第26話 音速のレイダー、覚醒
死の衝撃波がリィナを飲み込む寸前、彼女の視界は漆黒に塗り潰された。
重力感覚が消失し、冷たい水の中を潜るような浮遊感が一瞬だけ走る。
「……え?」
次の瞬間、彼女は数百メートル離れた岩場の影から「吐き出されて」いた。
ドサッ、と地面に尻餅をつく。
「まったく。世話の焼ける猫だ」
見上げれば、いつもの黒いロングコートを纏った男――ノワールが、腕を組んで冷ややかに見下ろしていた。
彼だけはスーツを着ていない。
だが、その足元の影は異様に濃く、まるで沸騰したタールのように泡立っている。
「ノワール……? 助けてくれたの……?」
「勘違いするな。貴重な戦力を無駄死にさせるのは、私の作戦美学に反するだけだ」
ノワールは視線を前方へ戻した。
そこでは、大型虚無獣が獲物を見失い、苛立ち紛れに周囲の岩盤を粉砕している。
「だが、一度しか助けんぞ。
貴様のその速さは武器だが、制御できなければただの暴走列車だ。
……次は、あの瓦礫の山に混ざることになる」
「うぅ……」
リィナは唇を噛んだ。
分かっている。
スーツの圧縮率は凄まじい。
力が溢れて止まらない。
だから「カバディ」と叫んで排出し続けた。
そうすれば速くなれた。
けれど、速くなればなるほど、景色は流れる線になり、曲がることができなくなった。
ただ突っ込むだけなら、誰にでもできる。
「リィナ!! 無事か!!」
道が駆け寄ってくる。
リィナは小さくなって震えた。
「ごめん、道……。
あたし、失敗しちゃった。
速すぎて……止まれなかった。
怖かった……」
スーツの中で暴れるマナが、恐怖心と連動して脈打ち、彼女の身体を内側から痛めつける。
もう、カバディを唱えるのも怖い。
また制御を失って、今度こそ死ぬかもしれない。
だが、道はリィナの手を強く握った。
怒ってはいなかった。
その目は、静かに燃えていた。
「怖くて当たり前だ。
お前は今、音の壁を超えてるんだからな」
「……でも、制御できないもん。
あたし、もう脱いだほうが……」
「脱ぐな。
お前の才能は、そんなもんじゃない」
道は、暴れる虚無獣を指差した。
「いいか、リィナ。お前は勘違いしてる。
カバディって言葉は、アクセルだけじゃない。
『ハンドル』であり『ブレーキ』なんだよ」
「ハンドル……?」
「ああ。さっきのお前は、ただ叫んでマナを垂れ流してただけだ。
だから直進しかできなかった。
違うんだ。
カバディのリズムを刻め。
『カ・バ・ディ』の一音一音に合わせて、地面を蹴り、重心を移動させ、マナの噴射方向を変えるんだ」
道は、自分の胸をトントンと叩いた。
「連続で唱えるのはいい。
でも、ただ早口になればいいってもんじゃない。
心臓のビートみたいに、正確なリズムを刻み続けろ。
そのリズムが、お前の足を地面に食いつかせるグリップになる」
リィナは、自分の胸に手を当てた。
ドクン、ドクンと早鐘を打つ心臓。
スーツの中で渦巻く膨大なエネルギー。
それを、ただ放出するのではなく――刻む(コントロールする)。
「……リズム」
「そうだ。お前は獣人だろ?
野生の動物は、獲物を追う時、ただ直進なんてしない。
呼吸に合わせて森を縫い、崖を飛び、獲物の喉笛に食らいつくはずだ。
思い出せ。お前の呼吸を」
リィナは目を閉じた。
幼い頃、森を駆け回った感覚。
風の音。
草の匂い。
自分の足音。
それらが一つの音楽のように重なった時、彼女は誰よりも自由だった。
(そっか……。あたし、ただ焦ってただけなんだ)
リィナはゆっくりと目を開けた。
その瞳孔が、猫のように細く鋭く収縮する。
「……うん。分かった」
彼女は立ち上がった。
大型虚無獣が、こちらに気づいて咆哮を上げる。
ドス黒い衝撃波の構え。
さっきリィナを吹き飛ばしたあの一撃が、再び来る。
「行けるか?」
「うん。
見てて、道。
あたしの……本当の走り」
リィナは腰を落とした。
深く吸い込み、腹に圧を溜める。
今度は、恐怖はない。
あるのは、獲物を狩るための冷徹な興奮だけ。
「カバディ……カバディ……」
始まりは、静かなエンジン音のように。
次第に回転数を上げていく。
「カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……」
リズムが生まれる。
マナの放出が、デタラメな噴射から、脈動する波へと変わる。
「グルァァァァッ!!」
虚無獣が衝撃波を放った。
扇状に広がる破壊の風が、全てを薙ぎ払いに来る。
その瞬間。
リィナの姿が消えた。
「――ッ!!」
ドォンッ!!
衝撃波が直撃したはずの場所に、彼女はいなかった。
彼女は衝撃波の「隙間」――風の薄い場所を、ジグザグに駆け抜けていたのだ。
「カバディカバディカバディカバディッ!!」
ただの連呼じゃない。
『カ』で蹴り出し、
『バ』で加速し、
そして――
『ディッ』の破裂音で、
地面を強く踏み締めて制動をかける!
「音」と「足」が完全にリンクする。
強制的なストップ&ゴーの繰り返しが、本来なら曲がれない速度域での鋭角ターンを可能にしていた。
直進ではない。 稲妻のような乱数軌道。
「なっ……速ぇ……!!
いや、速いだけじゃねぇ……
“曲がって”やがる!!」
バルドが目を見張る。
リィナは音速の領域にいながら、直角ターンを繰り返し、虚無獣の周囲を螺旋状に肉薄していた。
彼女が通った後には、金色のマナの残光が光の道となって残っている。
「捉えられないわ……!
あの子自身が、カマイタチそのものになってる!」
ライラも矢を構えるのを忘れて見入っていた。
虚無獣は混乱していた。
前後左右、上下。
あらゆる方向から「カバディ」という音が響き、そのたびに身体を切り刻まれる。
爪を振るっても空を切るだけ。衝撃波を撃っても避けられる。
「あはっ!
見える!
全部止まって見えるよ!!」
リィナは笑っていた。
スーツの圧力は心地よい推進力に変わり、カバディの連呼は彼女の心臓の鼓動と完全にシンクロしていた。
これなら行ける。
誰よりも深く。
誰よりも速く。
敵の懐へ。
「ここだぁぁぁッ!!」
リィナは虚無獣の背後から急上昇し、その巨体を取り巻くマナ障壁の、ほんの一瞬の綻びを見抜いた。
彼女は空中で身体を捻り、全身を一本のドリルのように回転させる。
体内のマナを循環させ、遠心力と速度を一点に乗せる。
「《獣人流・循環圧導》・旋風ッ!!!」
ズドォォォォォォンッ!!!!
金色の竜巻が、虚無獣の背中を貫いた。
硬質化した皮膚も、分厚い筋肉も関係ない。
音速を超えた質量弾が、防御ごと中身を抉り取ったのだ。
虚無獣の巨体が大きくのけぞり、その胸部に風穴を開けたまま、ゆっくりと崩れ落ちていく。
ドサァァァァッ……。
黒い霧となって消滅していく怪物の向こう側。
リィナが、片膝をついて着地していた。
スーツからシュウウウ……と蒸気のような余剰マナが噴き出している。
「……ふぅ。 タッチ、成功!」
彼女は振り返り、Vサインを作った。
その顔は汗だくだが、晴れやかだった。
「……へっ。やりやがったな、あの暴走娘」
バルドがハンマーを担ぎ直して笑う。
道も、安堵の息を吐き出した。 これで証明された。
スーツとカバディ呼吸は、使い方次第で「個人の限界」を突破させる。
リィナはもう、ただの速い獣人じゃない。
戦場を支配する、最強のレイダーだ。
ノワールは、消えゆく虚無獣を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「……少しはマシな動きになったようだな。
だが、あの一撃……マナの消費効率が悪すぎる。
美しくない」
憎まれ口を叩きながらも、彼は密かに認めていた。
あの速度と軌道変化は、自分の影魔法でも捕らえるのは骨が折れる、と。
「よし! 残りの雑魚を掃討するぞ!
リィナに負けてられねぇ!」
道の号令で、チーム《風》が再び動き出す。
大型種を倒したことで、戦場の流れは完全に変わった。
だが。
勝利に湧く彼らはまだ気づいていなかった。
崩れ落ちた大型虚無獣の足元、そのさらに地下深くから……
もっと強大で、もっと異質な「親玉」の鼓動が響き始めていることに。
「『カ』で蹴り出し、『バ』で加速し、『ディ』でグリップをかける」
リズムを刻むことで、音速領域での直角ターンを習得したリィナ。
大型虚無獣を風穴だらけにして完全勝利です!
これで勝負あった……と思いきや、地面の下から「親玉」が登場。
城塞を纏った超大型巨人。
スーツの限界を迎えた仲間たちを前に、ついにあの男が動きます。
「見せてやる。道具に頼らない“器”というやつを」
次回、『孤高の解答』。
ノワール流・絶対防御姿勢。
……それ、どう見ても「あれ」ですよね?




