第22話 なれなかった弟子と、森の再会
エルフの森は、静寂そのものが「守り神」として機能している場所だ。
樹齢数千年を数える巨木たちが天蓋のように枝葉を広げ、地上に届く陽光を柔らかな翡翠色に変える。風は葉を揺らさず、ただ撫でるように通り抜け、鳥のさえずりさえも遠慮がちに響く。
その静謐な聖域を、暴力的な風切り音が切り裂いた。
ヒュオォォォンッ――!!
放たれた矢が空気をねじ切り、螺旋状の風を纏って標的の岩を粉砕する。
飛び散る石礫。
舞い上がる土煙。
静かな森の中で、そこだけが嵐のように荒れ狂っていた。
「……くっ、まだブレる……!」
弓を下ろし、荒い息を吐くのはエルフの少女、ライラだ。
額から流れる汗が、銀色の短い髪を濡らしている。
彼女は苛立ちを隠そうともせず、地面を強く踏みしめた。
(あの人間……ドウの呼吸は、もっと芯が太かった)
脳裏に蘇るのは、先日共闘した異世界人の姿だ。
マナを持たないくせに、誰よりも戦場の空気を読み、仲間を繋いだ男。
そして何より――自分が憧れてやまない師匠、セリアに認められた男。
「なんで……あいつなのよ」
ライラは唇を噛んだ。
彼女はこの森で誰よりも弓の才能があった。
風のマナを操るセンスも、動体視力も、同年代のエルフを遥かに凌駕していた。
けれど、セリアは弟子にしてくれなかった。
『あなたの呼吸は、森を騒がせます』
たった一言。
それだけの理由で、門前払いを食らい続けてきた。
静寂を愛するエルフにとって、ライラの激情は「雑音」でしかなかったのだ。
「私は……強くなりたいだけなのに……!」
悔しさを込めて、再び弓を引き絞る。
マナを込め、風を巻く。
その殺気が頂点に達した、その時だった。
「――やはり、あなたの呼吸はうるさいですね」
風に乗るような、涼やかな声。
ライラは心臓が跳ね上がるのを感じて振り返った。
いつの間にか、背後の巨木の根元に、彼女が立っていた。
長い金髪、森の色を映した緑のローブ、そして何より、そこに「存在している」のに気配が全く感じられない佇まい。
「……セリア、さま」
エルフ族最強の師範代。
そして、ライラを拒絶した人。
ライラは反射的に身構えた。
叱られると思ったのだ。
神聖な森で、こんな粗暴な訓練をしていることを。
だが、セリアの瞳は静かだった。
彼女は音もなく落ち葉の上を歩き、ライラの前まで進み出た。
「あの異界人の……ドウのチームに入ったそうですね」
「……文句があるなら、退会させるなり追放するなりすればいいじゃない」
ライラは顔を背けて強がった。
だが、セリアはふわりと微笑んだだけだった。
「文句?
まさか。
私は……礼を言いに来たのですよ」
「……は?」
ライラが呆気にとられる。
セリアは森の空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
その呼吸につられて、周囲の木々のざわめきがふっと止む。
「ライラ。
私はあなたを弟子にしませんでした。
それは、あなたが未熟だったからではありません」
セリアはまっすぐにライラの瞳を見つめた。
「私の流派『静の呼吸』は、世界を沈め、同化し、己を消すための技。
けれど、あなたの本質は『動』。
風を巻き、嵐を呼び、周囲を巻き込んで進む……強烈な自我の輝きです」
セリアの手が、そっとライラの肩に置かれた。
その手は驚くほど温かかった。
「私があなたを教えれば、あなたのその“嵐”を殺してしまうことになる。
だから断りました。
あなたを伸ばせるのは、
静寂の中に生きる私ではないと、
分かっていたから」
「そんな……。
じゃあ、私はどこへ行けばよかったのよ……!
この森には、セリア様以上の使い手なんていないのに!」
ライラの目から、堰を切ったように涙が溢れた。
ずっと抱えていた孤独。
強すぎるがゆえに、静かな森で浮いてしまっていた疎外感。
セリアは優しく言った。
「だから、彼が現れたのでしょう?」
「……え?」
「我波道。 彼もまた、この世界の理から外れた異物。 静寂を知りながら、嵐のように人を巻き込み、常識を破壊して進む台風の目」
セリアは森の開けた空を見上げた。
そこには、うっすらと赤い虚無の気配が滲んでいる。
「彼と並びなさい、ライラ。
あなたのその激しい気性は、静かな森では雑音かもしれない。
けれど、これから始まる“世界を救う戦い”においては……
その轟音こそが、仲間を奮い立たせるファンファーレになる」
風が吹いた。
今度はライラの荒い風ではない。
森全体が、彼女を祝福するかのように優しく、しかし力強く背中を押す風だった。
「……セリア様は、私のこと……嫌いじゃなかったの?」
「嫌うはずがありません。
あなたは、私が決して辿り着けない場所へ行ける翼なのですから」
セリアは一歩下がり、師としてではなく、一人の戦士として頭を下げた。
「行ってらっしゃい、ライラ。
チーム《風》の一員として。
あなたの嵐で、あの無鉄砲な私の弟子を……助けてあげてください」
ライラは袖で乱暴に涙を拭った。
胸の奥に詰まっていた鉛のような塊が、嘘のように溶けて消えていく。
(私は、私のままでいい)
(うるさくて、激しくて、生意気なままで……あいつの隣に立っていいんだ)
彼女は顔を上げた。
その瞳には、もう迷いなど欠片も残っていなかった。
あるのは、獲物を狙う射手の鋭さと、清々しい野心だけ。
「……言われなくても!
あいつ、放っとくとすぐ死にそうだし!
私が後ろから、最高の一撃を叩き込んでやるわ!」
ニカっと笑うその表情は、かつてないほど美しく輝いていた。
「ええ、期待しています。
……さあ、行きなさい。
リュミエラが、あなたたちのために“新しい翼”を完成させたようですよ」
「新しい……翼?」
「ふふっ。
着心地は保証しませんが……あなたのその有り余るマナを、
爆発させるための服だそうです」
セリアの言葉に、ライラは弓を握り直した。
森の出口へ向かって走り出す。
その足取りは軽く、もはや地面を蹴る音さえ、希望のリズムのように弾んでいた。
背後で見送るセリアは、木漏れ日の中で静かに呟いた。
「飛びなさい、若き嵐よ。
あなたたちが起こす風が……この停滞した世界を、きっと変える」
森の守護者から、世界を変える嵐へ。
魂の継承は、言葉少なに、しかし確かに完了した。
そして舞台は、熱気渦巻くリュミエラの研究室へと移る。
そこで待っていたのは、感動的な再会とは程遠い――地獄の特訓と、奇妙な「魔法の言葉」だった。
「静寂」の師匠・セリアと、「嵐」の弟子・ライラ。
すれ違っていた二人の想いが、道の存在を介してようやく繋がりました。
これでライラの迷いも吹っ切れ、チーム《風》の戦力は万全です。
そして、ついにリュミエラ特製の「新装備」が完成。
これを着ると、マナを持った彼らが「道と同じ状態(人間圧力鍋)」になります。
……つまり、あれを叫ばないといけないわけです。
次回、『試作スーツと魔法の言葉』。
異世界に、謎の集団詠唱が響き渡ります。




