第5章 第2節 代表の男(第2項)
――『来るものは選び、
去るものは追わず。』
よね…?
夜の館の決まりにわたしは疑問を抱く。
「カヴァになにをしに行ってたのよ。」
「聞きたいですか?
聞きたそうにしているね。
それじゃあ教えてあげましょう。
ペタの次代領主である僕は、
特別にサンスァラ王女の
白金像を見させてもらったのさ。
白く柔らかな肌の美しい娘でしたよ。」
「吐き気がするわね。」と、サンサ。
「国宝というのに、
あんな山間に閉じ込めるなんて
カヴァは酷いことをする。
それにカヴァの料理は独特で、
ひとが口にするものとは思えません。
見た目が食欲を唆らないんです。
それに味はどれも塩辛くて。んん。
ペタの見栄っ張り連中には、
受け付けないでしょうね。」
「その見栄っ張りに、
あなたも含まれるのよ。分かってる?」
テーブルに残ったお菓子や
果物を口に放り込み、
ヘッペリオはカヴァでの日々を懐かしむ。
背を曲げてテーブルに両肘を突き、
身を乗り出す姿勢で口を開けて咀嚼をする。
おまけになんにでも蜂蜜を掛け、
手や口周りを汚している。
見るひとの食欲までも削ぐ
品のない食べ方をするので、
見苦しい姿にわたしは半眼になる。
「王家があんなものを食っていたのでは、
飢えた民衆は鼠のように家畜の餌か、
馬の排泄物でも食べてるんですかね。」
食事中にも関わらず、
耳を疑う言葉が彼の口から放たれる。
サンサが彼を厭う理由が分かった。
ヘッペリオに握られたわたしの右手も
汚れた気がした。
彼は次代領主と称していても、
行動には品性が伴わず、
館の品格を落としかねない。
「飢えた兎でも
そんな食べ方はしないわよ。」
「硬いパンや苔のスープなんて、
貧相な饗しをされたら、
嫌にもなるものさ。」
「軍用の保存食に藍藻のスープね。
塩を抜いて食べるものよ。
カヴァがヘッペを相手に
相応のものを与えたに過ぎないわ。
蜜も赤子には毒だものね。」
「赤子扱いは心外ですな。」
不満を浮かべるヘッペリオに、
サンサは鼻で笑う。
「饗す相手ではない、と
正しく評価したのよ。
正常な判断ね。
面倒なあなたの相手を、
誰がさせられたのかしら。」
「相手はオルデウス王の孫娘、
サラシュ王女です。
成年になるというから会ってみたのさ。
陰険なカヴァの連中とは大違いで、
厳寒馬の厩舎まで案内してくれて、
物静かで丁寧な性格でしたよ。
それになにより
いまのカヴァは傀儡国家だ。
つまり僕と契るべき相手です。」
「なにが『つまり』よ。
ヘッペとの婚姻なんて
どんな重い罪かしらね。」
サンサの言葉にスーが頷いた。
「サラシュという子は器量も良いのね。
粗略に扱ってもあなたに
気付かせないなんて優秀だわ。
わたしも会ってみたいわね。
あの子の方から会いに来ないかしら。」
アルを抱いてサンサは言う。
「それにしても戦争が終わったんで、
勝利を祝って祭りでも開くのかと
思っていたのに。
宮廷内のあの重苦しい空気は、
僕には耐え難かったですよ。」
「こんな時期まで長居しておいて
図々しいわね。
民衆の前でそんな軽口を叩けば、
溶かした鉄を口に流し込まれるわよ。
サンサが脅し文句を並べても、
ヘッペリオは気にせず、指や手のひらを
舐め回して後味を楽しんでいる。
「ヘッペが知らないだけで、
西側を支配するカヴァであっても、
メルセほど沃土に恵まれないのよ。」
「暮相の長い戦争は
どっちが勝ったのやら。
カヴァの王家は国益を無視し、
憎しみで争いに執着した結果、
中央街には仕事を求める浮浪者で
溢れてましたよ。
ヒュルゲンの末路は悲惨なもんです。
ネルタが滅んでしまっては、
賠償金も得られませんからね。」
「滅んだ? ネルタが?」
わたしは耳を疑い、立ち上がっていた。
ヘッペリオはテーブルに両肘を突き、
背を曲げたまま指を赤子のように吸って
満足そうに唇を舐める。
「ネルタは滅んだよ。
まったく無知な生娘だ。
それなら僕が教えてあげよう。
ネルタの王のケイロウはカヴァの王子、
オルドラスの手によって首を刎ねられた。
オルドラスは異母妹の、
サンスァラ王女の
仇討ちを成し遂げたのさ。
しかし、捕虜王子の汚名は
濯がれませんでしたな。」
ヘッペはサンサを見ると、
汚れた歯を見せて笑う。
「ケイロウの息子、暴虐なモローも、
冬にはその捕虜王子に討たれて戦死。」
わたしは、倒れるように椅子に座った。
「以前伝えた城の地下で捕らえた、
王の娘の件。
王女の移送を担ったビンスですが、
彼は帰ってからすぐに死んだせいで、
下女達は王女の存在も
知らなかったと――。」
戦争に負けたのは分かっていた。
塔から眺めていた景色も、城も、
湖の周囲に住んでいた民衆も住処を失う。
それを受け入れるのは難しかった。
頭の中にある灰色の靄は晴れない。
「暮相の戦争を支えた貴族化商人、
ヒュルゲン・ハス・ビンスは、
間もなく貴族病で死んだとか。」
貴族病は貴族の特権として
得られる病気と言われている。
「溝女に殺されたなんて噂もあります。
残した資産も国に奪われて、
醜く愚かな男の最期だ。
ネルタ族も散り散りに逃げて、
貴族が盗賊に身を窶すなんて笑い話さ。
盗賊の国がただの盗賊に戻った。
まさに石臼を回したわけさ。」
奇妙な言い回しをして、
彼はサンサに向き直り、
なおも声を弾ませて語る。
「オルデウス王にも会いましたが、
資金繰りに頭を抱えてましたよ。
かれらが戦争で得たものは
結局なにもなかった。」
杯を呷り、喉を鳴らした。
「元老院の親しいひとから聞いた話で
これは定かじゃありませんが、
議長は孫のオルドラスに王位を与え、
息子のオルデウスを退位させるとか。
戦争の責任を取ってのことか、
元老院議長を継がせるつもりか。」
「館は流言を好まないわ。」
「ただの独り言ごとですよ。
この飾緒は、
その議長からの頂戴物でね。」
天蓋の日陰の中で、
金の鎖を鈍く輝かせて見せる。
「カヴァはまた
『荒れ地に王座を作った』と、
統治者達から笑われるのさ。
あの捕虜王子が即位したって
他領から得られるご祝儀で、
国庫を潤せるはずありません。」
「ドラスが議長に命令されて、
従順に戴冠するのかしらね。」
「マイダスは無視を決め込むだろうね。
そこでペタの次代領主である僕が、
元老院にこう言ってやったわけですよ。」
目を見開いて鼻の穴を広げる。
「『次は裕福な分水街を
攻めたらいい。』ってね。」
しばらくの沈黙の後で、
サンサが溜め息を吐く。
「愚者は炎を崇めるのよ。」
「なにいってるんですか。
カヴァは炎を操るものを、
賢者と称したんですよ。
それに愉快な案で…いだぁっ!」
乾いた音が庭園に響き、
ヘッペリオは広い額を手で抑えた。
スーが彼の額を平手で叩いたからだった。
「退屈な演説で、欠伸が出るね。」
スーに冷めた笑みで見下され、
ヘッペリオは衝撃に驚き、
視線を上下させて混乱する。
「浅ましい男の頭に、
悪い虫がいたのね。」
サンサが言うと、
スーが手のひらに息を吹きかける。
「もう帰らないと、日が暮れますよ。」
スーは言ったけれど、まだ日は高い。
「メルセはいまは繁忙期でしょ。
そんな顔でも領主に見せないと、
近く絶縁されるわよ。ヘッペ。」
サンサから警告に近い注意を受け、
ヘッペリオはようやく立ち上がった。
「では今日はこれで、
帰るとしますよ。
また会おう、生娘達。」
「顔を汚したまま出ていくのね。」
サンサは宝飾巾の上から
自分のホクロを指示して、
ヘッペリオの口周りの汚れを指摘した。
彼は肩に掛けた上着の袖で口を拭った。
スーに叩かれた額は赤くなっている。
「あなたも自分の顔くらい
もっと鏡で見るべきね。」
――いま、サンサはなにか…。
古い銅鏡ならサンサの部屋で、
裏返しのまま使われずに壁に飾られている。
――『あなたも』って
含みのある言い方よね?
サンサはわたしと目が合うと、
銀の目を細めて笑う。
「狂気の女神。
今日は招いてくれてことを感謝しよう。」
「だから、招待してないわよ。
あなたみたいな星鳥は
もう出入り禁止にすべきね。」
「ははは。これは手厳しい。
僕まで田舎者扱いですか。
それでは冬に会える日を、
楽しみにしてますよ。」
ヘッペリオは最後まで、
サンサから客として扱われない。
彼はわたしの前に立って見下ろす。
「暮相の生娘。
こんな孅い娘が、
ネルタとどんな関係があるか
知らないけど、物騒な話をして
気分を害したかな。
冬に会う機会があれば、
名前を教えて貰うとするよ。」
ヘッペリオが歯を見せて笑う。
しかし音もなくやってきたハーフガンに
襟首を掴まれると出口まで引き摺られ、
日陰の庭を去っていった。
「待ってくれ。首っ! ぐびぃっ!」
――あのひと…。
まだなにか知ってるのかしら。
ヘッペリオを引き摺りながら、
ハーフガンはわたしを睨みつける。
「へッペに、またなにか渡されなかった?」
「ううん? また?」
わたしはサンサに向けて
両手を開いて見せた。
起きたイオスが網棚の中から、
わたしの手に向かって前足を伸ばす。
「それは残念だわ。
なにか渡していたら、
マルフに裁いて貰えたのに。」
「館のお客さんでも、フランジに
お金を渡したらダメなんだよ。」
「ハミウス法ね。
奸佞邪知にもう用はないから、
今度来たら追い返してもいいわよ。」
「だってさ。」スーが笑う。
彼女はヘッペリオの去った後の
残飯を片付けに、食器を食堂に運んだ。
サンサはヘッペリオのことを、
捻くれて、狡賢く、媚び諂う人物を意味する
『奸佞邪知』と批評した。
――サンサは奸佞邪知ではない、
ということよね。
ヘッペリオが去ると
サンサは頭巾も宝飾巾も外し、
外出もせずにまた手紙を読み始めた。
サンサと二人きりになったので、
わたしは彼女に訊ねた。
「サンサは彼からなにか、
得られるものがあったんだね。」
「えぇ、あなたを釣り餌にしてね。
なにかは教えてあげないわよ。」
「広く深く考えなさい、だよね。」
こう伝えると天蓋の影の下で、
彼女の冷たい瞳がわたしを見る。
「ニクスはなにか、
得られるものがあったかしら?」
「分からないよ…。」
握手で汚れた右手を見ても、
失ったものが確認できただけだった。
「それならあなたは、
知らないことを知れたのね。」
――ニースだわ。
以前、スーが言っていたようなことを、
サンサもわたしに言う。
彼女は膝の上に来たアルの額を撫でて、
また目を細めると口角を上げた。
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