序章第3話 マナと圧力鍋と、呼吸の謎
目が覚めたとき、胸の痛みはまだあったが――
ここに運ばれる前のあの“刺すような呼吸の苦しさ”は少し和らいでいた。
(……昨日より吸いやすい)
ほんの少しだけだ。
だが、それでも確かに違う。
上体を起こすと、銀髪の女性――リュミエラが椅子から跳ねるように立った。
「起きましたか! よかった……本当に死ぬかと思いましたよ」
「……あんたが……助けてくれたのか?」
「当たり前でしょう。
あなたみたいな珍しい…いえ、貴重な症例は絶対に死なせません」
淡々としているのに妙に情がある声だった。
「症例っ……て言う……な」
俺が呼吸を確かめていると、リュミエラは眉を上げた。
「……呼吸、少し楽になってません?」
「分かる……か?」
「分かりますとも。あなたの肺が“マナ濃度”に慣れ始めています」
マナ濃度。
この世界の空気にはマナというものが含まれているらしい。
そのマナに、俺の肺が拒絶反応を起こしていたわけだ。
「あんたの……言ってた……“拒絶”って……やつか?」
「ええ。正式には《マナ過敏反応》。
マナの薄い地方の人が濃い土地へ行くと、
胸が痛んだり、呼吸困難になったりして倒れます」
「なるほど……山登りの……高山病の逆みたいなもん……か」
「まさにそれです!」
リュミエラは指を鳴らして、机に置かれた魔道具を操作した。
「ただし、あなたのは“限界突破レベル”の過敏反応です。
本来なら、呼吸した瞬間に肺が壊れて死んでたはずです」
「軽く言うな……よ」
「でも、あなたは死ななかった。それが異常なんです」
リュミエラは俺の胸に手を置いた。
「あなたの肺は……“マナを吸わず、ただ圧縮する”特異体質なんです」
「……圧縮?」
「ええ。マナ通路がないのに、肺が強制的にマナを取り込んで圧をかけ、
破裂寸前まで膨張する――」
そして、小さく微笑む。
「まるで “圧力鍋” のように」
「ああ……そういう……ことか」
ようやく理解が追いついた。
「中でマナがパンパンに溜まって……
“シューッ”って……弁みたいに抜くのが
……カバディのキャントってわけだな」
「その通りです!」
リュミエラは身を乗り出すほど喜んだ。
「あなたの“カバディ呼吸”は、圧力鍋の安全弁みたいな感じですね。
ほどよく圧力を逃がすことで、肺が破裂せずに済んだ」
「じゃあ、俺……カバディってキャントで生き延びたのか」
「そうです。
そして――今あなたが少しだけ楽になっているのは、
身体がこのマナ濃度に“部分的に適応し始めている”からです」
なるほど。
昨日より少し呼吸できる理由が……ようやく分かった。
だが、リュミエラは表情を引き締める。
「ただし誤解しないでくださいね。適応は“微々たるもの”です。
時間が経てばある程度は楽になりますが、あなたはマナ不導体……
完全に馴染むことは、おそらくありません」
「まぁ……ちょっと楽になれば十分だ」
そう言いながら深呼吸する。
まだ胸が痛むが、あの地獄の苦しさに比べれば天国だ。
リュミエラは魔道具を操作し、俺の体をスキャンするように光を走らせた。
「それにしても……もう一つ驚きがあるんですよ」
「まだあるのか」
「ありますとも。あなた、昨日――
“マナ反応がゼロ”になっていました」
「ゼロ?」
「はい。生命体は必ず微量のマナ波を発しています。
しかしあなたが息を止めた瞬間、完全に反応が消えました」
「……なるほど。呼吸止めたら、俺は“存在しない”みたいになるのか」
「理論上はそうですね。しかも――」
リュミエラは少し声をひそめた。
「あなたの体表に“光屈折の乱れ”も観測されたんです」
「光……屈折?」
「簡単に言うと……
姿が“半透明になりかけていた”ということです」
「……は?」
「まだ偶発的な現象ですが、
マナ膜が一瞬だけ形成され、光を歪めたんです。
これは普通の“マナ過敏症”では絶対に起きません」
俺は呆気に取られた。
たしかに、オーガから逃げた時、奴は俺を“見失った”。
(あれ、単なる偶然じゃなかったのか……)
「あなた、将来的に“隠密”としての才能も開花するかもしれません。
今は制御できないでしょうけどね」
「……なんだよそれ。俺、何者なんだよ」
「調べ甲斐がある人、です」
リュミエラがあっさり答えたその時――
――ドォォン!
建物が震えた。
外から怒号が上がる。
「虚無獣……です!」
兵士の声が響く。
リュミエラが青ざめた。
「中型……!? 街に被害が……!」
俺は布団から足を下ろした。
「俺が行く」
「ダメです! まだ肺が――!」
「少しは慣れた。
それに……俺は確かめたいんだよ。
この身体が――どこまで動くのか」
立ち上がると、胸は重いが息はできる。
(この世界の空気に……確かに慣れてきてる。
そして、なぜだか行かなくてはいけない気がする)
リュミエラは諦めたように肩を落とした。
「……分かりました。でも絶対に死なないでくださいよ!」
「努力する」
俺は扉を開き、外へ駆け出した。
――呼吸が、進化する音がした。
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12/18から、1/4までの間投稿予定です。
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「異世界召喚されたので、『前借スキル』で速攻ラスボスを倒して楽をしようとしたら、理不尽にも“感情負債140億ルーメ”を背負うことになったんだが?」
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