第38話 崩れゆく砂時計と沈黙の地図
国境要塞での劇的な勝利から一夜が明けた。
要塞の一室では、レア・エルフェリアが充血した目で羊皮紙に向かい続けていた。
机の上には、修正液と書き込みで真っ黒になった『世界統一カバディ戦術教本(最終稿)』が置かれている。
昨日の実戦データ――ドワーフとエルフの連携における「精神的障壁」の数値や、
我波道の隠密サポートによる生存率の変動などを反映させ、マニュアルは極限まで洗練されていた。
「……できた。これで完璧よ」
レアが震える手で羽ペンを置く。
この一冊があれば、もう道が現場にいなくても、世界中の異種族たちが「自発的に」連携できるはずだ。
あとは、これを魔法通信で各国の司令部へ転送し、複写・配布させるだけ。
「お疲れさん。随分と根を詰めたな」
部屋の隅で仮眠を取っていた道が、身を起こしながら声をかける。
「ええ。一刻を争うもの。……嫌な予感がするのよ」
レアは窓の外、どんよりと曇った空を見上げた。
昨日の襲撃は撃退したが、空の「重さ」が変わっていない。
いや、むしろ増している気がする。
大気中のマナが怯えているような、奇妙な静けさ。
「通信室へ行きましょう。すぐにライラたちにも送らないと」
レアはマニュアルを抱え、道と共に部屋を出た。
◆◆◆
要塞の通信室は、普段なら各地からの定時連絡や、補給の要請で喧騒に包まれているはずだった。
だが、二人が足を踏み入れた時、そこには異様な「静寂」があった。
通信士たちが、蒼白な顔で魔導通信機にしがみついている。
ノイズ混じりの砂嵐の音だけが、シュァァァ……と響いている。
「……どうしたの? 雰囲気が暗いわよ」
レアが努めて明るく声をかけるが、誰も振り返らない。
一人の通信士が、震える手でヘッドセットを外し、レアの方を向いた。
「れ、レア様……。あの、その……」
「はっきり言いなさい。何が起きているの?」
「……繋がりません」
通信士が泣きそうな顔で言った。
「東方の沙海拳宗、南方の炎の国、北方の氷刃王国……。
今朝未明から、全ての主要拠点との通信が途絶えました」
「……は?」
レアが持っていたマニュアルを取り落としそうになる。
一つなら分かる。魔導障害や、局地的な襲撃かもしれない。
だが、三カ国同時?
しかも、そこにはチーム「風」の主戦力であるライラ、リィナ、バルドがいるのだ。
あの手練れたちがいて、連絡すらできない状況などあり得ない。
「通信障害の原因は!? マナ干渉? それとも物理的な破壊?」
「わ、分かりません! ただ、最後に残された通信記録には、どれも『黒い影』という言葉が……」
通信士が再生スイッチを押す。
ノイズの向こうから、断片的な悲鳴と報告が聞こえてくる。
『……だめだ、物理攻撃が通じねぇ!
拳が……奴らの体をすり抜ける!
足元の流砂も、黒い靄に覆われて機能しねぇ!』(沙海拳宗)
『……馬鹿な!
紅蓮の炎が効かない!?
マナ吸収じゃない……炎そのものが「消された」!?
奴らが触れた端から、熱エネルギーが無に還っていく!』(炎の国)
『……鏡面陣形、突破された!
盾で防げない!
奴らが……「影」となって盾の隙間から滲み込んでくる!
ぐあぁぁっ!』(氷刃王国)
プツン。
通信が途切れる音。
それは死の宣告のように冷たく響いた。
「……嘘、でしょう?」
レアが膝から崩れ落ちそうになるのを、道が支えた。
顔色が悪い。
想定外だ。
彼女のシミュレーションでは、
どんな大規模な襲撃でも、
圧導による物理エネルギー攻撃があれば対応できるはずだった。
だが、敵はその「物理攻撃」そのものを無効化している?
「……進化してやがる」 道が低い声で呟く。
「え?」
「マナが効かないから物理で殴る。
それが俺たちのカバディだった。
だが奴らは、物理エネルギーすら対消滅させる『虚無』の力を手に入れたんだ」
道は拳を握りしめた。
炎を無効化し、盾を透過し、衝撃をすり抜ける。
通信にあった「影」とは、奴らが虚無の力で自身の実体を希薄化させた状態のことだろう。
それは「圧導」に対する、完璧なカウンター(天敵)だ。
「そんな……。じゃあ、私が作ったこのマニュアルは……」
レアは床に落ちた『世界統一カバディ戦術教本』を見つめた。
そこにあるのは、昨日の時点での「最新」戦術だ。
だが、敵が物理無効の「影」となっているなら、この教本は配られた瞬間に「過去の遺物」となる。
配る前に、対策されたのだ。
「間に合わなかった……。私の計算が遅すぎたせいで……! みんなが……!」
レアの呼吸が荒くなる。
ライラは? リィナは? バルドは?
自分がもっと早く理論を完成させていれば。
絶望が、黒いインクのように彼女の思考を塗り潰していく。
その時。
通信機のメインモニターが、警告音と共に明滅した。
今までのノイズとは違う、強力な割り込み信号。
『……こえ、ますか……。
こちら……魔族領……ノワール・ヴェイル……』
「ノワール!?」
道が通信機に飛びつく。
ノワールは魔族領に残り、復興支援と「無限軌道」の指揮を執っていたはずだ。
『道か……。無事でよかった。……状況は把握しているか?』
「ああ。他国が全滅したかもしれねぇ。そっちはどうだ?」
『……ギリギリだ。「無限軌道」の重力結界でなんとか持ちこたえている。
重力だけは、実体のない影にも干渉できるようでな。
……だが、道。奴らの親玉が出たぞ』
ノワールの声には、普段の冷静さを欠いた焦りが滲んでいた。
『「人型」だ』
「……なんだと?」
『獣じゃない。二本足で立ち、言葉らしきものを話し、影を統率する指揮官級だ。
奴が……「カバディ」を使ってくる』
室内の空気が凍りついた。
虚無獣が、カバディを使う?
『いや、正確には我々の逆だ。
「反・カバディ」とでも言うべきか。
呼吸を止め、循環を断ち切り、万物を「虚無」へと還す技……。
奴が触れただけで、我々のチェーンが強制的に解除された』
「……マジかよ」
道は戦慄した。
物理無効の体と、連携を断ち切る技。
それはカバディプレイヤーにとって、最も戦いたくない相手だ。
『奴らは我々の戦術を学習し、模倣し、最適化している。
……道。奴らの狙いは「中心」だ』
「中心?」
『世界地図を見ろ。各国の襲撃地点を結ぶと……奴らの進軍ルートは一点に収束する』
レアが弾かれたように壁の世界地図へ駆け寄った。
沙海、炎、氷刃、そして魔族領。
同時多発的に発生した襲撃ポイントから、赤い線を引く。
その線が交わる場所。
大陸の中央。全ての種族の交差点。
「……女神国。王都……!」
レアが青ざめる。
そこは彼女の故郷であり、人類の拠点であり、この世界の心臓部だ。
世界中を蹂躙した指揮官たちが、そこに集結しようとしている。
もし奴らが一つになったら、一体何が生まれるのか。想像するだけで身震いがした。
『奴らは本気でこの星を喰らい尽くす気だ。
カバディという抵抗手段を覚えた我々を、最大の脅威と認識してな。
……通信が切れる。道、レア姫。
生き残れ。そして――』
ザザッ……プツン。
ノワールからの通信も、そこで途絶えた。
後に残されたのは、完全なる沈黙と、地図上で王都を指し示す赤い線の不吉な交差だけ。
「……どうすればいいの」
レアの声が震える。
マニュアルは無意味化した。
仲間たちの生死も不明。
そして敵は自分たちの技術をメタった上で、王都へ迫っている。
あまりにも絶望的な状況。
「……レア」
道が静かに、床に落ちていたマニュアルを拾い上げた。
そして、レアの手を取って、それを強く握らせた。
「捨てんじゃねぇよ」
「え……? でも、もう対策されて……」
「対策されたなら、その上を行けばいい。
影になって透けるなら、影ごと掴めるようになればいい。
それが『生存競争』だろ」
道の瞳には、絶望の欠片もなかった。
あるのは、強大な敵を前にした獰猛な狩人の光。
「ライラたちが簡単にくたばるタマかよ。あいつらは俺が鍛えたんだぞ?
通信が切れたくらいで死んだと思ってんじゃねぇ。
今は潜伏して、反撃の機会を待ってるに決まってる」
「……道」
「王都へ行くぞ。
奴らがそこに集まるなら好都合だ。
俺たちがそこで『最高のステージ』を用意して、世界中の生き残りに合図を送るんだ。
『ここに集まれ』ってな」
道はニヤリと笑い、レアの背中をバシンと叩いた。
「配る手間が省けたじゃねぇか。
マニュアルは現地渡しだ。
世界合同作戦の会場は、女神国。
……カバディの聖地で、最終決戦と行こうぜ」
レアは叩かれた背中の痛みにハッとして、涙を拭った。
そうだ。止まっている暇はない。
自分の書いた設計図は、まだ終わっていない。
最後のページには、勝利の文字を書き込まなければならないのだから。
「……ええ。行きましょう、キャプテン。
世界を救うための、最後の笛を鳴らしに!」
二人は走り出した。
崩れゆく世界の中で、唯一残された希望の灯火を掲げて。
この瞬間は、絶望ではなく、世界最大にして最後の戦いへの宣戦布告となった。
マニュアルは無効化され、仲間との連絡も途絶。
絶望的な状況下で、敵の狙いが「王都」一点にあることが判明します。
「対策されたなら、その上を行けばいい」 道の言葉を胸に、二人は決戦の地へ走ります。
次回、王都防衛戦、開戦。 王都を埋め尽くす「影」の軍勢。
終わったかに見えたその時、空から、森から、大地から、頼もしい「轟音」が響きます!
次回、『集結する星の鼓動』。
お待たせしました。全員集合の時間です!




