序章第2話 爆ぜた身体、分からない一撃
――少しだけ、カバディの話をしておく。
カバディは、名前のわりにめちゃくちゃハードな競技だ。
攻め手は相手陣に単身で乗り込み、
守備陣をタッチして、妨害をねじ伏せて戻ってくる。
ただし―― 息を吸ったら最後、帰るまで呼吸は禁止。
ずっと「カバディ、カバディ」と声を出し続けるのは、 息継ぎをしてない証明だ。
声が途切れた瞬間、攻撃権は剥奪される。
つまりカバディは、“呼吸”を賭けた格闘技みたいなものだ。
足さばき、間合い、爆発力、読み合い。
全部を一息でやる。
吸いすぎてもダメ。
吐きすぎてもダメ。
呼吸のリズムひとつで、勝敗が決まる。
――だから俺は、呼吸に人生をかけてきた。
それなのに。
一番大事な、決勝戦の最後の最後で、俺の呼吸は止まってしまった。
俺が息を止めてしまったせいで、チームの努力はすべて水泡に帰した。
まさか、その「自分を裏切ったはずの呼吸」が 異世界で生きるための武器になるとは、この時は思ってなかったが。
◆◆◆
意識が浮上したのは、耳鳴りの中だった。
遠くで何かが崩れ落ちるような音が響いている。
(……何が……起きた……? 俺は……まだ生きてるのか?)
ぼやけた視界の奥に、巨大な影が倒れていた。
オーガだ。
胸の辺りが大きく陥没し、地面にめり込むように沈み込んでいる。
息をしていない。完全に沈黙していた。
(俺が……やったのか?)
記憶にあるのは、指先に残る感触と、自分の声。
『タッチ』 そうだ、俺は奴に触れた。
(……届いたんだ)
決勝戦では届かなかった指先が、この怪物には届いた。
皮肉な話だ。
メダルも栄光もないこんな場所で、俺の手は動いた。
なら、自陣に戻らなきゃいけない。
ラインを超えて、仲間の元へ。
……けど、戻るべきラインなんて、この荒野のどこにもなかった。
「……なんにも覚えてねぇ……」
あれが攻撃だったのかどうかさえ分からない。
ただ、右手の指先に残る“微かな痺れ”だけが、何かを伝えていた。
息を吸う。 肺がまだ痛むが、意識を失う前ほどの鋭い拒絶はない。
(……さっきより、少しだけ楽だな)
それでも胸の奥がズキズキと軋む。
この世界の空気が体に馴染んでいない証拠だ。
立ち上がろうとした瞬間、激痛が走った。
「ぐっ……!」
膝が崩れ、地面に手をつく。
右腕が重い。
肩から指先までが焼けるように痛い。
(なんだよ……これ……? 筋肉が……裂けたみたいだ……)
オーガの胸をへこませる一撃を出した代償。
自分でも理解できていない力が、身体を内側から破壊している。
呼吸が乱れそうになった瞬間、反射的に言葉が漏れた。
「カバ……ディ……」
そのリズムに合わせて呼吸を整えると、 痛みの波がほんの少し和らいだ。
(……やっぱり、これだけは効くんだな)
理解不能だが、今はそれしか頼るものがない。
オーガの死体の横を通り過ぎようとした時――
――ガサッ。
背後の茂みから何かが飛び出した。
「ッ!」
身構えた瞬間、ローブ姿の女性が転がるように現れた。
銀髪に金の瞳。
肩からは奇妙な金属製の装置がぶら下がり、先端が青く発光している。
「よかった……まだ生きてる……!」
女性は息を切らしながら、俺の顔を覗き込んだ。
「あなた、どうやってオーガと戦ったんですか!?
こんなの……人間が倒せる相手じゃ――」
「……知らない。気づいたら倒してた」 「気づいたら!?」
彼女は信じられないという顔をして、すぐに俺の胸に手を触れた。
「呼吸が……乱れてる。 マナに完全に拒絶反応を起こしてますね……!」
「マナ……?」 「説明はあとです! 立てますか?」 「……無理だな」
少し動くだけで胸と右腕に激痛が走る。 肺の奥から何かが逆流するような、強烈な不快感。
(俺の体……本当にどうなってんだ……?)
女性は俺の腕を肩に回し、力強く支えてくれた。
「研究室が近いんです。すぐ治療します。
あなた、ほっといたら本当に死にますよ!」
「……助かる」
歩くたび、身体から力が抜け落ちていく。
視界の端で、オーガの死体が遠ざかっていく。
(俺、本当に……あいつ倒したのか?)
疑念と恐怖。
さっき自分の体が何をしたのか分からないという不安が、胸を支配していく。
「もう少しで着きますからね!」
女性は俺を支えながら続けた。
「あなたみたいな人……初めて見ました。
マナ拒絶があれだけ強いのに、なぜか“爆発的な動き”ができるなんて……」
(爆発……? やっぱり何か……起きてたんだな)
言葉の意味を考える余裕はなかった。 身体が重い。痛い。呼吸がまた乱れ始める。
「……カバ……ディ……」
そのリズムを刻むたび、胸の痛みが少しだけ引いていく。
女性は驚いたように俺を見た。
「その呼吸……なに?
どうして“それ”だけは息が乱れないの?」
「……分からねぇ。ただ、体が……勝手に……」
その言葉を最後に、視界が白く霞んだ。
(……まだだ。まだ、死ねない)
(俺はまだ……あいつらに詫びてないんだ……)
世界が遠ざかる寸前、女性の声が聞こえた。
「絶対に助けます――あなたには調べる価値がある」
次に目覚めた後、 俺は自分の身体の“異常”と向き合うことになる。




