第5章 第1節 遮光の場(第3項)
日陰の庭でファウナと共に
お菓子を食べていると、
ハンドベルの澄んだ音が響き、
わたし達に来客を知らせる。
「ほら、お客さんが来たわよ。
ファウナはボナを呼んできて。
スーは飲み物を貰って来なさい。
急いで食べると喉を詰まらせるわよ。」
「ほぁーい。」
二人はまたお菓子を口に詰めて、
弛んだ返事をした。
「ニクスは西に座ってていいわよ。
アルは席を譲りなさい。
また倒れられても困るもの。」
「分かってるよ…。」
わたしが西側の椅子に近付くと、
アルが逃げるように椅子を離れ、
サンサの膝の上に跳び移った。
アルに忘れられたイオスを持ち上げると、
わたしに起こされてビャオォと、
掠れた声で鳴いて抗議する。
イオスをわたしの太腿に置けば、
前足を交互に押して触感を確かめ始める。
爪を立てるので、
わたしはイオスを掴み、
仰向けにして太腿に挟んだ。
玄関からハーフガンに案内され、
一人の女が籠を抱えてやってきた。
黒髪に白い肌で、
ドレイプより年齢が上の女に見える。
癖のある前髪を切り揃え、
長い髪を後頭部で束ねている。
紫黒に染めた裾の長いキャシュクには、
細長く伸びた切れ目が膝の上にまで伸び、
そこから覗く白い脚が映える。
肩にした赤色の生地の飾り布が目を引く。
「いらっしゃい。ソフィ。
久しぶりになるわね。」
「わたしの使用人が迷惑を掛けたわね。
サンサ。
あんな不始末の後でも、
招き入れて頂けたことに、
深く感謝するわ。」
「あなた相手だもの、些末な問題よ。
ボナも寂しがるから助け合いよ。
館に鼠がやってきても、
来るものは選ぶのよ。ファウナが。
気にせず座っていいわよ。」
わたしはサンサに言われるまでもなく、
立ち上がって南側の椅子を引いて、
ソフィという客に勧める。
取り残されたイオスが抗議して鳴いた。
「ありがとう。
これ、良かったらみんなで食べてね。
こんなものでは詫びとしては
足りないでしょうけど。
今朝、農園で採ってきたばかりの
バイテスよ。」
ソフィはテーブルの上に籠を置き、
被せた布を取ると、房についたままの
バイテスの実を館に持ち込んだ。
黄緑色の粒はどれも大きく
果肉に水分を蓄える為に、
蝋質で覆われた皮が
日陰の中でも白く光っている。
「気を使わなくていいわよ。
あとで従業員に配りなさい。」
客が館に持ち込む贈り物を、
サンサは直接受け取ったりはしない。
フランジのわたしが、贈り物一つで
燥がないよう言いつける意味を含む。
彼女は誰にも買うことのできないドレイプ。
「聞いたわよ。
エルテル風邪でフランジが一人、
死んでしまったんですってね。」
「エルテル風邪ではなくて老人病ね。」
「老人病…? 子供なのよね?」
「咳で苦しむ症状が
気管の衰えた老人の姿に似るから、
昔のひとが老人病と名付けたのよ。
春に入って来たばかりの子で、
空気に混ざった小さな生物が、
鼻口から身体の中に入ってしまったの。
空気を取り込む肺が
その小さな生物を排除する為に、
咳を繰り返して
肺や咽頭が炎症を起こすのよ。
メノーの病院で、
しばらく治療してたのだけれどね。」
「まぁ。戦争も終わって、
エルテル風邪だって収束してたのよ…。
これから楽しいことが
待ってたでしょうに、
若くして死んでしまうなんてねぇ。
その子の名前はなんていうの?」
ソフィは豊かな胸を手に当て、心を痛める。
「ナルシャのウラよ。
赤髪で明るく健康な子だったのよ。」
「ウラ…。あなたも残念ね。
…あなたのお部屋にも、
新しい猫が来たのね。
同じ赤毛の。」
ソフィはわたしの太腿の上に居る、
白猫のイオスを示しているわけではない。
彼女の藍色の目がわたしを見るので、
軽く顔を下げた。
「ただの迷い猫よ。」
「まぁ。
サンサのお部屋は、
孅い猫のお世話で大変ね。」
「ボナに引っ掻かれるわよ。」
二人は軽く笑い合う。
日陰の中の二人の笑顔に、
同席させられるわたしは居心地が悪い。
「ノーラのお店の、看板の評判を
わたしもよく耳にするわよ。
アイリアの工房で作ったのよね。
ここに顔を出す頻度も増えているのなら、
事業は順調そうね。」
ソフィは深く頷き微笑する。
「いまは人手不足が悩ましいわ。
サンサのおかげで、わたしまで
閨秀だなんて呼ばれたわよ。」
「それは喜んで言うことではないわよ。」
「ボナまで呼ばれていたのだから、
わたし達、お揃いなのよ。」
「いらっしゃい。ソフィ。」
「スー。
見ないうちにまた美人になったわね。」
「冬に来た時にも、
ソフィは同じこと言ってたね。」
スーが厨房からガラス瓶を持ってきて、
括れのある銀の杯に注いでくれた。
バイテスの実を潰して濾したジュースが、
わたしの前にも置かれた。
解したクァンの果実が入っていて
混ぜてから飲むと、果汁の甘さの中に
酸味と食感が加わって、
口の中を楽しませてくれる。
「あなたが来るから作らせたのよ。
お菓子はこのジュースに合うのよ。」
「ありがとう。
それにしても鹿のゼラチンなんて、
この街では手に入らなくて困ってたのよ。
またサンサに助けられたわね。」
「ゼラチン程度
オーブに繋がりが無くても、
ソフィなら銀行屋を経由して
仕入れることもできたでしょう。」
「だって、銀行屋はダメよ。
言ったでしょ?
マイダスは女の商売を、
妨害することしか考えないのよ。」
「ふふっ。
あれで同じオーブの人間なのに、
マイダスは信用されてないわね。」
「『森の賢女』と呼ばれたあなたなら、
頼めばなんでもできるでしょう?」
ソフィがテーブルに肘をついて、
杯を片手にサンサの顔を覗き込む。
「あなたまでおかしな呼び方しないでよ。
戦争が終わって、いまこうして
稼いでるソフィは嗅覚に優れているのよ。
ほら、あなたの待ち人が来たわよ。」
ソフィが振り向くと、
ファウナに連れられてボナがやってきた。
浅黒い肌に艶やかな黒髪を輝かせ、
刺繍の入ったキャシュクの胸元には、
金糸の飾緒を垂らしている。
「あぁ、ボナ。
あなたに会えなくて、
ずっと寂しかったわ。」
「まぁ、ソフィったら。
わたしもあなたを
想わなかった日は無いわよ。
その帯飾り、とても似合ってるわ。」
彼女のキャシュクの帯紐には、
銀で作られた花弁6枚の装飾を付けていた。
「忙しいのに会いに来てくれて偉しいわ。」
「会えない時はあなたを想って、
ずっとあの本を読んでたのよ。
あなたの勧めてくれたアラズ興亡詩、
読むのは難しいけれど、分かると
とっても奥深いわね。」
二人は沸き立つ感情を抑えきれず
軽く抱き合って、顔を近付け
見つめ合ったまま会話を続ける。
それを見てサンサはスーに言った。
「スー、乳液を持ってきて。」
「もう、持ってきてあるよ。」
白磁の小瓶に入っている乳液は、
フランジも風呂上がりに使う日用品。
スーはソフィが来る前から、
小瓶をテーブルの下に置いていた。
「用意がいいわね。
ボナ。
ソフィにこれを試してあげて。
夜の館の特製品よ。」
「ありがとう。サンサ。」
「トレイごと持っていきなさい。
間違えて乳液を飲まないでよ。」
二人は少女のように燥ぎながら、
東のドレイプ棟へと消えていった。
日陰の庭にファウナが取り残される。
「ラッガもお菓子、食べるか?」
「イオスだよ。」と、スーが言う。
「お菓子を猫に与えてはダメよ。
アルに引っ掻かれるわよ。」
アルがファウナの行動を警戒している。
「…ファウナは行かなくていいの?」
わたしの言葉に、ファウナは座ったまま
ソフィの持ってきたバイテスを摘んで、
サンサを横目に見た。
サンサは黙って顎を引く。
わたしのこの疑問に、
ファウナが溜め息を吐いて見せた。
「サンサはこの新入りに、
この館がなにをするところか
ちゃんと教えないと。」
「娼館の仕事の内容くらい、
15歳のニクスでも知ってるわよ。
ねぇ?」
サンサに言われてわたしは首を縦に振る。
頷いたけれど、
彼女が訊ねた意味は異なっていた。
「でも、あれ。あの客は…。」
わたしの疑問にスーが答えてくれた。
「ソフィはボナのお客さんなんだよ。
認証管理のボナを指名するには、
相応に賢くなければダメだからね。
女でもこの館に招かれることで、
評価に繋がったりもするんだよ。
こういう仕組みを知ると楽しいよね?」
「スー。
認証管理の仕事を
褒めてくれるのは良いが、
ボナはただの同性指向なだけだぞ。」
言ってファウナは、イオスを抱き寄せる。
イオスは彼女の腕に抱かれると、
果樹園の迷い猫に戻ったみたいに、
淡青色の目を輝かせてビャオと鳴いて喜ぶ。
アルはわたしの太腿に乗ってきて、
耳を後ろに倒してその様子を見る。
サンサはわたしに顔を近付けて、
目を細めるとこう告げる。
「口実を与えるのがわたしの仕事。
性別一つで客を選ぶほど、
夜の館は狭量ではないのよ。」
彼女は杯に残ったジュースを
一口で飲み干した。
「あなたも、
館に来るものは自分で選ぶことね。」
日陰の中で、サンサの冷たい瞳が笑った。
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