異世界転生は花畑で
――目が覚めると、そこは花畑だった。
風も音も、まだ世界を始めていない。
目を開けると、見渡す限り、花。
赤、白、黄色。絵の具をこぼしたみたいに世界が染まっていた。
寝転がった背中に、陽のあたたかさがじんわり広がる。
くすぐったい香りに鼻がむずむずして、思わず声が漏れた。
「……へ、ヘクシッ!」
響いた声が、自分のものじゃない気がした。
少し高くて、柔らかくて、どこか他人みたい。
(……声、違う)
そう思った瞬間、いくつかの記憶が波のように押し寄せた。
街の光、機械の音、人の声。
それらは確かに“自分”の記憶なのに、もう実感がなかった。
「……そっか。終わったんだ、あの世界」
呟くと、風が頬を撫でた。
代わりにここにいるのは、知らない体。知らない声。
けれど息はあって、心臓がちゃんと動いている。
甘い匂いが再び鼻をくすぐる。
「ヘクシッ……っ、鼻が……! 花粉、絶対あるでしょこれ!」
寝転がったまま、空に文句を言う。
雲ひとつない青が、のんきに広がっていた。
「ちょっとぉ、神様ー! 聞こえてます?
転生初日で鼻水って、説明に書いてませんでしたけど!」
もちろん返事はない。
ただ花の海が、さらさらと笑っているように揺れただけ。
「……ほんとに一人なの? チュートリアルなし?」
体を起こして見回す。どこまでも続く花、花、花。
風の向きが変わるたび、波のように押し寄せてきた。
「きれいだけど……なんか、心細いな」
思わずため息をつき、足元の花を一輪つまむ。
匂いを嗅いで、すぐくしゃみ。
「エックシッ! この世界、ちょっと刺激強くない!?」
鼻をすすりながら遠くを見やると、森があった。
緑がこんなにも懐かしく感じるなんて。
そこなら――食べ物が、あるかもしれない。
花畑を歩き出す。けれど、すぐに気づく。
「……足、短い。背も低い。体力ない。髪、長っ!」
文句を言いながら前へ進む。
草が足裏を刺し、喉がひりつく。
丘を登りながら、太陽を睨んだ。
「……あの太陽、絶対わたしのこと笑ってる……」
立ち止まり、ため息。
再び歩き出した瞬間、世界がふらりと揺れる。
「……おなか、すいた……」
小さく漏らした声が、だんだん大きくなる。
「おなかすいたーーーー!!!」
叫びが空気を震わせ、鳥がピィィと返す。
その声を聞いて、少女は思わず走り出した。
「鳥! 肉!!」
花をかき分け、斜面を駆け上がる。
目の前に広がるのは、木々の海――森。
「も、もりだーーー!! 森サンダーーー!!!」
足を取られながらも、笑いが止まらない。
枝には鳥、足元にはウサギ。
どれも生きている。それが嬉しかった。
「『新人か? 森は初めてか?』って顔してる……!
『あの二足歩行、なんだ……まぁいいか』って思ってる!
アウェイすぎて泣ける!!」
力が抜けて、膝から崩れ落ちた。
土の冷たさが頬に気持ちいい。
「げ、現実は非常……もう動けない……」
前のめりに倒れ、肘をつくのも失敗。
脚がぴくぴく震える。
「むりぃ……」
その声に、小さな気配が近づいた。
ふさふさの尻尾を揺らす小動物が、木の実をくわえている。
「お、おまえ、くれるのか? やさしいなぁ……」
――ぱく。
「いったぁぁぁぁぁぁい!!!」
手のひらにくっきり歯形。木の実は奪われていた。
少女は天を仰ぎ、涙目で叫ぶ。
「この世界、ツンデレすぎるでしょぉぉぉ!!!」
――新しい人生の始まりにしては、やたら鼻がむずむずする。




