第24話 魔族領消滅の報
女神国が所有する高速飛空艇が、分厚い雲を切り裂いて飛行していた。
目指すは北方、魔族領。
普段なら静寂を好む魔族たちの空域だが、今は眼下の雲の隙間から、不吉な赤黒い光が漏れ出しているのが見えた。
船内の兵員輸送区画には、重苦しい空気が充満していた。
だが、その沈黙を埋めるように、低く、奇妙な“音”が響いている。
「……カバディ……カバディ……」
「カバディ……カバディ……カバディ……」
「カバディカバディカバディ……」
それは、チーム《風》のメンバーたちが刻む、戦闘用呼吸の予行演習だった。
リュミエラ特製の「封魔カバディウェア」に身を包んだ彼らは、移動中のわずかな時間さえも惜しんで、マナ圧縮の訓練を続けているのだ。
このスーツは、着用しただけでは何も起きない。
だが、意識して体内でマナを練り上げれば、逃げ場を失ったエネルギーは行き場を求めて暴れだす。
実戦で瞬時にトップギアへ入れるためには、今のうちに少しでもこの感覚――体内でエネルギーを循環させ、言葉で制御する感覚――を肉体に叩き込んでおく必要があった。
ドワーフのバルドは、腕組みをして目を閉じ、重低音で唱えている。
その全身は岩のように硬化し、座席がミシミシと悲鳴を上げている。
エルフのライラは、自身の弓を抱きながら、細く鋭い声で唱える。
指先からは放電のようなマナの火花が散っては消える。
獣人のリィナに至っては、貧乏ゆすりのような高速振動と共に早口で唱え続けていた。彼女の周囲だけ空気が熱で揺らいでいる。
「……傍から見たら、怪しい宗教団体だな」
道は苦笑しながら、彼らの様子を見守っていた。
だが、その目は真剣だ。
彼らは今、自身のマナを限界まで圧縮した「臨戦状態」を維持し続けている。
これまでの戦いとは次元が違うエネルギー量だ。
「……笑えない冗談だ」
窓際で一人、外を睨みつけている男がいた。
ノワールだ。
彼だけはスーツを着ていない。
いつもの黒いロングコート姿だが、その足元からはどす黒い影が滲み出し、床を侵食していた。
「第2都市は、魔族領でも有数の人口を誇る。
私の……古い友人も多く住む街だ」
ノワールの声には、隠しきれない焦燥が混じっていた。
魔族は個を重んじる種族だが、それは決して冷淡という意味ではない。
同胞への誇りは誰よりも高い。
「大丈夫だ。報告じゃ『消失反応』って言ってたろ?
通信が途絶えただけかもしれない」
道が声をかけると、ノワールは首を横に振った。
「貴様は虚無獣の食欲を知らん。
奴らはマナを食う。そして魔族は、身体そのものが高濃度のマナで構成されているようなものだ。 奴らにとって、我々の都市は……極上の餌場に他ならん」
ギリッ、とノワールの拳が握りしめられる。
「急げ……!
これ以上、私の庭を荒らさせるな……!」
その時、操縦席から通信が入った。
『まもなく現地上空!
雲を抜けます!
総員、衝撃に備え――なっ!?』
操縦士の言葉が、驚愕の悲鳴に変わった。
『おい、計器が狂ってるのか!?
高度計とソナーが……地面を感知しない!?』
「どういうことだ!?」
道が駆け寄って窓の外を見る。
雲が晴れた。
そこに広がっていた光景に、全員が言葉を失った。
「…………は?」
街が、なかった。
破壊されたのではない。
瓦礫の山があるわけでも、火災が起きているわけでもない。
そこにあったはずの巨大な城塞都市が、土台となる大地ごと、綺麗さっぱりと“抉り取られて”いたのだ。
直径数キロメートルに及ぶ、巨大なクレーター。
いや、クレーターですらない。
底が見えないほどの深淵が、口を開けているだけだった。
「嘘……でしょ……?」
ライラが口元を押さえる。
「街が……丸ごと……食われたってのか……?」
バルドが絶句し、カバディの詠唱が止まる。
途端にスーツの内圧が上がり、彼は慌てて「カバ……ディッ!」と息を吐き直した。
ノワールは、窓ガラスにへばりつくようにして下界を見下ろしていた。
その顔から、表情が消えている。
「……何もない」
彼の呟きが、静かな船内に響いた。
「城壁も、塔も、市場も……人々の気配も。
塵一つ残さず……“無”にされたというのか……」
怒りよりも先に、理解を超えた絶望が襲う。
これが「虚無」の正体。
破壊ではなく、存在そのものの抹消。
『前方、熱源多数!!
クレーターの縁に反応あり!!』
操縦士が叫ぶ。
深淵の縁、かろうじて残った大地の上に、黒い染みのような群れが蠢いていた。
虚無獣だ。
それも、今まで見たことのないサイズと数の群れ。
彼らの体表は、食べたばかりのマナでてらてらと黒光りし、不気味に脈動している。
「あいつら……満腹で休んでやがるのか」
道が低い声で言った。
都市一つを平らげて、消化を待っている捕食者の群れ。
その光景に、恐怖よりも激しい感情が湧き上がってくる。
ガタガタと、船体が揺れた。
ノワールの魔力が暴走しかけているのだ。
彼の影が船内を埋め尽くさんと膨れ上がる。
「……殺す」
ノワールが、血を吐くように絞り出した。
「一匹たりとも残さん。
我が同胞を糧にしたその汚い腹を……切り裂いて中身をぶちまけてやる!!」
彼はハッチへ向かおうとした。
だが、道がその肩を掴んだ。
「放せッ!!」
「一人で行くな!!」
道は、ノワールの殺気立った瞳を真っ向から見据えた。
「気持ちは分かる。
俺だってらわたが煮えくり返りそうだ。
だが、あいつらは進化した。
都市一つを食ったエネルギーを持ってる奴らだぞ。
お前一人で突っ込んで、もしお前まで食われたら……
誰がこの街の仇を討つんだよ」
「……ッ!!」
「俺たちを見ろ。
今の俺たちには、お前と同じくらい“腹に溜め込んだ”もんがある」
道が指差した先。
そこには、震えながらも立ち上がる仲間たちの姿があった。
「カバディ……カバディ……ッ!!」
バルドがハンマーを握りしめる。
「カバディ……カバディ……!」
ライラが矢をつがえる。
「カバディカバディカバディ……ッ!!」
リィナが爪を立て、唸り声を上げる。
彼らの詠唱は、恐怖を消すための祈りから、敵を粉砕するための“アイドリング音”へと変わっていた。
スーツの中で圧縮されたマナが、今にも弾け飛びそうなほどの殺意となって渦巻いている。
「俺たちはチーム《風》だ。
お前の怒りも、悲しみも、全部共有する。
……全員で叩き潰すぞ」
ノワールは、道の目を見て、次に仲間たちの姿を見て、深く、長く、息を吐き出した。
暴走しかけていた影が、彼の足元にスッと収束していく。
だが、その濃度は以前よりも遥かに濃く、鋭くなっていた。
「……指図は受けん。
だが……足手まといにはなるなよ」
それが、彼なりの承諾だった。
「よし。
降下準備!!
目標、クレーター縁の虚無獣群!!」
ハッチが開く。
高度数千メートル。
吹きすさぶ風。
眼下には、都市を食い尽くした絶望の化身たち。
道は、深く息を吸い込んだ。
肺に圧を込める。
「行くぞッ!!」
「「「カバディッ!!!!」」」
三人の咆哮と、ノワールの無言の殺意と共に、 四つの影が空へ飛び出した。
未完成のスーツ。
急造の連携。
だが、その心には「絶対に許さない」という共通の火が灯っていた。
魔族領消滅の報。
それは終わりではなく、世界規模の反撃が始まる狼煙となった。
都市がまるごと一つ、食われて消滅していました。
「虚無」の本当の恐ろしさを目の当たりにし、激昂するノワール。
彼を止めたのは、仲間の熱い「詠唱」でした。
さあ、反撃開始です。
都市を食って進化した化け物の群れに、上空数千メートルからのダイビング!
次回、『それぞれの流儀』。
スーツを着た彼らの「圧」は、もう以前とは別次元です。




