、風よりも静かに落ちてくる。

「これから教えるのは、“沈める呼吸”です。

胸で吸わず、お腹で吸う。

肺をいっぱいに膨らませるのではなく、

下腹で“重さ”を受け止めるように」

「……やってみる」

言われた通り、ゆっくり息を吸う。

胸ではなく、腹を意識する。

最初は、上手くいかない。

肺周囲が勝手に先に動いてしまう。

いわゆる胸呼吸というやつだ。

「慣れていない人は皆そうです。

 焦らないで。回数を重ねれば、体が覚えます」

 セリアの声に合わせて、何度も、何度も繰り返す。

 吸う。止める。沈める。吐く。

 さっきまで“胸に刺さる”だけだった空気が、

 少しずつ“下へ落ちて”いく感覚。

 胸の痛みは、ほんの少しだけ薄らいでいく。

(……あ、本当に、呼吸が楽になってきてる)

「そう、そのまま」

セリアは俺の呼吸に合わせて、極めて小さな声で言葉を重ねる。

「吐く息を細く。長く。

 “カバディ”という発声のように弾かず、

 糸を引くように解いていく」

「……ふぅ……」

「はい、今の、とても良いです」

褒められた、と思った瞬間、少しだけ嬉しくなる自分がいた。

「次は、息を止める練習です」

「もうやってるつもりなんだが……?」

「違います。あなたのは“止めてる”のではなく“詰まってる”だけ。

圧力鍋の蓋を無理矢理押さえつけている状態です」

「分かりやすいな」

「静の息止めは、“動かさない”のではなく“動きを小さくする”こと。

 心臓も、血流も、声も。

 全部を一度に止めるのではなく、

 波を浅く、静かにしていくイメージです」

やってみる。

息を吸い、

止める“フリ”をして、

実際には、ほんのわずかにだけ動かす。

完全に止めるのとは違う。

でも、確かに静かだ。

時間の感覚が、少しだけ伸びた。

「……おお」

「どうですか?」

「さっきみたいに、すぐ苦しくならねぇ」

「それが“静”です。

 あなたの圧力鍋の蓋を、

 少しだけ“緩めて”閉めるやり方」

「このまま気配を消せるようになれば――」

「そう。あなたはマナ波を出さない体質だから、

 静の呼吸が完成すれば、“本物の隠密”になれます」

セリアの声は淡々としているが、その奥に期待が滲んでいた。

「……道、よく聞きなさい。

この世界の生き物はね、息をするたびにマナを取り入れて、

肌からさえ微かに滲ませて生きているの。

だから、呼吸を止めたくらいでは、マナの気配は消えたりしない……

それが“こちら側の生命”の仕組み。

でも―――あなたは例外よ。

あなたの身体には、マナを溜めておく器官がひとつもない。

呼吸で息を吐く時だけ、空気中に含まれていたマナを一緒に吐き出す

ただそれだけ。

だから、息を止めればマナによる気配が消えてしまうの。

この世界で“完全な無”を作れるのは道、……あなた一人。

虚無獣でさえ、あなたを生命として認識できなくなるわ。

それは力じゃなくて、あなたという存在の在り方そのものなの。

忘れないで。

あなたは、この世界の理の外側を歩いている……

それを自覚して進みなさい」

「ああ、何となくわかった」

「それから、もう一つ感じませんか?」

「何をだ?」

「胸の奥……いえ、“その少し下”。

 おへその裏側あたりに、小さな……“粒”のようなもの」

言われて、意識を向ける。

たしかに、そこに。

冷たくて、固くて、

でも微かに熱い“点”のようなものがある。

「……あるな。なんだこれ」

「それが“マナ結晶”の芽です」

セリアは静かに告げた。

「あなたの体内に、マナが安全に留まる“芯”が生まれ始めている。

ここに蓄えれば、肺への負担が減る。

戦う時にも、呼吸を崩さずに済むようになります」

「ってことは……」

「はい。

 あなたの身体は、少しずつ“この世界仕様”になり始めています」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた気がした。

(俺は……この世界に、キャント立てるようになってきてるんだな)

異物でもいい。

異邦人でもいい。

それでも、この空気を吸って、ここで呼吸できるようになる。

それが、妙に嬉しかった。

「ただし」

 セリアは目を細めた。

「まだ“芽”です。

 これを無理に使おうとすれば、簡単に砕けてしまう」

「じゃあ、どうすりゃいい?」

「育てることです。

 静かに、ゆっくり。

 あなたの呼吸で包み込むように」

セリアは立ち上がり、手を差し出した。

「次は、歩きながらやりましょう。

 “足音の消し方”も教えます」

「また厳しいやつだな?」

「当然です。中途半端な静は、ただの無防備ですから」

俺はその手を取って立ち上がった。

呼吸は、さっきよりもずっと穏やかだった。

胸の痛みも、少しだけ遠い。

(まだ全然足りねぇけど……)

それでも、確かに進んでいる。

(動の呼吸と、静の呼吸。

 この二つを手に入れたら――俺は、もっと動ける)

森の中に、俺とセリアの、静かな足音だけが続いていった。


序章・第1章・第2章・第3章(各10話構成)までを毎日更新します。

12/18から、1/4までの間投稿予定です。

よろしくお願いします。


また、この作者のもう一つの連載中の作品

「異世界召喚されたので、『前借スキル』で速攻ラスボスを倒して楽をしようとしたら、理不尽にも“感情負債140億ルーメ”を背負うことになったんだが?」

https://ncode.syosetu.com/n1424ll/

もよろしければ、お読み頂けましたら幸いです。

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