第37話 国境の不協和音(ディスコード)
「風」の馬車は、エルフの森とドワーフの山岳地帯が接する国境地帯
――要塞都市に到着した。
ここは、レアが考案した「異種族合同戦術」を試験的に運用する、世界初の実験場である。
「おお! 待っておったぞ、道! レア姫!」
出迎えたのは、この要塞に駐留しているドワーフの守備隊長ガンテツと、
エルフの弓兵部隊長フィリアだった。
二人はそれぞれの種族を代表する指揮官だが、その表情には奇妙な「自信」が漲っていた。
「道殿、心配には及びませんぞ。我らドワーフは『焦熱溶鉱炉』により、
遠距離攻撃すら手に入れましたからな!」
「私たちエルフもです。
『高周波キャント』があれば、
苦手だった接近戦も敵が近づく前に殲滅できます」
我波 道は、その言葉に微かな違和感を覚えた。
彼らは「強くなった」のではない。
「勘違い」をしている気がする。
その予感は、すぐに最悪の形で的中することになる。
◆◆◆
ウウウウウウウウウッ!!
要塞に敵襲を告げるサイレンが鳴り響く。
「虚無獣だ!
二方向から接近!
上空より『飛行型(ガーゴイル種)』多数!
地上より『突撃型(オーガ種)』多数!」
最悪の組み合わせだった。
空を飛び回るガーゴイルと、強靭な肉体で突っ込んでくるオーガ。
本来なら、ドワーフが前でオーガを止め、エルフが後ろからガーゴイルを落とすべき場面だ。
だが、彼らは「新しい力」に酔っていた。
「エルフ隊、構え! 接近するオーガなど、我らの『高周波』で脳を揺らして終わりです!」
「ドワーフ隊、前へ! 空のコウモリごとき、我らの『エネルギー弾』で撃ち落としてくれるわ!」
あろうことか、彼らは相性の悪い敵に向かってしまった。
自分たちはもう、かつての弱点だらけの種族ではないと証明するために。
「放てェッ!!」
両軍が同時に、必殺の圧導技を繰り出す。 しかし、結果は無残だった。
キィィン……!
エルフの高周波は、オーガの分厚い脂肪と筋肉に吸収され、突進を止められない。
ドワーフのエネルギー弾は、空を舞うガーゴイルに軽々と躱され、逆に防御力がゼロになった隙を突かれて空襲を受ける。
「な、効かない!? 嘘でしょう!?」
「ぐあああッ!? 盾が……力が入らん……!」
エルフはパニックに陥り、ドワーフは鎧を溶かされて悲鳴を上げる。
戦場は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図となり、崩壊の一途を辿った。
「道! 助けないと! このままじゃ全滅するわ!」
レア・エルフェリアが叫び、戦場へ駆け出そうとする。
だが、その肩を強い力が掴んだ。
「待て、レア」
「放して! 見殺しにする気!?」
「違う」
道はレアの耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。
「今、俺たちが正面から介入したら、あいつらは一生『圧導』の本質を理解できねぇ。
……自分の愚かさを噛み締める時間が必要だ」
「でも、死んでしまったら元も子もないわ!」
「死なせはしねぇよ」
フッ。
道の気配が消えた。
レアが瞬きをした次の瞬間、隣にいたはずの道の姿は掻き消えていた。
カバディレイダーの奥義――呼吸を完全に制御することによる、究極の隠密行動。
◆◆◆
戦場では、絶望的な殺戮劇が続いていた……はずだった。
「ひぃッ!?」
一人のエルフの少女が転倒し、目前にオーガの巨大な棍棒が振り下ろされる。
誰もが「死んだ」と思った。
だが。
ガィン!!
不可解な金属音が響き、棍棒の軌道がわずかに逸れた。
棍棒は少女の髪を数本散らしただけで、地面に激突する。
「え……?」
少女は震えながら、自分が生きていることに驚愕した。
一方、ドワーフ側でも奇妙な現象が起きていた。
ガーゴイルの鋭利な爪が、無防備なドワーフの喉元を切り裂こうとした瞬間。
バシッ!!
見えない何かに爪が弾かれ、ドワーフはかすり傷一つで済んだ。
(……なんだ? 今、誰かに襟首を引っ張られたような……)
戦場全体で、そんな「奇跡」が頻発していた。
致命傷になるはずの一撃が、紙一重で逸れる。
死ぬはずの落下が、何かにクッションされて助かる。
その全ては、戦場を疾風のように駆け抜ける「見えざる影」の仕業だった。
道は呼吸を消し、気配を断ち、超高速で戦場を移動していた。
決して敵を倒しはしない。
ただ、戦士たちの死に直結する攻撃だけを、
指先一つ、
足払い一つで微修正し、
軌道を変えているのだ。
(くそっ、世話の焼ける連中だ……!)
この神業を可能にしているのは、師・セリアから授かった『静の呼吸』、そして道の特異体質だった。
こちらの世界の生物は、体内にマナを取り込んでいるため、生きているだけで体からマナが滲み出てしまう。
このマナの放散が、気配探知の目印となってしまうのだ。
隠密の達人であるセリアは、『静の呼吸』によってマナの流動を極限まで減らし、
滲みを最小限に抑えることで気配を消していた。
さらに、体表面に光学迷彩のマナ膜を展開することで、視覚的にも姿を欺く。
マナ膜は安定した状態なので、滲み出てしまうマナとは違い、マナとしては感知されない。
だが、道はさらにその上を行く。
この世界で唯一の『マナ不導体』である道は、呼吸を止めるだけで、
外部へのマナの滲出を物理的に完全に遮断できるのだ。
これで気配は消える。
問題は視覚的な隠蔽だが、それも解決済みだった。
道の体内で育っている「マナ結晶」。
現在、拳大にまで成長しているその高密度のマナの塊から、
カバディの技術である『圧導』の要領でマナを引き出し、体表面へと伝える。
そうして展開された高密度のマナ膜は、完璧な光学迷彩となる。
セリアが体内に薄く蓄えられたマナを高度な技術でやり繰りし、短時間しか姿を消せないのに対し、
道は言わば「大容量バッテリー」を直結しているようなものだ。
一箇所に蓄えられた結晶からエネルギーを取り出すため、持続時間は桁違い。
マナ不導体による完全遮断と、マナ結晶による無尽蔵の光学迷彩。
この二つが組み合わさることで、道はこの世界最強の隠密と化していた。
活動のための必要最低限の呼吸を行い、風のように走り抜けながら、内心で毒づく。
彼の目的は「死なせないこと」であり「勝たせること」ではない。
痛い思いはさせる。恐怖も味わわせる。だが、命だけは繋ぎ止める。
それは神業に近い、超人的な隠密防御だった。
「隊長! 負傷者多数! ですが……不思議と死者はゼロです!」 「なんだと!? この乱戦でか!?」
ガンテツとフィリアは、報告を聞いて耳を疑った。 だが、現状が「運良く」首の皮一枚で繋がっていることに変わりはない。 そして、その幸運も長くは続かないことを、彼らは本能で悟った。
(今は運が良いだけだ……次は死ぬ!)
(何か……何か変えないと、全滅する……!)
極限の恐怖と、道の隠密サポートによって生まれた「猶予」が、彼らの思考を正常化させた。
プライドなどという無駄な荷物を捨てさせた。
オーガの棍棒がフィリアに迫る。
ガーゴイルの爪がガンテツを狙う。
道のサポートの手が届かない、同時多発的な死の瞬間。
「…………ッ!!」
二人の体が勝手に動いた。
ガンテツは空の敵を無視してエルフの前へ飛び出し、フィリアは地上の敵を無視してドワーフの背後を狙った。
ドガァァァン!!
ガンテツが体を張ってオーガを弾き飛ばす。
キィィィィン!!
フィリアの放った高周波の刃が、ガンテツを狙っていたガーゴイルを撃ち落とす。
カチリ。
パズルのピースがハマった音がした。
「ドワーフ隊!
全員、エルフの前へ出ろ!
攻撃などするな、
エネルギーは全て『防御』に回せ!
一歩も通すな!」
「エルフ隊!
ドワーフの背後へ!
矢を捨てなさい!
私たちの声で、空の敵を全て撃ち落とすの!」
戦場が動く。
正しい配置に戻った彼らは、もはや無敵だった。
ドワーフの鉄壁がオーガを止め、エルフの狙撃がガーゴイルを落とす。
一方的な殲滅戦が始まり、道のサポートなど必要ないほどの完璧な連携が完成した。
◆◆◆
戦闘終了後。
要塞には、勝利の歓声ではなく、
安堵の溜息と、
互いを称え合う静かな声が響いていた。
「……ふぅ」
戦場の喧騒から離れた丘の上。
レアの隣に、いつの間にか道が戻っていた。
その呼吸は乱れておらず、服に汚れ一つない。だが、その額には玉のような汗が浮かんでいた。
「……お疲れ様、道。全員無事よ」
「ああ。肝が冷えたぜ。……だが、気づいたみたいだな」
道が見下ろす先では、ガンテツとフィリアが握手を交わしていた。
互いに命を救い合い、自分たちの過ちを認め合った、真の連携の握手だ。
「……我らの、奢りでした。ドワーフの盾がなければ、私は死んでいました」
「いや……ワシらこそ。エルフの援護がなけりゃ全滅だったわい。……すまんかったな」
その光景を見て、道はニヤリと笑った。
「どっちが優れているかなんて関係ねぇ。
お互いの穴を埋め合うために、その力を使う。
……ようやくスタートラインだな」
「ええ。あなたの『見えざる手』のおかげね」
レアがハンカチを出し、道の額の汗を拭う。
兵士たちは誰も知らない。
自分たちが生きているのは、運が良かったからでも、奇跡が起きたからでもない。
この無愛想な英雄が、誰にも知られず戦場を駆け回り、死神の鎌を弾き続けていたからだということを。
「行くぞ、レア。
俺の役目は終わりだ。
あとは『監督』の出番だろ」
「ふふ、そうね。
たっぷり説教して、そして褒めてあげるわ」
夕焼けに染まる要塞。
その影には、世界を救うために泥を被り、決して名乗らない「最強の守護者」の姿があった。
国境で生まれたこの絆は、やがて来る本当の絶望に対抗する、唯一の希望となるだろう。
慢心から全滅しかけた部隊を救ったのは、決して姿を見せない道の「隠密防御」でした。
見えざる手に守られ、ようやく「互いの穴を埋め合う」ことの重要性に気づいた戦士たち。
これで準備は整いました。
しかし、敵も待ってはくれません。
世界同時多発の通信途絶。
そして現れたのは、「物理無効」に進化した新種の虚無獣でした。
次回、『崩れゆく砂時計と沈黙の地図』。
カバディの天敵、「触れない敵」が現れます。




