第45話 逆さまの空と、星を創る者たち
「潮流の砦」での激戦を制した世界連合軍は、勢いそのままに北上を続けていた。
目指すは、虚無獣たちの発生源とされる海域――通称『虚無の海溝』。
だが、目的地に近づくにつれて、世界の色が変わっていった。
青かった空は紫色に濁り、海面は黒いインクのように粘度を増していく。
風が止まり、波の音さえ消えた、完全なる静寂の世界。
「……気持ち悪いな。遠近感がおかしくなりそうだ」
旗艦の甲板で、我波 道が眉をひそめる。
彼の隣には、警戒態勢をとるバルドとライラの姿があった。
二人は甲板の上でも、無意識のうちに互いの肩が触れる距離を保っている。
前回の戦闘で培われた「距離感」が、完全に染み付いている証拠だ。
「おい、道。羅針盤が狂っておるぞ。グルグル回って使い物にならん」
バルドが手元のコンパスを叩く。
「魔力探知もです。四方八方からノイズだらけ
……まるで、空間そのものが『割れている』ような」
ライラが弓を構え、油断なく周囲を警戒する。
その時、艦内放送が入った。
『総員、衝撃に備えて! 「境界」を越えるわよ!』
レア・エルフェリアの声だ。 その直後、世界が裏返った。
◆◆◆
ガクンッ!!
船が何かに衝突したわけではない。
突然、天地が逆転したのだ。
「うわぁぁぁッ!?」
「海が……空に!?」
兵士たちの悲鳴が上がる。
彼らの視界では、今まで下にあったはずの黒い海が「頭上」にあり、
空だと思っていた紫色の空間が「足元」に広がっていた。
重力のベクトルがランダムに書き換えられた異界
――『歪曲空間』への突入である。
「浮くぞ! 何かにつかまれ!」
道が叫ぶと同時に、巨大な戦艦ごと、全員の体が宙に放り出された。
足場がない。
上も下もない。
ただ、紫色の虚空に放り出された無重力状態。
「くそっ、これじゃあ踏ん張れねぇ! カバディができねぇぞ!」
炎の国の戦士が、空中で手足をバタつかせてもがく。
地面を踏みしめることでパワーを生む彼らにとって、足場のない空間は最悪の環境だ。
そこへ、この混乱を待ち構えていたかのように、虚空の裂け目から無数の影が湧き出した。
『キシャァァァァァ……!』
エイのような姿をした浮遊型虚無獣の群れだ。
奴らはこの重力異常に適応しており、
水中を泳ぐように自在に飛び回り、
体勢を崩した連合軍へ襲いかかる。
「的だ! 撃ち落とせ!」
エルフたちが弓を構えるが、無重力で体が回転してしまい、狙いが定まらない。
個々の能力は高くても、環境がそれを殺している。
連合軍は瞬く間に散り散りになり、パニック状態に陥った。
◆◆◆
「……嘆かわしいな」
混乱の極みにある戦場に、冷ややかな、しかし絶対的な重みを持つ声が響いた。
魔族の将、ノワール・ヴェイルだ。
彼は無重力の空間に、まるで玉座があるかのように「腰を下ろして」いた。
腕組みをし、足元には漆黒のマナを高密度で圧縮した
「見えざる靴」を展開している。
「重力がないなら、作ればいい。
……私が『芯』になる」
ノワールは誰とも手をつながない。
孤高のまま、その場で深く「空気椅子」の姿勢を維持する。 すると、彼の足元一点に凄まじい質量が発生し、周囲の空間を歪め始めた。
「魔族隊、展開! 我が重力の周回軌道に入れ!」
「「「イエス・マイ・ロード!!」」」
ノワールの号令で、魔族たちが動く。
彼らはノワールを中心にして、ある部隊は縦に、ある部隊は横に、きれいな円を描いて整列した。 そして全員が、前の人の肩に手を置き、腰を落とす。
――あの伝説の陣形だ。
「エンジン始動! 『魔導・無限軌道』クロス・バースト!!」
「「「ワッせ、ワッせ……! ワッせ、ワッせ……!」」」
無重力空間に、低く野太い掛け声が響き渡る。
縦のリングと横のリングが、垂直に交差しながら回転を始めた。
数百人の魔族たちが、真顔で、空気椅子で、肩に手を置き、
ワッせワッせとピストン運動を繰り返す。
そのシュールな光景とは裏腹に、発生するエネルギーは凶悪だった。
交差するリングの中心で、重力が幾何級数的に増幅され、
ノワールを核とした超質量の「ブラックホール」擬きが誕生したのだ。
「ぐおお……! なんちゅう重さじゃ!」
「吸い寄せられる……!」
「次は我らだ! 暴れる重力を制御せよ!」
その外側に、沙海拳宗の武闘家たちが取り付いた。
彼らはワッせワッせと回転する魔族の外側で円陣を組み、手をつなぐ。
流動的な「気」を操る彼らが緩衝材となることで、
魔族が生み出す強烈すぎる重力をマイルドに整え、全体に行き渡らせる。
「仕上げじゃ! 鋼鉄の殻となれ!」
さらにその外側を、ドワーフたちが覆い尽くす。
彼らは手と足を互いにガッチリと掴み合い、隙間ない「肉の壁」となって球体を作り上げた。
それはもはや陣形ではない。
直径数百メートルにも及ぶ、生きた「星」の誕生だ。
「……すげぇ。即席の宇宙船かよ」
道は、その巨大な球体の表面――ドワーフの壁の上に着地した。
重力が発生しているため、そこはもう「地面」だ。
「これなら戦える! 全員、配置につけ!」
道の指示で、エルフ、炎、氷の戦士たちが、ドワーフの背中を足場にして配置につく。
球体の表面に、360度均等に並ぶ砲台とスラスター。
「名付けて――『生存惑星』!
この星ごと、敵の懐へ殴り込みだ!」
「「「オオオオオオオオオッ!!!」」」
歓声と共に、球体が振動する。
中心からは相変わらず「ワッせ、ワッせ」という地獄の駆動音が響いてくるが、
今の彼らにとっては頼もしいエンジン音だ。
「道! 舵を取れ! 私の重力だけでは直進できん!」
中心核にいるノワールからのテレパシーが届く。
「任せろ! ……ドワーフ、繋げ!」
道が足元のドワーフの背中に手を当てる。
「圧導」のパスが通る。
道からドワーフへ、ドワーフから沙海へ、そして中心で揺れる魔族へ。
全種族の神経が、道の意思と直結する。
「炎隊、氷隊! 後方噴射!」
「了解! 『氷炎ロケット』点火!」
球体の後方に配置された炎と氷の戦士たちが、ドワーフを足掛かりにして爆炎と冷気を噴射する。 ドワーフの強靭な肉体だけが耐えられる、超高出力の推進力。
ズドォォォォォォォン!!
巨大な『生存惑星』が、無重力空間を爆走し始めた。
「前方、敵影多数! ……速いぞ!」
エイ型虚無獣たちが、惑星の接近に気づき、不規則な軌道で回避運動を始めた。
さすがの虚無獣、こちらの直線的な動きを読んでいる。
「エルフ隊、狙え! ……って、くそっ、散らばってて狙いが定まらねぇ!」
「慌てるな! 散らばってるなら、集めりゃいい!」
道がニヤリと笑い、新たな部隊へ指示を出した。
「獣人部隊! お前らの出番だ!自慢の『毛』を見せてやれ!」
「「「ガッテン承知ッ!!!」」」
ドワーフの隙間から、獣人たちが飛び出した。
彼らは二人一組になっている。
一人は足場を掴んで支える役。
そしてもう一人は――全身が長い体毛に覆われた『長毛族』だ。
「いくぞ相棒! 俺をブン回せぇッ!」
「おらよぉッ!!」
支え役の獣人が、長毛族の足首を掴み、ハンマー投げの要領で豪快に回転させる。
遠心力がかかるにつれ、長毛族の長い毛がバサァッ! と広がり、
硬質化して鋼のワイヤーのようになった。
「逃がすかよ! 肉体捕縛ォォォッ!!」
ギュンギュンギュンッ!!
回転する長毛族の毛が、四方八方へ網のように広がる。
それは道具ではない。彼らの体の一部だ。
だからこそ、中心核から供給される「圧導」が、毛の一本一本まで血管のように通っている。
『キシャァッ!?』
不規則に動いていたエイたちが、生きた毛の網に絡め取られる。
魔法ではない。
物理的な拘束と、毛から流し込まれる強烈な圧導ショックが、虚無獣の動きを止めた。
「へい一丁あがりッ! ……引き寄せろォッ!!」
長毛族たちが叫ぶと、支え役の獣人たちが一斉に彼らを引き戻す。
あちこちに散らばっていた数百体の虚無獣が、
毛に絡まったまま強制的に球体の前方一箇所へと引き寄せられ、団子状態になる。
それはまさに、巨大な惑星から伸びたイソギンチャクの触手が、
獲物を捕食口へ運んでいるかのようだ。
「ナイスキャッチだ!……エルフ隊、今だ! 遠慮なく撃ちまくれ!」
「了解! ……足裏から吸い上げろ!」
ドワーフの上に立つエルフたちが叫ぶ。
その足裏は、ドワーフの背中とガッチリ密着し、見えない根を張るように繋がっている。
中心核のノワールと魔族たちが「ワッせ、ワッせ」と生み出し、
沙海が整流し、ドワーフが貯蔵した莫大なマナエネルギー。
それが「圧導」の原理で、足裏から彼らの体内へ奔流となって注ぎ込まれているのだ。
「全員が手を繋いだ守備として、獲物を追い込んでるんだよ!
ガス欠なんてありえねぇ! 喰らえッ!!」
ヒュンヒュンヒュンッ!!
球体のあらゆる面から、
高周波の矢が、
灼熱の火炎が、
極寒の冷気が放たれる。
それは個人の技ではない。
『生存惑星』という巨大な生物が放つ、必殺の捕食だ。
獣人が己の毛で集め、エルフが撃ち、炎と氷が追撃する。
団子状態になっていたエイ型虚無獣は、断末魔を上げる暇もなく消し飛んだ。
「見えたぞ! あれが……!」
敵の包囲網を完全に突破した先。
紫色の霧を抜けたそこに浮かんでいたのは、巨大な黒い「繭」のような構造体。
そして、その表面には無数の虚無獣が張り付き、蠢いていた。
『虚無巣核』・外殻部。
世界の終わりを告げるその不吉な城門へ、最強の惑星が激突しようとしていた。
「総員、衝撃に備えろ!このままブチ破るぞ!ストラグル!!!」
道の絶叫と共に、『生存惑星』は最大戦速で突入した。
数百人の魔族が空気椅子で回転し、ドワーフが外殻となり、エルフが砲台となる。
巨大な球体陣形『生存惑星』、爆誕です。
獣人の「毛」まで使って、敵の巣へ特攻!
外殻を食い破り、ついに内部へ侵入成功。
全員がカッコよく着地を決めますが……。
重力を支え続けたノワールの足が、限界を迎えます。
次回、『幻影の迷宮と、震える膝』。
笑ってはいけません。彼は必死だったのです(プルプル)。




